死んだ親友と小学生

谷春 蓮

親友は死んでいる

 日記帳の一番新しいページは涙をたっぷりと浴びきった後、乾いてカピカピになっていた。

 あの日から一向に前に進めない。

 日記だって、以前の思い出をただ見返しているっきりで一文字も書けやしない。

 そんな時、ドアが三回ノックの音を刻んだ。この家には誰もいないはずだった。

 ドアが開かれる。

 音の主は、ノックをしたくせにこちらの返事を待たずに部屋に入って来たのだ。

 強盗?ナイフとかで脅してくるあの?まさか、恐怖のあまり振り返るがそこにいたのは手にナイフを持った律儀な強盗ではなかった。 そこにいたのは黒いランドセルを背負っている浅黒く日焼けした肌を持った少年だった。

 余りにも自然だった。

 この部屋はもともと彼の部屋であり、今学校から帰って来たばかり………。

 ノックまでされているからそんなはずはないのに、まるでこっちが部外者のようだった。

 表情から全てに至るまで本当に自然だった。

 彼のノックでさえ「小学生なりに背伸びしたのかな?。こなれているな。お母さんの教育かな?それとも学校の職員室でノックしてるからかな?」

 そんなことすら考えてしまうほどに自然で微笑ましかった。おかしいところは多々あるはずなのに、不自然の中の自然の部分を見ているようだった。

 そして少年はこれまた自然に言葉を発した。


「今、不幸だよね?」


 俺は自分のベットに座り、ランドセルを背負っているので恐らく小学生と推測できる少年の話を聞いていた。

 ちなみにその少年は今はランドセルをほっぽりだし俺の椅子に座っている。椅子の横には机もあるので今にも宿題をやりだしそうだ。


 「つまり……君は俺が悲しみに暮れていたからそれを助けに来てくれたってこと?」


 俺は、椅子に座ったものの足がつかないらしく、足をプラプラさせている少年にそう問いかけた。本当に小学生らし過ぎる。


 「おおむねそう。神様から言われてね!だ!け!ど!僕にはキチンとケルセって言う名前があるんだ!君っていうのはやめてほしいな」

 「スマン……」


 この少年、あらためケルセはどうも助ける対象とやらにしか姿が見えないらしい。

 ケルセは、三日前に親友を亡くしたばかりで意気消沈していた俺の前にいきなり現れ、


「あなたを悲しみから救いにきたよ」


と言い出した。どうも彼にはそういう使命があるらしい。

 いきなり小学生らしき少年が家に入って来てそんなこと言おうものなら怪しさ満点だが、確かに俺は悲しみに暮れていたし、ケルセは俺の親友のことまで見事に当てて見せた。

 怪しさは依然としてある。

 それを踏まえても、俺はもう既にケルセにすがりたくなっていた。

目の前にいる小学生らしき少年にいい大人が厚かましくも助けてもらおうとしているのだ。

 いや、神様の言われてと言っていたからそれが本当なら小学生ではなく天使なのだろうか?どちらにせよこんな小さな子供にすがりたくなっているのは変わりない。

 だが、神だとか使命だとかそうやすやすと信じられるものではない。

 しかしそれでも、ケルセからはその気概が感じ取れた。


 「……なぁケルセ」


 「なに?」  

            

 屈託のない、いい笑顔だった。

 俺の暗い呼びかけにもケルセは天真爛漫な笑顔で応えてくれる。その純真な笑顔と今の自分を比べてしまい、辛かった。


 「悪いけど、俺はまだ君の事を信用できない。親友のことだって誰かに聞いただけかもしれない。それに君は勝手に家に入って来た。君は小学生に見えるけど、人の家には勝手に入っちゃいけないことぐらい、分かってるだろ?」

