魔王ですけど世界を守ります……勇者から!
ヒカリ
第1話 魔王、世界救済(仮)
――世界は今日も、平和で、ちょっとだけダサかった。
魔王ルシフェリアは玉座に膝をつき、片手で煎餅を割った。ぱりん。
しっかり半分に割れたことに上機嫌になる。
玉座の下から、煎餅の粉を吸い込みながら、丸い目玉の掃除ゴーレムが「スイー…」と現れ、つぶらな瞳でこちらを見る。
かわいい。魔界の技術は無駄にかわいい。
彼女の視線は正面の水晶版――俗にいう魔導ネットに釘付けだった。映っているのは猫。ひたすら猫。
猫が壺にはまって出られなくなり、通りがかった骸骨はが壺ごと持ち上げている。
次のシーンは、猫が旅人の鍋に丸まっている。猫鍋だ。
平和ってこういうことだと魔王は思う。
「……尊い」
そこへ、城門の向こうから、ドタドタと小走りの足音。次の瞬間、側近のミノタウロスが扉をぶち明け、息も絶え絶えに叫んでいる。
「モウオー、モウオー、マウオー」
鳴いているのか、魔王を呼んでいるのか分からない。
「落ち着け」
魔王は、猫動画を楽しむ時間を遮られてご立腹だ。とても怒っている。
「魔王様!!だいじゅ……だいじょうぶじゃない、報告です」
「ゆ、勇者アルトが……!!」
あいつまた来たのか。
魔王は心底うんざりする。
勇者アルトは、世界を救うとか言って、何かと自分を目の敵にしてくる。
魔王という役職も、前職のオッサンが泣いて頼むから引き継いでやったのだ。ルシフェリアに世界を滅ぼす気など全くない。
そもそも、世界を滅ぼすと、猫を飼う人間がいなくなってしまうではないか。
猫にとって人間は重要なのだ。鳴き声も人間の関心を引くように進化したという説もあるくらいだ。尊いのだ。
しかし、今回は違った。
「ゆ、勇者アルトが――世界を作り直す旅に出ました!!」
煎餅を吹き、掃除ゴーレムが反射的にキャッチした。優秀だ。
水晶版が自動で関連ニュースを開く。魔導配信の切り抜きサムネには、国民的英雄の爽やかな笑顔。
テロップ〈世界、いったん消す?〉。
物騒さとポップさの両立に制作班のセンスを感じる。
再生。
『えー。最近の世界って、UI古いじゃないですか。入口のチュートリアルも長いし、手動セーブだし』
『なので、いったん、全部消してから最新使用で再構築したほうがみんな幸せかなって』
コメント欄が流れる。〈#世界再構築〉〈#いったん消す?〉〈C:\world\config.ymlはどこですか〉
「windowsはやめなさい」魔王は思わず画面に突っ込む。
「モウ―オー様、どうするんですか」
こいつは本当に活舌が悪い。ミノタウロスが不安げな顔で聞く。
「どうしようもないの」
「えっ」
「平和なんじゃろ。猫が壺から出られなくなったり、鍋で丸まって寝るくらい、平和なんじゃろ。なら良いではないか」
「世界が壺ごと…鍋ごと消えてしまうかも知れませんが!」
魔王は肩をすくめた。世界が消えるのは良くない。だって猫が……。
「面倒くさいけど、止めるか」
「さすがは魔王様!世界の守護者!モウオー!」
最後の言葉はどっちなんだろう。どうでもいいことを考えながら、魔王は重い腰を上げた。
旅支度は5分で終わった。外套、杖、角を隠すカチューシャ。鏡の前で装着すると天使みたいなエフェクトが出た。
「……善良そう?」
鏡が『バグにより善良性が過剰に出ています』とテロップを出す。
使い魔のバナナゴブリンたちが荷物を運んでくる。乾燥バナナ、予備の乾燥バナナ、非常時の乾燥バナナ、すぐ食べる用の生バナナ。
「妾はサルか!」
ひとしきり突っ込みを入れてから、魔王は外套のフードを深く被った。
地上の村は、思った以上ににぎやかだった。露店に並ぶ焼き菓子のにおい。あちこちから聞こえる笑い声。背伸びをする猫。平和だ。そして猫が尊い。
