【完結】春休み、ボク、ダンジョンに行きたい! いじめられっ子巫女がんばる!(だって戦闘巫女♀←♂)

夏風

1 ボク、ダンジョンに行きたい

「ボク、ダンジョン行きたい!」


 剣奈が突然そんなことを言い出した。今は来国光が出会った年(剣巫女元年)の翌年の春休みである。剣奈自身がなぜそんなことを思いついたのか本人にも全く自覚はない。しかし剣奈は唐突に思ったのである。ダンジョンに行かなくてはならないと。


 ではなぜ剣奈が「ボク、ダンジョン行きたい!」と叫んだのか?ただの思い付きだったのだろうか。剣人ワールドの炸裂だったのだろうか。

 いや、それはただの思いつきではなかった。それは彼、いや彼女の幼い心の奥底に、いつの間にか積み重なったさまざまな思いの蓄積がそう叫ばせたのだ。無意識の想い、それがまるで、「私に気づいて」と請い願うようだった。


 剣巫女二年の春休みである。来国光と出会ったあの熱い夏から、もう半年以上が過ぎていた。剣奈は知らず知らずのうちに、日常の隙間にぽっかりと空いた穴を感じていたのかもしれない。

 東京・吉祥寺での転校。男子だった剣奈が女子として生きていくために必要なことだった。しかし剣奈は新しい学校でいじめを味わう。


「ボクの居場所なんて、どこにもないんじゃないか」


 そんな風に思い詰めてしまった時期もあった。心の奥が寒くなった日々。母・千剣破ちはやが薦めてくれたとあるダンジョン冒険の物語が彼女の心の慰めになった。しかし読書アプリのキンボルを読み終えると現実がすぐに迫ってきた。

 姉と慕う玲奈の魂の消息は途絶えたままである。玲奈は桃林大学病院の第三病棟五階、神経内科病棟の静かな個室で眠り続けていた。

 剣奈は日課のように病院に通い続けた。ベッドの脇には、電子モニターの小さなランプが規則正しく点滅を続けていた。部屋の外では看護師たちが静かに行き交っていた。病棟全体には緊張と安寧が同居していた。

 医師たちは日々、玲奈のカルテと脳波モニターを細かく調べていた。しかし昏睡の理由を誰も説明できなかったのである。


 当然である。玲奈の昏睡の理由が現代医学でわかるはずがない。彼女の昏睡は従来の学説を大きく変える症例なのである。

 玲奈の魂は「贄の道」を経た闇坂村の邪気に囚われたのである。剣巫女元年八月末のことである。剣奈はそれから時間を見つけては玲奈の手掛かりを探り続けた。玲奈の恋人藤倉、剣奈の祖母千鶴、母千剣破も必死に手掛かりを探した。しかし今になっても玲奈の意識は捉われたままなのである。


 今日も剣奈は千剣破とともに吉祥寺駅から小田急バスに乗って桃林病院にやってきた。玲奈の部屋に入ると剣奈は小さなノートとぬいぐるみをそっと枕元に置いた。


「玲奈姉……大丈夫?今日からボク、春休みなんだよ」


 剣奈は玲奈に話しかけた。どれだけ話しかけても玲奈はただ静かに目を閉じたままである。静かに呼吸を続けているだけである。


「ふぅ」


 千剣破はそっとため息をついた。玲奈が意識不明状態になってもう七か月になろうとしていた。それまでにかかった費用は千剣破にとって大きな負担となっていた。医療費は月十万円ほどかかっていた。しかも個室での入院である。千剣破は共同病室での入院で大丈夫と主張した。

 ところが。


「全く原因不明の昏睡状態です。確かに身体は異常がないです。けれど玲奈さんの脳と身体が一分一秒でも安らぎの中にいなければ、回復の可能性が失われる可能性があります」


 医師はそう説明した。千剣破はその言葉を覆す説明を持たなかったのである。

 玲奈は剣奈の命の恩人である。玲奈が身を挺して異世界へのゲートを開かなければ、剣奈は今ここにいないのである。

 しかも剣奈や玉藻から聞いた話は壮絶であった。闇坂村で玲奈は筆舌に尽くしがたい凌辱を受けたのである。身体も心も踏みにじられたのである。

 

 闇坂村の村人たちは嗤いながらそれを行った。玲奈の心と身体を傷つけ、踏みにじった。懇願する玲奈を嘲笑いながら凌辱を続けた。気絶した玲奈は何度も頬を張られて意識を呼び覚まされた。その上でさらに苛烈な責めを加え続けられたのである。鬼畜である。

 もし玲奈が間に合わなければ、それは剣奈が受けていたはずの凌辱である。

 

 恩人の玲奈を粗略に扱うわけにはいかなかった。それでもこれまでの医療費、部屋代などの総合計は六百万円に届こうとしていた。入院費は月ごとに病院から請求があった。四百万円程は玲奈の恋人の藤倉が病院に払ってくれていた。二ヶ月分を藤倉が支払い、ひと月分を千剣破が支払うという分担であった。千剣破は全額自分で支払うと言ったのだが、藤倉が受け付けなかった。全額を自分で支払うと主張したものの行政書士の千剣破には厳しい負担だった。そこでありがたく藤倉の提案を呑むことにしたのである。


 千剣破はつくづく思った。玲奈を久志本家の養子にしておいてよかったと。家を飛び出した玲奈である。国民健康保険には加入していなかった。千剣破が玲奈を養子にしたのが八月上旬である。意識不明になったのが八月下旬である。

 もし国民健康保険への加入が遅れていれば……千剣破はゾクリと肩を震わせた。


「お母さん寒い?お部屋に暖房は聞いてるけど、まだ外は寒かったもんね。ボクの上着着る?」


 剣奈が身震いをした母を気遣った。


「あ、ううん。いいの。どうしてかしらね。ちょっとぶるっと来ただけ。ちょっとお手洗いに行ってこようかしら」

「もう。お母さんったら。いつも出掛ける前にちゃんとしておきなさいって言ってるのお母さんなのにぃ」

「え、ええ。そうね。お母さんもちゃんとしたのよ?でも、外が寒かったからかしらね」

「えへへ。確かにちょっと寒い風が吹いていたね。ボク、玲奈姉見てるよ。お母さんいってらっしゃい」


 千剣破は別にトイレに行きたかったわけではない。けれど玲奈の医療費を思って身震いしたなんてことは口が裂けても剣奈には言えなかった。

 千剣破は静かに立ち上がり、病室のトイレのドアをがらりと開けた。


「クニちゃ、ボク、ダンジョン行きたい!」


 一人になった剣奈はいきなりそう言いだしたのである。



 ――――――

 

*「玲奈の凌辱」「贄の道」:『赤い女の幽霊 第二章』「2-14 緋き結び目と淫獄への扉 」「2-15 絶望に堕とされた魂、砕かれた身体 緋縄の檻にて 」に詳細。R15ではありますが女性がひどい精神的・性的暴力を受ける描写があります。閲覧しなくとも「玲奈がひどい暴力を受けた」「時空間を繋ぐ「贄の道」が存在する」それだけ理解していただければ十分です。

 

*「クニちゃ」:剣奈の心の友、相棒。意思をもつ霊刀「邪斬・来国光」。「来国光」については本シリーズ「本編」と位置付けている『剣に見込まれヒーローに(♀)乙女の舞いで地脈を正します』「8 来国光」に。

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