大公立志伝  天狗の章

みょ~じ★

第1話:地割れ×落下×謎の美女

 2037年9月3日、かねてより警戒されていた南海トラフ巨大地震は、ついに発生した。だが、意外なことに被害はそこまで大きくはなかった。もちろん、皆無というわけではないのだが、2025年の参議院選挙から始まった左翼勢力の衰退によって日本政府が本来の実力を発揮したからだ。迅速な自衛隊の出動や耐震構造の研究などの甲斐あって、大津波も発生した規模の割には、東日本大震災はおろか阪神大震災を下回るほどの奇跡的な被害の少なさとなった。

 だが、先程書いた通り経済的被害や人的被害も皆無ではない。ここに、地割れに飲み込まれて落下した、ある青年の末路、そしてそこから発生した歴史的差異のあった世界を語りたいと思う……。


「あでで……。……あれ、生きてる」

 地割れに飲まれて落下したある男性が落着した場所は、関東平野のどこかであった。先ほどまでいた家の中とは違い、妙に閑散としている。家は無事か、無事なわけがないとは思うがそれなりの被害で済んでいるか、確認しようとした男性は……意外なことにそこまで損傷していなさそうな家を見て、安心した。さすがに、耐震設計をしっかりした甲斐はあった、と。だが、妙だ。周りの家がない。いや、家どころか周りには建物があまり存在していない。妙だ。ここ武蔵野台地には色とりどりの商店街もあったのに。地震で全部倒壊したのか。でもそしたら自分の家だけ無事なのも妙だ。考え込んでいると、何やら周囲が騒がしい。地震で混乱した民衆が暴徒にでもなったか。いや、それにしては……。

「……なんだこれ」

 トンネルを抜けたら雪国だった、は確か川端康成だったか。それはどうでもいい。それっぽく表現するならば、地割れに落下したら見知らぬ地平が広がっていた。

 さきほどまでのコンクリートジャングルは地震でつぶれたからだろうか、その欠片すら存在しなかった。

 そして、しばらくぼうっとしていたら、妙な臭いがした。最初は違和感しかない臭いだったが、脳髄にその臭いの情報が入り込んで、彼はぞっとした。

 血だ。血の臭いが、多数。地震で死傷者がいるからか。周囲を見渡す。何もない。なら傷を負ったからか。確認してみたが、自分に負傷の形跡はない。

 じゃあ、どこからだ。……眼下で、何やら騒ぐ声がする。自分は運良く、山やそのふともにいたからだが、眼下の、つまりは山の下では何か争いごとが起きているようだ。

 地震による移民の暴動か。だが、移民事業ならばだいぶ前に、年単位は昔に店じまいしたはずだ。じゃあ、なんだ。

 目を皿のようにして見つめるが、さすがに遠すぎてわからない。だが、活気がある、というよりは暴力沙汰がある、といったほうが正しいような騒がしさだ。

 しばらく山の下には下りない方がいいだろう。そう考え、後ずさりし始めると。

「おい、何者だ。そこでなにをしている」

 妙に甲高い、女の声だ。婦警だろうか。口調こそ早くないが、威厳をもって当たっているのならば、それなりに効果もあるのだろう。

「何者も何も、地震で割れた地面に落下しただけで……、病院はどこですか?」

「病院?」

 振り返ると、年齢のせいだろうか……若干くたびれた美女が、眼前に立っていた。

「病院が何かは知らんが、どこも怪我はしてなかろう。それとも、初陣で腰でも抜かしたか」

 くたびれた美女が、あきれ顔でこちらを見ている。そんなに変な恰好なのだろうか、多少埃や煤けた跡くらいは存在するかもしれないが、今の自分はそもそも地割れで落下してきたのだ。不思議と外傷はないが、それでもとんでもない高さを落下したことを考慮したら、普通病院に連れて行ってもらえると思うのだが。彼はそんなことを考えていた。だが、謎の美女は矢継ぎ早に次の質問をする。

「いや、確かに外傷はないかもしれませんが……」

「そんなことより、誰だお前は。見たところ、髷も結ってなければ足軽でもなかろうし。雇われ人足か?」

 彼には人足という言葉の意味がわからなかったのか、それでも「誰だ」という問いに対して、マイナンバーカードを見せながら、必死に訴えた。

「(人足?)……あー、僕、太田垣って言います」

「……太田垣だと?」

 そして、彼が太田垣という名前を名乗った瞬間、美女は怪訝そうな顔をして、考え始めていた。

「はい。太田垣、次郎です」

「……そうか、太田垣か。……妙だな」

 ぶつぶつとつぶやき始めた謎のくたびれた美女、どうやら彼女は太田垣次郎の名字に何か思うところがあったのか、彼を逃がさないように視界に入れつつもしきりに考えを張り巡らせ始めた。

「はい?」

「なんで但馬の太田垣氏がこんなところにいる。嘘だったら下手な嘘だし、本当だとすれば本当になぜこんなところにいるのやら……」

「あのー……」

 そして、次郎が美女に呼び掛けたら、ようやくといった態度で、今気づいたかのように返答した。

「ん? どうした。太田垣の手の者であれば、身構える必要もあるまい。確かに先の乱では敵同士ではあったが、別に今茶々丸側についているわけでもないのだろう。……何でわかるのかとか言いたそうだな。いちいち説明するのも面倒だが、そもそもこんなところに太田垣の手の者が茶々丸側についていることはかなり無理のある推定だからな。

 それに……」

「それに?」

「そもそもおぬしからは人殺しの臭いがしない。初陣で怯えて逃げたのならば、まあわからんでもないが」

「ひ、人殺しって……」

 若干、引き気味な態度をとる次郎、彼からすれば眼前の美女は若干の電波系に映っていたようで、少し後ずさりし始めようとしていた。だが。

「とりあえず、ついてこい。こんな山中に居ても、熊に食い殺されるぞ」

「えっ」

 そして、次郎は美女に連れられるまま、山を下りて行った……。

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