第2話 中編
何だろう、と違和感を抱いた瞬間。
今度は、はっきりとした破壊音が、辺りに走った。
同時に床が一瞬、ふわりと浮くような衝撃。
きゃーっ、と地下組たちが、互いに抱きついて悲鳴を上げた。
轟音は二、三発響き、不吉な気配を伴って、次第に鎮まった。
「何?」「すごい音がしたね」と地下組が身を寄せ合ってひそひそとささやき合う。怯えの色が混じった空気が場に浸透する。
真優は後輩たちを落ち着かせようと、声をかけた。
「みんなは念のため、部屋に入って待機してて。私は仲間の様子を見に行ってくる」
心配そうに真優をうかがいつつも、全員、素直に従い、その場から退散した。
即座に体の向きを変え、轟音がした方向へ進む。
胸の内を覆う漠然とした恐れが、真優の足を速めた。
走り出す。
なぜだか、とてつもない嫌な予感がしたのだ。
この警告音は、今までになかった。まるで頭痛のようにズキン、ズキンと鳴り響く。
急がなければ。
――何のために?
わからない。けれど、自分は急がなければいけない。
何もかもが、すでに遅いような気がしたからだ。
一階から二階へ階段を駆け上がる。いつも使うエレベーターは乗る気になれなかった。閉鎖した空間に入るのは、現時点で危険な匂いがしたのだ。
二階のフロアには、デュエリストたちのプライベートな自由時間を確保するための小部屋が、それぞれ等間隔に分けられ、憩いの場となっていた。
その場所が今、すさまじい瘴気を帯び、殺伐とした空間と化している。
――これは、一体。
真優の背筋に悪寒が走った。
武器を構え、慎重に様子を見る。
部屋の壁にはあちこちにヒビが走り、誰かの血痕らしき生々しい跡が残っていた。デュエルを毎日行っている真優には、わかる。あれは間違いなく血だ。誰かが襲われ、傷つけられたのか。
――だとしたら、誰に?
『一ツ星』であろうとも、自分たちは一般人より遥かに鍛え上げられた格闘家なのに。
不安は、やがて確信に変わる。
二階の最も広いスペースーーメインラウンジにたどり着いた。
いつもは賑やかな少女たちのしゃべり声に満ちた場が、様変わりしていた。
真優は息を止めてしまいそうだった。
血の気が引く感覚。
思わず出そうになった悲鳴を、何とかこらえる。
目の当たりにした光景は、倒れ伏して苦しそうに身じろぎする、真優の仲間たち。
『一ツ星デュエリスト』の精鋭たちが、全員、完膚なきまでに叩きのめされていた。
床に仰向けの状態で転がされ、虫の息さながら必死に呼吸をする者、折り重なるように倒れ込み、苦痛に顔を歪めている者――数多の怪我人が、真優の目の前で清らかな体を傷に晒している。
「みんな……」
真優は呆然と、かすれた声を出した。
一人に歩み寄り、脈をとる。見たところ、意識を失っている者もいるが、全員の命はあるようだ。その事実に束の間の安堵を覚えつつも、このような目に遭わせた犯人に対する怒りが、胸の内から噴出する。
「しっかり……」
とにかく、助けられる人数を確実に助ける。
長い修行の場で教えられた応急処置を施し、動ける者を奮い立たせ、動けない者を介抱する。
(一体、誰が、こんな)
まさか、使い古された陳腐な台詞を、自分が吐くとは思いもしなかった。
それほどに、今起きている現状が信じられない。
「スタッフに連絡を……」
震える指で、腰帯にしまってある携帯電子端末機を取り出した。
「ま、真優……」
か細い声が自分の名を呼ぶ。日頃から親しくしていた仲間の一人だ。いつもは元気そのものの陽だまりのような彼女が、体中を鞭で打たれたような傷をつけられ、弱々しく上体を起こしている。
「に、逃げて」
告げられた言葉に絶句してしまう。
ずっと、戦うために生きてきた『一ツ星デュエリスト』が、逃げる?
そもそも、どこへ逃げればいいというのだろう。
この世界の、どこに?
