反転世界のレシピア〜ジャーナリストの私が追ったのは、人間を喰べた少年と、彼を守る骸骨の謎だった〜
火之元 ノヒト
第1章:発端 - 棄てられた街の亡霊
XXXX年XX月XX日。夜。
酸性雨がアスファルトの窪みに溜まり、
私の指先は、手元のデータパッドの上で冷たくなっていた。ディスプレイには、弟・ミズキの笑顔が映っている。3年前、18歳の誕生日を迎えた一週間後に、彼は消えた。協会は一枚の電子書類でそれを片付けた――「自発的離脱申請の受理」。肉体を棄て、
馬鹿な話だ。ミズキは花を育てるのが好きで、雨の匂いが好きで、私が作ったオムライスの味に文句を言うのが好きな、誰よりも「生身」の人間だった。あいつが、自らあの冷たい骨の仲間入りなどするものか。
パッドの画面をスワイプし、書きかけの記事草稿を呼び出す。それは祈りであり、呪いであり、今の私を支える唯一の背骨だった。
【記事草稿 Vol.1】
タイトル案: 『都市の影、自発的失踪の裏側』
概要:
「またその難しい顔かい、チサトさんよ」
カウンターの向こうから、くぐもった声がした。情報屋を兼ねた屋台の店主だ。彼の顔の半分は、協会の推奨する安物のサイバネティクス義眼に覆われている。その赤いレンズが、私を無機質に捉えていた。
「何か掴めたか?」
「相変わらず。『協会は常に正しい』と信じてる亡者たちの戯言だけ」
「そりゃ違うな」
店主は合成タンパク麺の湯を切りながら言った。
「ここには協会の光なんて届かねえ。だからこそ、奴らの正体を知ってるのさ。…もっとも、信じるかどうかはアンタ次第だが」
彼は湯気の向こうで、声を潜めた。
「"幽霊少年と番人の骨"の話、聞いたことあるか?」
都市伝説。どこのスラムにもある、ありふれた与太話だ。だが、私のジャーナリストとしての勘が、その言葉に引っかかった。
「詳しく聞かせて」
店主が語ったのは、奇妙な噂だった。この24迷宮の最深部、かつて大規模な環境汚染で放棄された廃墟ビルに、少年が住み着いているという。その少年は人間を極端に恐れ、いつも一体のスケルトンを連れている。そのスケルトンは、どの記録にもない「
「協会の管理外にあるスケルトン」。そんなもの、存在するはずがない。全ての骨身層は、協会の中央データベースに接続され、個体識別ナンバーで管理されている。未登録機など、システム上、エラーかバグでしかない。あるいは、協会の暗部そのものか。どちらにせよ、記事になる。ミズキに繋がる、細い糸になるかもしれない。
私は礼代わりに数枚のクレジットチップをカウンターに置くと、迷宮のさらに奥へと足を踏み入れた。
雨脚が強くなる中、教えられた廃墟ビルを見つけ出した。コンクリートが剥がれ落ち、鉄筋が肋骨のように突き出た巨大な骸。ここだけが、上層都市の光も届かない、完全な闇に沈んでいる。息を殺して、割れた窓から内部を窺った。
――いた。
巨大な吹き抜けになったフロアの中心。瓦礫の山の上に、小さな人影が座っていた。痩せた少年だ。そして、その隣には、何の装飾もない、剥き出しの骨格が、まるで忠実な騎士のように佇んでいた。月光が雲の切れ間から差し込み、その白い機体を不気味に照らし出す。
間違いない。「幽霊少年と番人の骨」だ。
私はカメラ付きのコンタクトレンズの録画モードを起動させ、ゆっくりと、敵意がないことを示すように両手を上げて、物陰から姿を現した。
「こんばんは。怖がらなくていいの。私は……」
そこまで言いかけた瞬間だった。
少年が、息を呑む音を立てて私を見た。その瞳に映ったのは、安堵でも警戒でもない。純度百パーセントの、原初的な恐怖だった。
「……っ、ぁ……」
少年はカニのように後ずさり、口元を両手で覆った。その指の隙間から、震える声が漏れ出す。
「ば、化物……! 肉の塊の……化物が来た……!」
――肉の塊?
少年が何を見ているのか、私には理解できなかった。だが、次の瞬間、それまで静かに佇んでいたスケルトンが動いた。音もなく、滑るように。まるで生き物のような滑らかさで、少年の前に立ちはだかる。その空っぽの眼窩が、私を正確に捉えていた。それは無機質な機械の動きではなかった。明確な敵意と守護の意志に満ちていた。
取材は困難を極める。違う。これは、取材どころではない。
私は、この世界の歪みが凝縮された、聖域か地獄か、そのどちらかの入り口に立っているのだと、直感的に理解した。
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