第17話 大分⑤

 早瀬悠真は、自室でPCを操作していた。ディスプレイに表示された時刻は二十二時半を過ぎている。


「あーっ。くそっ。行動監理官についての情報が全然出てこねぇっ。L.I.Q.庁のサーバー内にもマトモなファイルがないってどういうことだよっ!」


 椅子にもたれかかりながら天井を見上げる。


「L.I.Q.庁に関係する役職のはずなのにデータがないとか、何者なんだよ……。ヒカリ、お前本当に大丈夫なのか……?」


 早瀬は右手で頭をガシガシと掻くと、もう一度キーボードを叩き始める。


「表にないなら、裏で見つけるしかねぇ。正直あそこはあんまり入りたくないんだけどなぁ」


 そう呟きながら、早瀬は暗号化された通信経路を再構築し、海外のIPアドレスを取得する。いくつかのプロキシを噛ませて、サイトに入ると、モニターに真っ黒な画面が表示された。


 *


「……じょうぶ。きっと、大丈夫だから」


 ヒカリの必死な声が聞こえて、海羽は目を覚ました。シビルバンドで時刻を確認すると、二十三時で、眠ってからそう時間が経過していないことに気づく。

 海羽がヒカリの方を見ると、ヒカリはシビルバンドをじっと見つめていた。ディスプレイに何が表示されているのかは海羽の位置からは見えないが、ヒカリの顔がいつになく真剣なのが気になった。


「ヒカリちゃん? どうかした?」


 海羽の言葉で、ヒカリは慌ててシビルバンドのディスプレイを消した。


「起こしちゃった? ごめんごめん。面白いギャグを考えてたら寝付けなくて」


 だが、言葉とは裏腹に、その顔にはどこか必死さが見え隠れした。


「本当にそれだけ? 何かあるなら――」

「ホント、それだけだからっ。寝よ寝よっ」


 そう言いながら、ヒカリはランタンの明かりを消した。

 多分。ううん。きっと何かあるんだろうな。私に出来るのは、いつでも話を聞く用意をしておくことだ。

 そう考えながら、海羽は再び眠りについた。真っ暗な闇の中に、意識が溶けていく。



 海羽が目覚めたとき、ヒカリは寝袋から上半身が飛び出ていた。

 ヒカリちゃんって、こんなに寝相悪かったっけ? っていうか、どうやったらこうなるんだろう。

 静かに動き、テントから顔を出す。真夏だというのに、冷気を帯びた風が頬を撫でる。空気が澄んでいて、肺が洗われるようだった。

 流しで顔を洗い、髪を結っていると、三枝が現れた。


「三枝さん、おはようございます」

「おはようございます。お二人はもう朝食を召し上がりましたか?」


 三枝に言われてハッとする。昨日のBBQは用意してもらったもので、朝食は用意がなかった。


「実は、勢いでここに来るの決めて、食べるものがないんです」

「それなら、一緒に食べませんか? 簡単なトーストで良ければですが」

「そんな、悪いです」

「僕がやりたくて提案してるんです。遠慮しないでください」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」

「久しぶりに楽しい食事になりそうです」


 そして、海羽は三枝と一緒にテントまで戻ると、ヒカリを起こした。


「ヒカリちゃん。三枝さんが朝ごはん一緒に食べようって」

「んあ? ご飯? 食べる」


 ヒカリがまぶたを擦りながら、テントから出てくる。

 三枝はロースターでベーコンを炙っていた。


「何かお手伝いすることはありますか?」

「では、そこにあるトマトを切ってもらえますか? BLTサンドを作ろうかと」

「わかりました」


 海羽はペティナイフでトマトを等間隔にカットした。その間に、三枝は食パンの表面を香ばしく焼き上げる。

 慣れた手つきでトーストにベーコン、トマト、シャキシャキのレタスを挟むと、半分にカットして皿に盛り付けた。


「どうぞ」


 ヒカリが素早く手に取る。海羽も続いた。


「いただきます」

「三枝さん。いただきます」


 パンとベーコンのカリッとした食感の後に、トマトとレタスの柔らかさを感じる。こんなに美味しいBLTサンドは初めてだった。


「美味しーっ! ベーコンがカリカリなのが最高っ」

「パンの表面を焼くとこんなに変わるんですね」


 三枝がニコニコと笑う。


「なんでも、一手間加えると結構変わるものです。いいでしょう?」


 海羽達は食べ終えると、食後に紅茶をご馳走になった。


「お二人は沖縄に向かってるんですよね。ここからはどういうルートで行くんですか?」


 海羽達は顔を見合わせる。


「交互に行き先を決めるって話だったけど、ヒカリちゃん行きたいところある?」

「正直、大阪より西は全然わかんない」

「私も」

「それなら宮崎県を経由して、鹿児島からフェリーに乗るのはいかがでしょう。宮崎県は海岸沿いが綺麗なんですよ」

「楽しそうっ! でも、バスとかあるかな?」

「なるほど。移動手段が限られてるわけですね。ちなみにバイクの免許は持ってますか?」

「ヒカリちゃんが持ってますけど」


 それを聞いて三枝が頷いた。


「良ければですが」


 そう言って立ち上がると、三枝はキャンピングカーのバックドアを開けてラダーレールを伸ばす。キャンピングカーの乗り込むと、バイクを地面に移動させた。海羽はバイクに詳しくないが、街中で見かけるものとはだいぶデザインが異なっている。


「勝さんってバイクも乗るんですか?」


 ヒカリが驚く。


「妻と一緒に出かけたくて、免許を取りました。一回だけ、近所を回っただけでしたが。よかったら、使ってください」

「そんな。そこまでしてもらうわけにはいきませんよ」


 海羽が慌てて断るが、三枝は笑顔で言葉を紡ぐ。


「僕達を祝福すると言ってくれたでしょう? それが、すごく嬉しかったんです。それに僕はこの年だからもうバイクには乗れない。だから、妻との思い出を誰かに託したいんです。どうか、受け取ってくれませんか?」

「わかりましたっ。ありがたく使わせてもらいますっ!」


 ヒカリが力強く答えたので、三枝は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます」

「三十五年前の車体ですが、メンテナンスと部品交換は欠かしていないので、問題なく走れます」


 そう言って、三枝はバイクの鍵をヒカリに渡す。ヒカリが鍵を差し込み、スタータースイッチを入れると、一発でエンジンがかかった。ドルルルルッという振動音は濁りがなく、古い車体と言われても信じられなかった。


「すっご。新車みたいっ」

「三枝さん、本当にありがとうございます。私達、このバイクで綺麗な景色を見てきますっ」


 三枝はコクリと頷いた。


「千佳もきっと喜びます」


 海羽達はテントを片付けると、三枝に別れを告げる。


「三枝さんのお話を聞けてよかったです」

「バイク、大切にしますねっ」

「僕も君たちに出会えて良かったです。良い旅を」


 海羽はヒカリの後ろに座り、ヒカリの腰に手を回す。


「海羽、ちゃんと掴まった?」

「うん」

「じゃ、行くよっ!」


 ヒカリは、クラッチレバ―を握ると、ギアを入れる。スロットルを回しながら、ゆっくりとスピードを上げていくと、キャンプ場から出発した。

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