果てない疑問を頭の隅に追いやり、真優は仲間に駆け寄った。
「真優、逃げるのよ。私たちだけじゃ、太刀打ちできない」
「どういうこと!?」
彼女の体を抱き起こし、真優は問いかけた。しかし予想以上の深手に、心が痛んで止まなかった。本音を言うと、今にも涙が出そうだった。
真優、と仲間の口が動いたのを最後に、ずしりと体重が腕にかかる。
彼女の意識が途切れたのだ。
あわてて動脈を確認する。不幸中の幸いか、気絶しただけらしい。
彼女をそっと床に寝せて、真優は己の額に手をやった。
対策を。対策を練らなければいけない。
そう考えるほど、ドツボにはまる思考回路が憎らしかった。
ふっと、空気の糸が何かに触れたような、ピンと張りつめた緊張感が走る。
真優は思わず腰帯に手をやり、威嚇の姿勢を取った。
が、現れた二人に、恐怖心が解かれていく。
「真優」
才と、織刃だった。
「才ちゃん、織刃ちゃん!」
真優は思わず二人に駆け寄った。
泣きたいほどに嬉しい。二人は無傷で、無事だった。よかったと思った。視界がにじみ、瞳から涙の粒がこぼれ落ちる。我慢できずに、真優は涙を流した。
「どうしたの? これは、一体……」
織刃が困惑した顔で、真優の方に手を伸ばしてくれる。
ああ、もう安心だ。二人と協力し、この場にいる仲間たちを助けて、運営に緊急連絡を、そして対処を考えてもらおう――。
「二人とも、お願い! 大変なの! みんなが敵にやられちゃったみたいで、怪我人がいっぱい――――うっ!」
腹に入った強い一撃を、真優は防御できなかった。
微塵も思っていない、仲間からの攻撃。
現実が信じられず、才の鉄拳をまともに食らった真優はその場にくずおれる。
脂汗がにじみ、呼吸が苦しい。
うずくまって必死に息をする真優の頭上から、冷たい声が降ってきた。
「織刃ぁ、そんな演技しなくたっていいよ。もうやることはやったんだから」
頭上から降り注ぐ、冷淡な口調。
腹の痛みを懸命に抑え、真優は呆然と仲間の顔を見上げた。
「才ちゃん……? 何、ふざけてるの……?」
息をするのもやっとな状況下、真優の声は震えて力が出ない。それでも言葉は伝わったらしく、才はこちらを見下げる。
そして、告げた。
「別にふざけてねぇよ。最初からお前が」
目にも止まらぬ速さで、くり出される足技。
――ドガッ、と胸の谷間に入れられた一撃に、真優は悲鳴を上げて床へと叩きつけられた。
「ターゲットだっただけ」
これは、何だ。
彼女は、一体誰なのか。
あの優しくて頼もしかった「古城才花」は、どこへ行った?
苦しく咳き込む真優の体めがけて、さらなる衝撃波が襲ってくる。一発、二発と続けて命中し、真優は為す術もなく壁面に背をぶつけて崩れ落ちた。
「織刃もこいつのこと、いたぶっちゃえよー。ストレス溜まってただろー?」
絶望が、真優の心に凶暴なほど爪を立ててくる。
才の顔をした、正体不明の誰かは高らかに笑っていた。
そして、「織刃」と呼ばれた、真優の知らない誰かが、その手に武器を構える。
「織刃ちゃん……」
必死に、真優は仲間の名前を呼んだ。
まだ、引き返せるなら。
あの頃に戻れるならば、もう一度、自分の名前を呼んでほしい。
この奇妙な悪夢は嘘だと、証明してほしい。
向かってくるのは、織刃の身長を越えた長さの
それは意志を持ったように、織刃の命に応じて自由自在に動き回る、まるで蛇のような鞭だった。
織刃はいつも、リング上での試合では優雅に美しく決めるファイトを心掛けていた。
が、今はひたすら真優を苦しめることにだけ注力するように、鞭をしならせている。
抵抗しなければ。
そう思うのに、深い悲しみと虚しさが心を襲い、思うように体が動かない。まだ夢だと思いたいのか、脳が事態を把握するのを拒否しているかのようだ。
才に入れられた一発の重みが、まだ腹に響いている。
