パンと夕陽

朝吹


 何度も届く、集団見合いの催告さいこく通知を無視できなくなった俺は、その日、女子収容所に向かった。


「過去形、ですか」


 レタスと揚げじゃこの前菜を食べていたルイは箸を動かす手をとめた。独り暮らしの部屋に用意したルイのための椅子は、インテリアの中で浮いている。というか、ルイの存在自体が浮いている。

「部屋に女の子がいるだけで、照明が一段階、上がった気がする。碁石の中にさくらんぼが一粒、混じってるっていうか」

「その前の話です。美しかった、と」

「俺、なんの話をしてたっけ」

「新政府がわたしたちに伝えたいのは、きっと、世界はとても美しかったということ。ザイさんは今、そう云ったんです」

「うん。昔の世界に戻したいんだろう。政府の方針が目指しているのは、大昔の家族形態の復活だから。国を挙げてね」

 ぱりぱりと音を立てて、ルイがレタスを食べる。あっという間に皿がからになってしまう。

「人工授精で子どもが増えたわりに、異性に興味をもたない子どもが続出で、人口は結局、右肩下がりのままでしたもんね」

「国内で勃発した有事がそれにとどめをさした。それで施行された法律が、独身禁止令。二十五歳を目安に、強制的に家庭を持つこと」

「おかげで、こうしてザイさんと出逢えました」

「そうだね」

 これがいいことなのか、悪いことなのか、倫理的にどうなのか。

 それは俺たちが考えることじゃない。



「わあ、夕陽がきれい。線香花火の終わりの玉みたい」

「遮蔽物のない上階だからあえてカーテンはつけてないんだ。眩しくて悪いね」

「河が、あかい蛇のようです」

「あっちの部屋の窓からは、この先の海にまで流れが続いているのが見えるよ」

「ザイさん」

「なに」

「一緒に食べましょうよ」

「ちょっと待って。あと少しで出来上がる」


 俺はさっきから台所でフライパンをふっている。炒め物の音がうるさくて、ルイの声がききとりにくい。


「ザイさんは、どちらに見えているんですか」

「なにが」

「世界が美しいか、美しくないかです」

「どっちだと思う」

 料理の仕上がりに合わせて、温めていた味噌汁の鍋も火をとめた。

「回答します。美しい」

「ルイちゃんがそう思うなら、そうなんじゃない」

 しまった。

 俺はひやりとする。塩を振りすぎたからじゃない。

「あーごめん。今みたいな俺の返事は投げやりにきこえると、今までの女の子からよく怒られてた」

「大丈夫ですよ」

 ルイは気にした風もなかった。

「世界は美しい。ザイさんはそう云うはずです。少なくとも今日のところは」

「それは、なぜ」

 コンロの近くに用意していた楕円形の大皿の上にフライパンの中身を移す。

「女の子を前にして、まさか世界は真っ暗だなんて云えないでしょう」

「なるほどね」

 ルイの分の味噌汁はマグカップによそった。

「食器が一組しかない。君の分の食器を、買わないとだな」

「もったいないからいいですよ」

「お待たせ。えびときゅうりの翡翠炒め。それと、なすの味噌汁」

「すごい。ザイさん料理上手。めちゃくちゃ美味しそう」

「嫌いな食べ物あったっけ」

「好き嫌いはありません」

 ルイは白ワインの入った切子きりこグラスを掲げた。食前酒がわりに出しておいたものだ。

「このワインも美味しいです」

「グラスだけは奇跡的に家に二つあるんだ」

「今日はとても美しい一日」

「ここから見える夕陽はきれいだと、みんな云うね。俺はもう見慣れちゃったけど」

「夕焼けのことじゃありません」

 髪も、その眸も、ルイは色素が薄い色をしている。 

「ザイさんが、わたしを選んでくれたからです」

「ルイちゃんこそ、俺を選んでくれてありがとう」

「今日から三ヶ月、よろしく」

 俺とルイは切子グラスを軽く合わせた。こん、と音がする。

 どうにもこういうのは苦手だ。何度繰り返しても。

 見合い会場は女子収容所のアリーナだった。そこに呼び集められた大勢の女の子の中で、壁際の隅っこのほうで、何故かひとりだけ天井を見上げていたのがルイだった。



 彼女を。

 俺は、壁際のルイを指名した。九二番のあの子を。もしよければ。

 俺の資料をあの子に渡して、あの子が了承してくれたら。

 家に連れて帰る。



「特殊な事情をのぞき、独身禁止。借り腹や精子バンクへの代替も不可。自主的に相手を探さない者に対しては、定期的なお見合いとお試し同居の義務づけ。莫迦みたいだよな」

「仕方がありませんね」

「この法令の安心要素としては、試験的に何度か同棲が出来ること、無理やり結婚させられるわけではなく、気に入らない相手に対しては拒否権があること。また、めでたく夫婦関係に移行した男女の幸福度はアンケートによると、そこそこ数値が高いらしいこと。だから、まあ、我慢して」

「我慢なんて」

「厭なことは厭と云っていいし、お互いうまくやっていこう」

「はい」

「食べようか」

「同居開始ですね。安斉秋良あきらさん。どうして『ザイ』なんですか」

「教育機関に通っていた頃、あきらと呼ばれる男が他に二人いたから。そのせいで俺は昔からザイと呼ばれている。君のことはルイちゃん呼びでいい?」

「はい」

「それともルイさん」

「好きな呼び方でいいですよ。本名です。留守番の留と、ころもと書いて、留衣。ザイさんはわたしのどこが気に入ったんですか」

 腹が減っていたのか、ルイは「美味しい、美味しい」と云い、もりもりと俺の作った料理を食べている。

「他にも、いい子や可愛い子、いっぱいいたでしょう」

「いたいた」


 まさか、云えない。

 君が残りそうだったから、なんて。




》Ⅱ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る