 「っだから【君】じゃなくてケルセっていう名前があるの!最近お兄さん物忘れがひどいんじゃない?それに僕は小学生じゃないから!」

 「スマン……」


 また名前のことで怒られてしまった。

 それに物忘れがひどいとかいう疑いまでかけられた。流石に冗談としても物忘れがひどいはきついんじゃないか?俺はまだ二十五歳だ。

 それに小学生に見間違えるのだって仕方ないだろう。だってランドセルを背負っていたのだから。

 だが、そんな名前のことも冗談からも、ケルセの芯の強さが垣間見え、うらやましかった。

 発言だけはどうも小学生らしくない。

 まぁ本当に神様とやらの使いならそれでいいのだろうけども。


 「それでお兄さ」

 「花森だ」

 「え?」

 「花森賢治、俺の名前だ。小学生に名乗らせておいて自分はずっとお兄さんってのも変だろ?」


 これが今の俺にできる大人らしさを見せるための精一杯の強がりだった。それもただのくだらないプライドによるものだ。


 「だから小学生じゃ……分かった。覚えておくよ。あなたと違ってね。お兄ーさん」

 「おま……自分はいいのかよ……」


 ケルセは俺のことをお兄さんと呼ぶうえ、俺は物忘れがひどい人扱いは変わらずだ。          

 何か違う気がする。

 でも今はそんなことどうでもよかった。


 「で、ようするにお兄さんを助けに来た神様の使いだっていう、その証拠を見せろってことだよね?」

 「まあ……そうだな」

 「じゃあ例えば親友さんの身長と体重、スリーサイズ、使ってたスマホの機種、好みのエアコンの温度、好きだった番組、枕の角度、恋人、性格、シャワーの平均時間、預金残高、職種、クレジットカード番号、セキュリティコード、右耳のほくろの数、なんでも聞いてごらんよ」


