第11話 香川
昼近くに高松駅へと到着する。駅舎の外観は洗練されていて、海羽が抱いていた地方の駅というイメージを覆した。
「師匠。見て見て。あそこ顔が描いてあるっ。かわいーっ!」
駅舎に描かれた可愛らしい顔を指しながら、ヒカリがはしゃぐ。
「それよりお腹が空きました。イタリアンとかないですかね?」
玲奈の言葉を聞いて、ヒカリが信じられないといった顔をする。
「旅先でその土地の名物を食べないとか、マジ有り得ないからっ。香川と言ったらうどんに決まってるっしょ」
ヒカリの言葉に、玲奈は嫌そうな顔をする。
「うどんなら、昨日も食べたじゃないですか」
「伊勢うどんと讃岐うどんは全然別だからっ。ノーカンッ」
「別行動でもいいですよ?」
「いやいやいやっ。また撒かれたら困りますっ! お二人から離れませんからっ」
「じゃ、うどん屋へゴーッ!」
駅の近くで評判のいい店に入る。セルフサービスらしく、各々自分好みのうどんを楽しんだ。
「黒川さんは、どうして香川に来たかったんですか?」
「お二人は当然、SNSもスコアに影響するのを知ってますよね?」
「そりゃまぁ」
「香川県の父母ヶ浜(ちちぶがはま)が凄い絶景スポットなんです。ここで映える写真を撮れれば、次の更新時に。ふっふっふ……」
傷心旅行ってそういう……。
海羽は呆れながらも、玲奈の逞しさを尊敬する気持ちを否定できなかった。
高松駅から詫間駅へと電車で移動し、詫間駅からタクシーで父母ヶ浜へと向かう。
駐車場から浜辺へと向かうと、入場規制の看板が掲げられていた。
「あれ? 閉まってんじゃん」
「私が貸切にしましたから」
そう言って、玲奈は中へ進んでいく。
貸切? そんなことできるの?
「何やったのよ……」
「政府の機密行動ということにしました」
「そんなことして大丈夫なんですか?」
玲奈は下手くそな口笛を吹いて誤魔化す。
やっぱり、尊敬しちゃダメかも……。
父母ヶ浜が視界に入った途端、海羽は感嘆の声を漏らした。空が水に溶け出したような、澄んだ青色がどこまでも広がっている。海水が黒くないのは遠浅だからだろう。
海水に雲と太陽が写し鏡のように浮き上がっている。それだけここが綺麗な海ということだ。
「干潮時には、海水が溜まった場所が地上の光景を映し出すそうです。まるでウユニ塩湖のように。夕暮れと重なると、幻想的な光景になるとか。調べたら、今日はちょうど夕暮れ時に干潮するようです」
「え? もしかして夕方まで粘る気?」
「当たり前じゃないですかっ? なんのために移動中に、文書を捏造したと思ってるんですかっ」
「堂々と言っちゃったよ、この人……」
ヒカリが呆れて肩を落とした。
「でもこんな景色なかなか見れないよ。せっかくだし、満喫しよう?」
海羽はヒカリに提案する。
「じゃあ、レジャーシート買ってこようか。あっちにお店あるっぽいし」
海羽とヒカリがお店に向かう中、玲奈はシビルバンドで写真を撮り始めていた。
海羽とヒカリはレジャーシートに並んで座り、潮の満ち引きを眺めている。海羽はシビルバンドで父母ヶ浜の歴史を調べ始めた。
「ここって、昔はゴミでいっぱいで、埋立地になる予定だったんだって」
「えー。こんな綺麗な浜辺なのに?」
「地元の人たちが、毎日ゴミ拾いをして少しずつ今みたいになったみたい。それで、埋立地になる計画も無くなったって書いてある」
「はぁー。じゃあ、この光景は、地元の人たちがバトンを繋いできてくれたおかげなわけだ」
「そう考えると、目に映るよりも、もっと綺麗に見えるね」