何とか上体だけを起こして、この場を切り抜けようとするも、すでに織刃の攻撃は眼前に迫っていた。
激しい一撃が真優の体に走る。
「あうっ!」
間髪を入れず、二撃目、三撃目が連続し、真優のきめ細かい柔らかな肌に傷を作っていく。バシッ、バシンッ、と鋭い音に合わせて体が
まるでダンスを踊らされているように鞭を当てられ続け、真優は力なく喘ぐ。
「あっ……、あぁ……」
執拗に痛めつけられた後、絞め技を決められて、真優は再び床に放り投げられた。
転がり落ち、ボロ雑巾のように扱われた絶望に負け、真優は涙を一筋流した。
「攻撃し返せばいいのに。アホな女」
才の口調は氷のように冷たい。
織刃は何も言わず、真優に背を向けて離れていった。
今度は才が真優に近づく。
こちらを見下ろすまなざしは、信じがたいほどに暗かった。
「もうお前に用はねぇよ」
冷酷な声が降ってくる。
きっと、この人は才じゃないのだ。
織刃も、今は別の場所にいて、ここにいる彼女は偽物なのだ。
そう思い込もうとしても、真優の心には、二人に裏切られたショックが生々しく刻まれていた。
その刻印をつけたのは、紛れもない、彼女たちだ。
「とりあえず、気絶してろ。抵抗されちゃ持ち運びに不便だからな」
――どこへ、連れ去る気なのか。
逃げなければ。
抵抗しなければ。
けれど。
弱々しく体を起こそうとした真優に、無慈悲な攻撃が落ちようとしていた。
その突如。
「どこだぁっ!?」
――空気を切り裂いたのは、聞いたことのない声。
この声は知らない。デュエリストたちの中にもいなかった。
二人の動きが止まる。
続いて建物の破壊されるような、激しい轟音がとどろいた。
まるで土木工事の音を何重倍にもしたような、ひどい響きだ。耳をつんざくほどの破壊音に、真優たちがびくりと震え上がる。
すぐに才と織刃は武器を構え、辺りを警戒した。
「どこだ、どこだ、どこだぁーっ! 私の探していた『ドレス』はよぉーっ!?」
意味不明の単語を叫びながら、破壊音とドスの利いた声は、あっという間に近づいてくる。
鍵のしまったドアが、器具ごと破壊された。
凄まじい音を立てて壊されたドアの向こうにいたのは、見覚えのない
なんて、背の高い人だろう。
真優はその人物に、自分たちにはない特徴を感じ取った。
大女は、呆気にとられたこちらを見て、にやりと笑い、
「見つけた。『ドレス』」
またしてもわけのわからない単語を口にし、現場の状況にかまわず、ズカズカと入り込んできた。
二人が殺気をみなぎらせ、戦闘モードに入る。
しかし、大女は怯むことなく、堂々と近寄る。
「てめえ、誰だよ」
才が凄味を効かせる。口調にはみなぎる殺気。
「ドアを蹴り飛ばした」
織刃がつぶやく。
「あのドアは鋼鉄製で、生半可な力をぶつけただけではびくともしない。――気をつけて、才」
二人はすぐさま相手とのリーチを図る。
「推測はけっこうだが」
瞬間、大女の姿が消えた。
消えたわけではない、と気づくまでに一瞬の時を要した。それほどまでに、彼女の行動は素早かった。
才たちが反撃するより前に、彼女は常人離れした跳躍力で
立ち塞がる敵を、蹴り飛ばすために。
跳び蹴りのスタイルで、彼女はまず才に飛び掛かった。
すぐに防御技をかまえた才に致命傷を負わせることは叶わなかったが、筋肉と筋肉がぶつかり合う鈍い音が続けざまに響き、もれなく才は壁際まで追いつめられた。
大女は真優の近くに留まり、こちらを庇うように立ち塞がった。
「あいにく、私は気が短い。お前たちの相手をしている暇はない」
織刃の鞭が飛んでくる。
ヒュンッ、と大女の頬をかすめた鞭の先。
織刃の攻撃を避けた彼女は、予測もつかない行動に出た。
鞭ごと、片手で掴み上げたのである。