 ケルセが列挙した情報の中には親友の俺でも到底知らないような情報がたくさんあった。

 だが右耳のほくろの数は知っている。十字を切るように四個だ。


 「まじで……?」

 「どう?これで信じてくれた?」


 この結果の前では、流石に信じざるを得なかった。詳細なんて必要なかった。ここまで信じないほどバカでもないしプライドも高くなかった。


 「ああ……信じるさ。だけど結局お前は何なんだ?俗にいう天使ってやつか?」

 「いや、僕は天使でも神使でもなんでもないよ。一番近いのは、カウンセラーかな?」

 「小学生カウンセラーか、面白いな」

 「だから小学生じゃないって。と、いうよりやっと信じてくれたねお兄ーさん。地味にプライド高いでしょ?こんな子供にとか思ってたんじゃないの?」

 「そんなこと……ある……かも」

 「ね?」


 割と図星だった。いやかなり、いや結構、いやとても!……図星だった。だが過ぎてしまえば本当にくだらないものだった。


「えっと……まず最初に今のお兄さんの今の状態から説明するね」

 「ああ。頼む」


 そうして始まった矢先、水を差すように玄関から物音がした。


 「悪い、ちょっと待ってくれ」

 「どうしたの?お兄ーさん」

 「たぶん彼女が帰って来た。だからちょっと声を掛けとこうと思って」


 俺には、同棲している彼女がいた。もう付き合って四年になる。

 名前は桐山美佳

 出会いは俺が五年前の大学生時代に通っていた喫茶店だった。

 そこで勉強をしていた俺は、バイトをしていた彼女にアイスコーヒーを思いっきりノートに掛けられたのだ。

 はっきり言ってかなり悪いタイプの出会い方だ。

 彼女がお詫びをしたいと言ってくれたので連絡先を交換して、一緒にご飯に行った。

 そうして俺は彼女の名前を知り、そこで話しているうちに学部は違うが同じ大学だということも分かったのだ。

 そこから、俺が喫茶店に行く日と彼女のシフトが被る日、その僅かな日の僅かな時間だけ一言二言、言葉を交わすようになった。

 そんな毎日が続くと、いつの間にか俺は彼女を目当てに喫茶店に行くようになっていた。

 彼女の存在で一喜一憂もした。彼女がいないと勉強に身が入らず、彼女がいると普段の何倍も頑張れた気がした。

 そうして彼女と知り合って二か月たったころ、親友の勧めもあり俺は勇気を出して彼女をデートに誘った。

 彼女は快く受け入れてくれ、俺たちは映画館に行ったあと、ショッピングを楽しみ、ランチを食べた。

 ただの平凡なデートだった。もし教科書があるなら、例として載るようなデートだったと思う。

 でもそれがひたすらに楽しかった。

 話したりデートをしたりしていくうちに、彼女のことがドンドン分かっていった。

 彼女はほんのちょっとドジだが努力家で、一度したミスや注意されたことは、絶対にしないような人だった。

 そんな一生懸命な彼女に俺はもっとひかれていった。

 そうしてあと二回ほどデートを重ねた三回目の別れ際に俺は告白した。

 三回目のデートの別れ際というまたもや教科書の例だったし、気の利いたことなんて何一つ言えなかった。

 返事を待つ間、俺の心臓はロックを奏でて今にも張り裂けそうだった。

 そして肝心の結果はOK!俺たちは付き合うことになった。

 今は貯金など将来の不安から結婚を待ってもらっている状態だ。

 だが、いつかは俺の方からプロポーズをして、式を上げるつもりでいる。

 早く結婚して幸せにしてやりたい。


 「って思ってたんだけどなぁ」


 何を隠そう俺と美佳は二日前から絶賛喧嘩中だ。それも原因が分からない。

 と、言うのも美佳が完全に俺を無視しているのだ。

 それほどまでに怒っている原因。

 それすら皆目見当もつかない。

 だからといってなにか当てずっぽうで理由をつけて謝ったりなどすることは今までの経験上絶対にやってはならないことだとわかっている。八方塞がりだ。

 

 「やあ。お帰り、美佳」


  俺は帰って来たばかりの玄関にいる美佳

に声を掛ける。美佳は荷物を何も持っておらず手ぶらだった。もちろん返事はない。


 「頼む美佳。一度話し合わないか?」

 「……」


 やはり返事はない。俺の言葉を無視したまま、美佳は自分の部屋に戻ってしまった。

 いい加減強引にでも話し合わなければならないだろう。

 そうして俺が美佳の部屋のドアをノックしようとしたその瞬間、俺の背中が鋭い感触を受けた。


 「早く話の続きをさせてほしいんだけど」


 どうやらケルセに背中をつつかれたらしい。

 ケルセは、俺が考え事をしている間にいつの間にか部屋を出て俺の背後にいたようだ。

 「悪い。実は今彼女と喧嘩してるんだけど、今のうちにちゃんと話して仲直りしたいんだ。だから頼む!本当に申し訳ないがもう少し待っててくれ!」

 自分でも物凄くおかしい発言だと思う。

 人の話の腰を自ら折っておいてまだ彼女と話しがしたいと言っているのだ。

 だが、俺は彼女ファーストで生きていて、美佳の幸せを願っている。たった二日話してないだけかもしれないし、ただの喧嘩かもしれない。

 それでももし!美佳が少しでも悲しい思いをしているなら!ケルセの話の腰を折ってでも!一刻も早く美佳と仲直りがしたかった。


 「しょうがないなぁまったく」


 ケルセは呆れ顔だったが承諾してくれた。


 「ありがとう」


 俺は三回ノックをした。返事はない。俺はドアを開けた。 


 「入ってこないで!」


 疲れて寝ていたのだろうか、ベッドに突っ伏していた美佳は振り返って俺の方を見るなりそう叫んで枕を投げつけてきた。


 「美佳……一回話し合おう………」

 「早く出てってよ!」


 鋭い金切り声が部屋中に響いた。

 俺は部屋を出ざるを得なかった。

 俺の背後にいたケルセは絶句していた。なんだよ、人の彼女がそんなにおかしいかよ。

 

 「じゃあ説明するけど長いくなるから根気強く聞いてね」

 「頼む……」


 意気消沈しながら部屋に戻った俺はケルセの話を聞いていた。なんだかケルセにも覇気がない気がする。


 「じゃあまず今、お兄ーさんに三日前には亡くなった親友さんの霊が憑いているんだ」 

 「え?」

 「なんでかっていうと親友さんの死後、お兄ーさんが親友さんのことを誰よりも思っていたからなんだ。人は死んで霊になると自分に関する強い思いを発する人に惹かれてその人に一定期間とり憑く習性がある。今回の場合は悲しみ、だね。もちろん怒りとかでとり憑く場合もあるよ。普通なら一日ぐらいで離れて行くんだけど今回はそうはいかない。なぜなら霊をお兄ーさん自身がとどめているからね」

 「それってどういう……」

 「霊ってのは負の感情に引き寄せられやすいんだ。とくに悲しみにね。お兄ーさんは悲しみが強すぎるんだ。ハッキリ言って見たことがない。今日まで見てきた、悲しんでいる恋人、家族、友人、どんな人たちよりも何倍も強い。だからお兄ーさんは親友さんの霊を無理やり引き寄せてしまっているんだ。これじゃ霊が離れたくても離れられない。それに霊にとり憑かれた人間はその霊が死んだときの感情の影響を少なからず受ける。負の感情を持って死んだなら、とり憑かれた人にネガティブな影響が出るし、正の感情を持って死んだなら、ポジティブな影響が出る。だけどお兄ーさんは悲しみが強すぎて霊にも影響を与えている。つまり互いに影響し合っているんだ。それで負の感情を纏った霊がお兄さんにさらに影響を与える。そして悲しみが強くなったお兄ーさんがさらに霊に影響を与える悪循環。それが今のお兄ーさんの状態なんだよ」