海羽がシビルバンドを操作すると、母からのメッセージが50件以上来ているのが視界にがいった。見た瞬間、海羽の胸がチクリと痛む。
「どうかした?」
海羽の表情の変化に気づいたヒカリが尋ねてくる。
「お母さんからの連絡、ずっと無視しちゃってるなって。今夜、もう一度連絡したほうがいいかも」
海羽の言葉を聞いて、ヒカリもシビルバンドを操作する。
「家族からは全然連絡来てないや。……げっ。悠真のやつ、100回以上電話かけてきてる」
「悠真くんは、本当に九条さんのことが好きなんだね」
「本人は隠してるつもりっぽいけどね。視線とかでバレバレだっつうの」
「いつからの付き合いなの?」
「中学からかなぁ。何かとあたしに突っかかるっていうか、スコアで勝とうとしてきてさ。L.I.Q.の結果が発表されるたびに落ち込んでたなぁ」
「悠真くんってスコア高いの?」
「確か、7000くらいだったと思う。ってか、師匠やけに気にかけるじゃん」
「それだけ誰かをがむしゃらに想えるって凄いなと思って。黒川さんもやってることは滅茶苦茶だけど、恋愛ってそんなに人を動かしちゃうんだなぁって」
「恋愛に振り回される人は、バカだよ。大バカ」
小さな声で、でも力強い調子で、ヒカリは言い切った。一緒に行動するようになってまだ日は浅いが、ヒカリがそんな風に誰かを悪く言うのは珍しい。海羽は気になったが、ヒカリのどこか遠くを見るような瞳が気になって、口にすることは憚られた。
「それよりさ、新しいギャグ思いついたんだけどっ!」
そう言って、ヒカリは立ち上がると、潮が引いて海水が溜まった潮溜まりへと走る。潮溜まりにヒカリが写り、まるでヒカリが二人いるみたいだ。
「スコア9999の女が倍で、スコアの限界突破っ!」
「……」
どうしよう。果てしなく面白くない。
ヒカリが満面の笑みで近寄ってくる。
「ねぇねぇ。どうだったっ? 父母ヶ浜でしか出来ないとっておきのギャグだと思うんだけどっ!」
――あたしの金の卵が……。
――相方がしょーもないことを言ったら、ズバッと言ってやらんと。
天音さん。私には無理です……。
「インパクトがあったよ……」
陽が沈み始め、オレンジ色の光がヒカリの顔を照らす。逆光となって、海羽からはヒカリの表情が見えなくなった。
「師匠……。あのさ――」
「お二人ともーっ! 撮影の時間ですーっ! 私を撮ってくださいーっ!」
海羽は立ち上がると、レジャーシートを急いで畳む。
「九条さん、行こう」
「う、うん……」
そこから、海羽とヒカリは玲奈の撮影会に、陽が完全に沈むまで付き合わされた。
タクシーで一〇分ほど移動して、宿に着いた。ゲストハウス形式で、丸々一棟貸切りのようだ。
地元の幸をふんだんに使った料理を三人で食べているが、いつもと空気が違うことが海羽は気になった。
「いやー、二人のおかげでフォトジェニックな写真がたくさん撮れましたよー。これでSNSで確実にバズれますー。次のスコア更新が楽しみれすー」
「……」
ワインを飲んで、普段より饒舌になってる玲奈は、まぁ想定の範囲内だ。だが、そんな玲奈に対し、ヒカリが無反応すぎる。
料理への感想も口にしないのが気になる。普段なら率先して食レポをするのに。
「九条さん、調子悪い?」
「……別に」
ヒカリは海羽の方を見ようともしなかった。海羽は、父母ヶ浜の時のヒカリの様子を思い返すが、あの時は普段通りだったはずだ。そういえば、ギャグの後、何かを言いかけたような。
「なんれすかー、二人とも静かにご飯食べてーっ! どうすれば私が素敵な恋をできるかを話し合ってるっていうのにーっ」
いつ、そんなことに?