仰天した織刃に、真優もつられて目を見開く。あの鞭は捕まえられるような代物ではない。織刃の意思に合わせ、完璧なコンピューターのごとく動くはずなのだ。その素早さは、人間の視力では追い切れないほどに。
目の前の光景が信じられなかった。
女は織刃から鞭を取り上げようと、力技で自分の方に引き寄せる。
身の危険を感じた織刃は応戦しようとするが、筋肉量で勝てなかったらしい。あっという間に体軸を奪われ、女の間近に引っ張られた挙句に、
「私が欲しているのは『ドレス』だけだ。ここを通せ、
決め台詞とともに、頬を殴り飛ばされた。
そのまま床に放り投げられる織刃。
壁際に迫られていた才が、憎しみのこもった瞳で女を
「誰が雑魚だ、コラァ!」
血走った目で、才が飛び掛かる。
女はニヤリと笑う。
才の回し蹴りがくり出される。
しかし、来ると思った攻撃はフェイントだった。
才は、相手が足技に気を取られたのを見逃さず、グローブをはめた手を女の前にかざした。
衝撃波を出すつもりだ。
真優が言葉をかける隙もなく、鋭い空気の稲妻が走る。
女はまともに食らったはずだった。
しかし――聞こえてきたのは、才を嘲笑う声。
「そのままの意味だぁ!」
まるで楽しむように、女は姿勢をかがめて才の腹に肘打ちを入れ込む。
筋肉のきしむ音。暴力の音。
呻き声を上げた才の体は、織刃のもとまで弾き飛ばされる。
ぶつかり合った二人は、部屋の窓ガラスを突き破って、外の世界に放り飛ばされた。
(才ちゃん、織刃ちゃん)
ひやりとした心臓をなだめて、真優は体を起こす。
こんな目に遭っても、怪我を負った二人が心配だと、そう思った。
食らったダメージは思いのほか大きかったのか、痛みと体の痺れでうまく意識が働かない。
と、大女が颯爽とこちらに近づいてきた。
ヒョイッ、と真優の胴体に手を回し、肩に担がれる。
「わっ」
悲鳴を上げかけた真優にはかまわず、女は意気揚々と窓の外のバルコニーまで躍り出る。
外では、二階から地上に落とされた才と織刃がいた。
二人の様子を見、大女は「ガハハハ!」と豪快な笑い声を上げる。
「私の愛しき『ドレス』を傷つけた報いは受けてもらったぞ!」
下から、二人がこちらをにらみつける。
彼女は動じず、むしろさらに笑い声を大きくさせ、
「愚民どもぉ!!」
と、獣のように咆哮した。
二人は目を白黒させ、呆気に取られていた。
女の罵声は止まらない。
「よく聞けぇ! 愚かで弱い愚民二人!」
二人を見下す発言に、才と織刃の目が吊り上がっていく。
しかし大女は気に留めることなく、続きを豪語した。
「私は貴様らの敵ではない!」
彼女の放った宣言は、真優のみならず、二人の表情も呆けさせた。
女はふっと笑い、愉悦を含ませた口調で言い放つ。
「しかし味方でもない!」
相反する二つの言葉に、開いた口が塞がらない。
誰もが彼女の一挙手一投足に水も差せず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「だが、これだけは約束してやる! 心して聞くがいい!」
まるで大音量のスピーカーが用意されているかのようだ。彼女の肺活量は一体どうなっているのだろう。
思わず、現状と関係のない些細なことを考えてしまう。
女は演説を続けた。
「これから先、貴様らが望むと望むまいと関わらず、力ずくで、この底なし沼から!」
彼女が片手を前方に掲げる。
その大きな手で、握りこぶしを作り、
「必ず、貴様らを!」
実に溌溂とした声を、
「この手で!」
その場にとどろかせた。
「
耳に響いた言葉は、それが最後だった。
意識が遠くなる。
とてつもない疲労感に襲われ、真優は正体不明の大女に担ぎ上げられたままの格好で、意識を手放した。
☆
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