 「なんだよ……それ……」


 俺は話しに付いていくため、絞りだすように声を上げた。


 「だから僕が助けに来た。僕らからしても霊がずっと人にとり憑いてる状態はいいことじゃないんだ」


 いきなり聞かされた非現実的な話。だけども不思議なことに、俺は自分でも驚くほどにすっと飲み込むことが出来た。

 だがその話のフルコースを飲み込んだ俺はすぐに罪悪感の後味で満たされた。だがこの罪悪感は絶対に吐いてはならなかった。


 「……あいつは生きてるときに散々苦しんで散々悲しんだはずなのに俺がっ!……」

 「でもお兄さん。親友さんの霊、とっても優しそうな顔してるよ」

 「優しそう……?」

 「そうだよ。僕が今まで見てきた霊の中で、一番やさしそうな顔だ。きっと本人にとっていい最期だったんだろうね」

 「そうだ……あいつ……最期は……」


 俺の脳裏に浮かぶ、あいつの最期の姿、やせ細った体、力のない声、そして……

 仏のような、安らかな笑顔。


 「あいつ……五十嵐玲紀って言うんだけどな……本当にいいやつだったんだよ。誰にでも優しくて公平で……俺の相談にいっっつ!でも乗ってくれた」

 「いい人だったんだね」

 「ああぁ……そりゃあいいやつだったよ」

 思い出の欠片が俺の頬を伝った。


 

 小学五年生のその日、いつも通り俺は授業中に消しカスを投げつけられ、後ろから椅子を蹴られていた。

 誹謗の内容が書かれた手紙が回され、俺をチラチラ見ながらあざ笑うわざとらしい声が聞こえた。

 そのときだった。トイレから戻る途中だったらしい玲紀が教室に飛び込んできて、俺の席を蹴っていたやつの肩を掴み、消しカスを投げていたやつににらみをきかせドスの利いた声で一言、

 「やめろよ」とだけ言い放った。 

 確かそのあと色々あった気がするが、玲紀の声のインパクトで俺は放心状態だったので、覚えていない。

 でも確かなのはそこからいじめは止んで

玲紀と交流するようになり、お互いにお互いを親友と呼べるまでになったことだ。

 俺たちはお互いにないものをもっていた。些細なことでも笑いが生まれた。

 だが今から二年前、玲紀が白血病だと診断された。

 玲紀は段々と弱っていった。体はやせ細り、髪は抜け落ち、遂には立てなくなった。

 そして三日前、玲紀はみんなに「今までありがとう」と言葉を遺し、家族や友達に看取られ、笑顔で亡くなった。笑っていた。とてもとても、穏やかに。


 「あいつ……最期は……笑顔で死んでいったよ……笑顔だったよ……」


 思い出の欠片がぽろぽろと零れ落ちる。


 「俺、こんなじゃ駄目だ……あいつが笑顔を遺してくれたんだから!それを受け継いでいくよ」


 それでなきゃ、あいつが最後に笑った意味がない。俺は体が軽くなった気がした。


 「お兄ーさんすごいね自分で解決しちゃった。僕、何もしてないよ」

 「話を聞いてくれたじゃないか」

 それがカウンセラーというものだろう。

 「そうかな」

 「そうさ」


 心の湖は澄んで空は快晴だった。


 「じゃあ僕は帰るね。さようなら」

 「ああ、ありがとな」

 そういうとケルセは扉から出て行った。

 あっさりと、出て行った。それだけが俺はちょっぴりさみしかった。


 「そうだ美佳!」


 全部解決したような気がしたがまだまだ問題は山積のようだ。

 だけどこんな前向きになれるのは、玲紀とケルセのおかげだろう。


 「美佳!やっぱり……」


 俺はノックもせず勢いよくドアを開けた。

 そうして俺の目に飛び込んできた光景に、一瞬思考が停止する。

 そこには、さっき帰ったばかりのはずの小学生カウンセラーがいた。

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