「そもそも二人は、人を好きになったことあるんれすかー?」
「恋愛という意味なら、私はないです」
それを聞いて、玲奈は爆笑する。
「恋愛を知らないなんて、お子ちゃまれすねー。ヒカリさんはどうなんれすかー」
黒川さんって酔っ払うと、さらにめんどくさいな……。
「……恋したことくらい、あるよ」
海羽は、その言葉を発したヒカリの表情が苦々しいものであるのが気になった。
玲奈がワインをグイと呷る。
「きっと上手くいったんれしょうねー。スコアが高い人は羨ましいれすー」
だが、ヒカリはこれまで付き合ったことはないと言っていた。それが本当なら。
「黒川さ――」
海羽が玲奈を止めようとした時、ヒカリのシビルバンドがけたたましい音を鳴らした。ヒカリがシビルバンドを確認すると、顔が歪む。
「また悠真……」
「彼氏れすかー? いちゃついていいれすよー。勉強させてくらさいー」
「ちがっ! はぁ……」
ヒカリが応答すると、早瀬の大きな声が部屋に響く。
「ヒカリッ! ずっと無視しやがってっ!」
「通知切ってるから」
「話があるんだっ!」
「あたしは悠真と話したいことなんてない」
これまで以上に冷たい態度であしらうヒカリの態度を見て、海羽は流石に早瀬に同情してしまう。
「時間がないんだっ。頼むっ!」
「もうかけてこないで」
ヒカリは早瀬の頼みを無視して、通話を切った。
「九条さん……。少しは話聞いてあげても――」
「師匠だって、お母さんと話したくないでしょ。それと一緒だよ」
ヒカリは海羽を見ることもせずに、ぶっきらぼうに口にする。
「っ……」
「ツンデレってやつれすかー? やりますねぇー」
玲奈はグラスに赤ワインを並々と注ぐと、景気良く飲む。
「黒川さん、飲み過ぎです。それに九条さんは――」
海羽の言葉を遮るように、ヒカリが立ち上がる。
「あたし、もう寝るね。おやすみ」
そう言って、二階へとすたすたと上がっていってしまった。
「おやすみなさーい」
ヒカリは明らかに何かを隠している。だが、海羽はヒカリに踏み込んでいいのか、わからなかった。
こういう時、どうするのがいいんだろう。
晩酌を続ける玲奈を置いて、海羽は湯浴みを済ませると、涼むために外を歩くことにした。
九条さんの様子が変わったのは、私のせいなのかな……。
――師匠だって、お母さんと話したくないでしょ。
ヒカリの言葉が胸に棘のように刺さって痛む。
ヒカリの心に踏み込むなら、自分は母親と話し合うべきだ。海羽はシビルバンドを操作して、母親に電話をかけると、ワンコールで母親が応答した。
「海羽ちゃんっ? どれだけ心配してると思ってるのっ?」
「ごめんなさい。でも、友達と旅行してるだけだから」
「海羽ちゃんを警察に保護してもらおうとしたら、誰かに邪魔されて関われないって言われたのよっ? それなのに、ただの旅行で済むはずないじゃないっ!」
行動監理官の仕業だ。もしかしたら、久我とかいう黒川さんの上司かもしれない。それよりも。
「家出したわけじゃないんだから、警察に相談しなくたって」
「海羽ちゃんはまだ子供なのよ? お母さんには、あなたを守る責任があるのっ」
母親の言葉が、重くのしかかる。まるで自分が間違っているとでもいうかのように。
「ちゃんと家に帰るからっ。少しくらい……。少しくらい認めてよっ」
海羽はそれだけ口にすると、通話を切った。母親の反論を聞く勇気が出なかった。
「はぁ……。こんなの、話し合ったって言えないよ……」
海羽は俯きながら宿へと戻るが、その途中、喘息の咳が出た。
「コホッ。コホッ。旅に出てから毎日の吸入やってないから、息が苦しいや……」
*
二十三時。霞ヶ関にあるL.I.Q.庁のオフィスビル内で、一人の男性がパソコンのモニターを忌々しげに見つめていた。
モニターには、夕陽に照らされて、満面の笑みを浮かべた玲奈が映っている。
「やはりスコアの低い人間は信用できん……」
男は漆黒のシビルバンドを操作し、自身のスケジュールを確認する。
「明日の予定を動かすことは流石に厳しいか。だが明後日なら……」
男はパソコンで、出張届の作成を始めた。
「スコアの寵児が、L.I.Q.制度に違和感を持つことなど決して許されないぞ」
*
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