あの勇者、これを一回消してやり直すつもりなのか。リメイクと言っているが、アッツアツの恋人に「一回別れて出直そ?」と提案するくらいの暴挙だ。
露店のおばちゃんが、角隠しのカチューシャをちらりと見て言う。
「お嬢さん、角……隠しているわね」
「貴族のアクセです」
即答する。これで押し切るしかない。
情報を集めねば……と魔王は水晶版を小型化して開いた。
〈勇者アルト:本日より”世界リセットの旅”開始!!〉……位置情報は非公開。そりゃそうだろう。
「勇者の足取り、教えてやろうか」
声のほうを見ると、若い男が立っていた。
質素な服装、少しきつめの目つき。これは……明らかにアレだ。村人だ。
「代金は高いぜ。おれの昼メシ」
「おごる」
「話が早いな!おれはシド。村人Cって呼ばれてる」
自覚的なモブだ。器の大きさを感じる。こいつなら世界を救えるかもしれない。
「妾は―――」
自分も自己紹介しかけて、魔王は一拍おいた。
「ルールールールルールー……ルナ」
考えながら名前を言ったが、ハミングのようになった。カモフラージュ最高だ。
「緊張してんのか?」
「久々の外出なのじゃ」
シドはパンを頬張りながら、早口で語った。
「勇者は北の峠へ向かったって噂だ。『世界設定の鍵』とやらが山の祠に眠ってるらしい。俺の叔父さんの飲み仲間の息子の同僚が言ってたから割と確かだ」
こいつの信頼度は湿ったマッチのレベルだな。魔王は思った。
「案内してくれない?」ルナ――いや、魔王はさらっと言った。
「嫌だよ」
「そっか。じゃあ今日から妾の弟子な」
「なんでそうなる!!!」
魔王は懐から羊皮紙を取り出し、さらさらっと書く。〈契約書:シドは同行する〉ハートのマークを最後に書き、指を鳴らすと、羊皮紙がぱっと光った。
さすが魔王である。
「……今、足首がチリってしたけど?」
「気のせいじゃ。」
さらりとかわす。さすがは魔王である。極悪人である。
そこへ、通りがかったおばちゃんが会話の最後だけ聞いて目を丸くした。
「あんた、村人を弟子にして世界を――」
「救うんじゃよ」
魔王は食い気味に言う。
「あらやだ。口が滑って、滅ぼすって言いそうになっちゃった」
おばちゃんは既に走り去っていた。井戸端会議の輪がぱっと広がる。
「聞いた?あの角隠しのお嬢さん、魔王で、勇者を追って世界を――」
「すくう、すくーうー!!」
魔王の声は雑踏のざわめきに沈んだ。
準備を終えた魔王とモブは、村はずれの道に向かった。空は高く、青く、遠くの山並みは夏の硝子のようにくっきりしている。
「なあ、ルナ、お前、勇者の何なんだ」
「……仕事仲間」
「物騒な職場だな」
「どちらかというとホワイトじゃったな。あいつが来るとき以外、休みじゃったし」
「で本気で止める気なんだな。勇者のこと」
「本気じゃ。世界が消えたら猫も消える」
「理由が猫なのか」
「あと人類も」
「順番考えろよ……」
その時、村の鐘が鳴り響いた。
「緊急!きんきゅー!!魔王が勇者を追って世界を――」
「救うッッッ!!」
おばちゃんネットワークの拡散速度は光よりも早い。魔王の絶叫は、鐘の音に気持ちよく上書きされた。
シドが小声で言う。
「先行き、不安しかないな」
「大丈夫。妾、地獄みたいなところから来たから。家、そこにあるから」
「それ、フォローになってない」
魔王とモブは北へ歩き出す。道の先、薄く立ち上る雲は、遠い山の上で渦を巻いていた。
世界は平和でちょっとだけダサい。
だからこそ――誰かが余計なことを思いつく。
「勇者め……本当にやる気じゃな」
「え?今なんて?」
「いや、ライーンの既読スルーのし過ぎで、この世界に絶望したのかも知れんな」
風が二人の背中を押した。
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