第四話 「王としての覚悟」
荒野の夜空を、三つの影が静かに滑っていた。
満月が、彼らの行く先を妖しく照らしている。
やがて、目的地である『ウィルダネスウルフの根城』の上空に辿り着く。
「レイ。俺はこれより――人類を滅ぼそうと考えている」
クロの声が、月光を割るように落ちてきた。
「……承知しております。ガイアの意思は、惑星上のゴミを一掃するための使徒を選ぶと聞いておりますから」
「理解が早くて助かる。さて……俺たちの足元に群れている四足のケダモノたち――
利用価値はあるか? もっとも、使役する気は毛頭ない。喰うつもりだ。他者に従属させられた魂ごと、な」
レイは笑った。冷たく、静かに。
「……それならば、ぜひご覧いただきましょう」
レイの視線が地表の一角にある古びた小屋を捉える。
「ウィルダネスウルフは縄張り意識が強く、飼い主の近くから離れません。あの小屋の半径1キロ以内に全てが潜んでいるはず。今回は小細工も必要ありませんね」
レイは指先をかざし、呟いた。
「――黒炎」
小屋の屋根が、ボウッと音を立てて黒く燃え上がる。
そのまま、レイは地上へと降下する。
「黒爪壁・円」
刹那、小屋の周囲500メートルを取り囲むように、漆黒の壁が噴き出すようにそそり立った。
「……はあ、はあっ……なんだよ、クソが……!」
中から現れたのは、中肉中背の男。
ウルフの皮をそのまま纏ったような粗野なベストを着込み、手には血の滴るカラス肉の山賊焼き。
「せっかくの晩餐会が台無しだ……!」
レイの足元から、黒煙のような覇気が立ち上る。
「……忌々しい」
その眼差しは、すでに人を見ていなかった。
ただの害獣を、処理する冷徹な狩人のような顔。
「な、なんだ……こいつは……?」
男の目に、レイの姿が映る。
何か異形の王――否、神罰そのものに思えた。
昼間、喰らい尽くしたカラスの姿が蘇る。
「……バカな、たかが鳥だろ、どうやったらこんな……」
男は背後の黒壁を見て、さらに絶望する。
この地に、逃げ場などもうない。
「……なんだ? あれ……?」
視線を上げた先――黒壁の上に座る、影のような人物と、その肩に乗る白い小さな生命体。彼は、首から提げた測定器を見た。
「……ありえない。数値がおかしい……! あのガキ、何者だ……! それに、あシロクマは……!?」
パニックの中で笛を吹いた。
重く、獣の叫びのような音が夜に響く。すると、地下から地鳴りのように現れた――1000頭のウィルダネスウルフたちが、一斉に咆哮する。男は、その中のボス1頭を残し、他のウルフたちの魂を一息に喰らい尽くし、黒壁に向かって突進した。
レイは即座に下降し、一頭に問いかけた。
「……救いようのないゴミだな。
お前は、なぜ、あんな者に仕えている?」
問われたボスウルフは、静かに顔を上げた。
「……理由などない。俺たちは、家畜だからだ」
「家畜?」
「そうだ。我らは王の手足。腹が減れば身を捧げ、敵が来れば肉盾となる。それが、生きるための合理だ。群の中でも同じだ。弱い者を差し出し、自分が生き延びる。……どこでもそうだろう」
ウルフは、目を伏せた。
「だが、あの時――お前の配下たちが、次々と身を投げ出し、爪を砕き、翼を裂かれながら、それでもお前を守ろうとしたあの光景を見て……俺は、お前を……喰えなかった」
レイは、深く静かに頷いた。
「……私も、なぜそうしてくれたのか、分からなかった」
「……」
「だが、今は違う。ようやく理解した。――私が王だったからだ」
レイの声に、静かな確信が宿る。
「王とは、民を信じ、民に信じられる存在でなければならない。力だけで縛り、搾取する者は、ただの暴君だ。弱肉強食が世の理であろうと、それに染まった瞬間――王は王でなくなる」
彼は言い切った。
「一度、王となった者は……王として死なねばならない」
ウィルダネスウルフのボスは、小さく笑った。
「……そうか。
俺は……もう、王ではなかったのだな。お前が強くなれた理由が、今、よく分かった。
……カラスの王よ。俺を――喰らえ」
ウルフは、首を差し出した。レイは、一度だけ頷いた。
「……待っていろ」
そう言い残し、黒翼を広げ、黒壁の向こうへと飛び去った。
その頃、黒壁をよじ登っていた人間は――
次の絶望を目にすることとなる。
「ふざけるな……なんなんだよ、これはァァァァッ!!」
大男が叫んだ。
その眼前には、幾重にも連なる黒壁の要塞。どこまで走っても終わらず、どこまで登っても出口はない。絶望の牢獄が、夜の中に牙を剥く。
そして――その背後に、いつの間にかレイが立っていた。
「わかるか? これがお前が私に味合わせたものだ」
レイの声は、低く、冷たく、乾いていた。
「残念だが……お前には翼がない。
この壁は、地を這う者には超えられん。
……黒炎でこの要塞を丸ごと焼き払ってもいいが……鬼ごっこ、続けるか?」
その一言で、大男の膝が崩れる。
だが、それでも――彼は生にすがった。
「黒き翼の王よ……!!お願いです、末席で構いません……便所掃除でも、靴磨きでも……なんでもやらせていただきます!!どうか、どうか命だけは……!!」
レイは、静かに首を傾げた。
その眼は、まるで腐肉に湧いた虫を見るような冷淡さだった。
「……サッ」
レイの手がひと閃き――
男の首が刎ね飛ぶ。胴は蹴り飛ばされ、黒壁の底へと落ちていった。
その髪を鷲掴みにしたレイは、塀を超えて静かに舞い戻る。
「ドスッ……ゴロ……ッ」
男の頭部を、ウィルダネスウルフの眼前に落とした。
その瞬間、ウルフは何も言わずに人間の顔を踏み砕いた。
骨が潰れ、肉が潰れ、血が地に染みる。
「出会い方さえ違っていれば……うまくやれたのかもしれない」
レイの声は、どこか遠く、哀しみを滲ませていた。
「だが、私たちは――王だ。
私は王として、お前を殺す。
お前は王として、私に殺されろ」
ウィルダネスウルフは、ゆっくりと頷いた。
そして、塀の上に佇むクロとチロに一瞥を送り――羨ましそうに、ほんの僅かに、微笑んだ。
「……感謝する。
この力は……お前にこそ、相応しい。
良い仲間を持ったな。大切にしろ」
そして――
ウルフは、自身の胸に爪を差し入れ、魂の核を抽出した。
青白く光る魂が、ふわりと宙に浮かぶ。
レイはそれを胸元にそっと当てる。
静かに、敬意を込めて――吸収した。
塀の上から二人は降りてくる。
「……見事だった、レイ。
よく怒りに飲まれなかったな。
お前は……もう、次へ進めるか?」
レイは空を見上げ、静かに頷いた。
「ええ、クロ様。
……やはり、この世界は、どうしようもないほど腐っています。
けれど……だからこそ、行かねばなりません。私には――行くべき場所ができました」
チロが身を乗り出して、寄り添う。
「レイ! 気をつけてね!!
チロ、待ってるから!!」
レイは、振り返る。
ほんの一瞬だけ、いつもの不敵な笑みを見せた。
「……必ず、また戻ってきます」
黒い翼が夜空に舞う。
レイの目には新たな覚悟が宿っていた、闇に溶けるように、カラスの王は消えていった。
──その背に、王の誇りと、別れの風を纏って。
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