第2話 

 さしあたって、まずはこの家の話をしなければならない。

 この家の所有者は畝本大三郎うねもと だいざぶろうという。

 毎年納税額のトップを突っ走っていた実業家である彼の名を知らない者はほとんどいないだろう。

 売れっ子の芸能人でもあった彼は、テレビをつければ毎日その顔が嫌でも目に入り、街を歩けば彼が買収した会社の製品が軒を連ねていた。まさに彼の天下だ! 実質的に、彼は国を動かしていた。


 そんな絶頂期、彼はある小さな家を購入した。

 家と言うにはあまりにも無機質なその平たい長方形の塊は、窓もなく、外から眺めればただ小さな扉がついているだけの箱であった。

 当初、その長方形は10帖ほどの大きさだったらしい。

 対爆ドアを開けるとエアロック室があり、その先に耐圧ドアがある。靴を脱ぐためのスペースであるシューズクロークとベッドルームはカーテンで仕切られ、部屋の隅には不透明なアクリル板で区切られたユニットバスもある。

 そう、これはただの家ではなかった。核ミサイルをも防ぐシェルターだったのだ。

 とあるバラエティー番組で「何故シェルターを買ったのか?」というキャスターの質問に対し、畝本は「日々壊れゆく地球と、止まぬ戦争で疲弊していく人々を憂いていたから」と答えた。

 この放送をリアルタイムで視聴していた蒔田は、この言葉に得も言わぬ嫌悪感を覚えた。

 まったくもって理解しがたい。地球を憂うなどと宣っておいて、結局自分ひとりだけ助かるつもりでいるのだ。頑丈な棺桶にひとり籠ったところで長く生きていけるわけではなかろうに!

 それからも連日、様々な番組で畝本のシェルターが紹介されていた。

 訪問者が引きも切らない毎日に、この大きさでは狭すぎるとでも思ったのだろうか。

 畝本はある日家の増築を始めた。

 その選択が畝本の、ひいては地球の運命を大きく変えるものだったとも知らずに。

 もとが四角い建物である。簡単な仕事だった。上に横に同じ長方形をブロックのように積み重ねていけば良い。

 地下型にしなかったのは地球環境に配慮したからという言説もあるが、今となっては些細なことだ。

 増築のよりどころは「たくさんの人々が避難できるように」であったらしい。

 週刊誌の噂レベルなので確証はないが、蒔田の畝本に対する好感度は多少上がった。マイナスがゼロになったレベルだが。

 とはいえ畝本を信仰する謎の集団が「畝本様は大層な人望家だったものだから、あらゆる恐怖から自分自身だけではなく、救いを求める人々をすべて救おうとしたのだ」と声高に叫んでいたのには閉口した。神にでもなったつもりだろうか。なんともおこがましい。

 もっとたくさんのシェルターを。もっともっと沢山の人が暮らせるように。

 彼の祈りにも似た強迫観念はとどまるところを知らず、無機質な長方形は日々増えていく。


 この頃から彼の顔をテレビでみかける頻度は極端に減った。

 代わりに、彼の家が毎日ライブ中継されることになった。

 家の中ではない。外である。家の増築が異常な早さで進んでいたのだ。その速さは尋常ではなく、彼の広大な敷地はとうに埋め尽くされ、隣人は早々に逃げ出した。

 されど納税額のトップに君臨し続ける彼にもの申せる人など誰もいない。


 長方形が分裂するように長方形を生み出していくその瞬間を目撃したものも多いだろう。なんせ生中継である。「部屋が自然に増えている」なんて戯言を最初は誰も真に受けなかった。されど自分の目で見たものは信じるしかない。それは人が作れる速度ではなかった。一晩で三つも四つも増えているのだ。一夜城も真っ青の建築スピードだ。

 最早どの業者も介入していないはずなのに、日々部屋だけが恐ろしい速さで増えていく。

 この頃になると、畝本大三郎の気配は完全に消えていた。最早生きているのか死んでいるのかすらわからない。けれど彼の通帳の残高だけは生きていた。

 もとより核をも通さぬ家である。打ち壊すこともできず、ただ指をこまねいている間に日本という国は地図上から半分消えた。彼の家に喰われたのだ。

 幸いともいうべきか、入口だけは増えておらず、一番最初に作られた10帖のシェルターを皆は単に『玄関』と呼ぶようになった。

 海をも呑み込み日々増殖し続ける家に対し、諸国もどうにか家を打ち壊そうと画策したことは想像に難くない。

 結局、どの国も大した成果は出せなかった。

 一時期は中から壊そうという動きもみられた。玄関の中に火を放ったのだ。

 ある勇敢な革命家はシューズクロークとベッドルームを仕切るカーテンに放火したが、インテリアなどの内装が黒焦げになっただけで部屋自体には傷一つつくことはなかった。増築速度は変わらない。焼死体だけがひとつ増えた。黒煙は玄関以外に満ちることはなく、全ての扉を開放しても延焼することはなかった。

 もはや地表が残るは彼の玄関から見渡せる一区画のみ。まるで川の中州のような慈悲のエリアには、土を諦め家に入ろうとする人々で溢れかえっていた。なんせ入口はひとつしかない。牛歩のように少しずつ、しかし確実に家は人々を呑み込んでいく。

 一歩踏み込んでしまえば、そこには国境などなかった。どの扉へ進んでもいいし、ひとつの部屋に籠城してもいい。ここは究極に自由だった。常に新しい部屋を生み出すこの家に領土問題などありえない。衝突したなら新しい部屋に移動すればいい。今この瞬間にも地響きとともに新しい部屋が誕生しているのだから。

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