魔銃使いは影の淵に微睡む——少年と姫騎士は闇へと向かう——
雪のつまみ
第1話 プロローグ——魔銃使いは泉に微睡む——
暖かな風の撫でる淵に、ただ二人、世界と微睡みに揺蕩う。
この閉じた泉のほとり、芽吹く息吹に囲まれて。
相棒と二人、ひたすらの惰眠を貪る。
これこそが至上の幸福であると、言い切るだけの価値がある。
少なくとも、ミズキにとってはそうだった。
「クロエ、出発するよ」
どうも少しうたた寝し過ぎたようだ。もっとも、春の陽気がやる気を出し始めるこの時期、「泉で昼寝をするか」とそう思った時点で、この結果は必然だったかもしれない。
だが、午前中に仕事を終わらせたのは慧眼であった、ぎりぎりではあるが依頼は達成したのだと——忍び寄る冷気を尻目に、自身をそう褒め称える。
上着を羽織れば準備は完了である。服装よし、武器よし、今日の戦利品——各種薬品の材料よし。相棒の準備も、どうやら良しのようだ。
相棒の妖精を肩に乗せて、地を蹴り、森を駆ける。目標は町の城門。閉門に間に合えば、それで良い。
不安定な大地の起伏も、山と共に育ったミズキにはさほどの苦労はなく、街道に出れば体はさらに加速する。間もなく町まであと一息、というところで、町の方から良からぬ気配の影を感じた。
「ひとまずここで隠れるとして、クロエはどうみる?」
岩を背中に感じながらクロエと相談する。ひんやりとした感触に思考も冷えていく。
まずは情報を、行動はそれから。それでまったく遅くない。
「魔物だねー。それもそこそこ大物。町に近いのが少々気になるけどさ。気になるなら見て来よっかー」
「お願いね。出方はそれから決めよっか。無理に横取りするのも悪いしね」
改めて武器の確認を。
右手に取り出したのは、深い赤に染まった魔銃が一挺。ミズキの小柄な手には少し大きいが、不思議と手に馴染む。控えめな装飾がその重厚さと相まって、存在感を放つ逸品だ。
撫でれば僅かに明滅するこの短銃は、水や風の各種属性の、弾丸を模した魔法しか発動できない。だが一息の詠唱で五発射撃できる即応性は、杖にはない長所だと、何事も使い手次第だと。ミズキはそう学んでいた。
気を落ち着けるように、銃を再び撫でる。なめらかな金属の感触に、唇は笑みを薄く描く。
微かに伝わる音と振動、こちらも多少は気配を掴んでいる。まさか出番がないということもあるまい。
「見てきたよー。どうも教会の兵士が戦ってるみたいなのよねー。苦戦中よ」
「あー……」
帰って来たクロエの言葉に、思わずそう呻いたのも仕方ないだろう。
こちらを敵視してくる教会の存在。溜め息の一つや二つでは、到底足りまい。
「あー、教会ってば、人間管理の組織だからねー。われわれみたいなのはそれはもうー」
「邪魔ってわけよね。人間の繁栄と永続が第一だっけ。
二人して同時に息を吐く。考えたのは一瞬で、思い付いたのも同時だ。そのまま顔を見合わせ、そしてやれやれと歩き出す。
「現場の子達は良い子なんだよね。助けに行こうか」
二人が駆けつけた時、ちょうど勝敗が決しようという最中であった。
敵はオーク四体に、上位種のハイオークが一体。対する教会側は、立っているものが十、倒れているものも同数。
陣形は存在するが穴だらけだ。あまりにも薄い。次の突進で中央が割れるのは目に見えてる。
彼らには準備がたりない。いや……そも正面からやり合うのが間違いなのだ。
「このまま突っ込むよ、カバーは任せた!」
サムズアップと共に上空へ飛ぶクロエをよそに、ミズキは一人突っ込む。風を切る速度のままに強襲を決行。狙いは敵のリーダー、ハイオークの頭部へと魔銃を構える。
「【風弾装填】——行け!」
銃口の先獲物が振り返るが、そこに未来はない。風の魔弾、不可視の衝撃が頭部を破砕する。
ミズキとハイオーク。一人と一頭が立ち止まり、巨体がそのまま倒れ込む。
時と共に周囲の視線までもが停止し、砂ほこりだけがあたりを漂う——瞬間。一呼吸に満たぬ間の、止まった世界の先で、反応の早いオークの一頭が剣を振りかぶっている。狙いは明白、強襲直後の停止した無防備な体。
だがそれを——
「「予測してないはずが無いでしょう」」
【雷よ・天より降りて・我が敵を打ちなさいー】
上空より雷が降り注ぐ。掲げた剣は避雷針となって、クロエの狙い通りに敵を焼き焦がす。
残るは三頭、ミズキの計算通りに事は進んで行く。
この瞬間に敵の敗北は決定した。
リーダーを失い、さらに一頭失い、以って逃走を開始する。左右にわかれ、無防備な背中を見せて。逃す必要もない。
【来い】
その声を命とし、魔法をもって、手に武器を喚ぶ。取り出したのは三丁のナイフ。ただし毒つきの。
もはや銃を使う必要もない。これを投げた時点で、ミズキの勝利は確定した。
戦いは終結。
逃げ惑う敵達も遂には倒れた。兵士達の手当が始まり、戦後処理も始まっている。
倒れている者たちも、見たところは無事のようだ。手当さえ怠らなければ、後遺症の心配もないだろう。
クロエと二人、一息をつくべく街道歩いていく。腰をおろし、木に背を預け、目を閉じる。風に吹かれながら、背中に自然を感じつつの閉じた世界をひとしきり楽しんだところで、若い男の声がした。
「先ほどは救援ありがとうございました。『紅の戦乙女』殿でいらっしゃいますね」
「そちらは兵士の。今回は大変でしたね。街の防衛も——」
「ええまったくです。我々教会が出るはめになるとは、嘆かわしいとは思いませんか『紅の戦乙女』、いいえ『鮮血の君』」
兵士との会話に割り込んで来たのは壮年の一人の騎士である。豪華な装飾に竜の紋章——教会の上層部か。今さら、本当に今さらの登場である。
それにしても、つくづく良く飽きないものだ——それがミズキの正直な感想である。『紅の戦乙女』ならともかく、こんな呼び方をいつまでもするとは。
いや、冒険者にとっては恐れられることこそ第一なのだ。嫌味にすらなっていない。
「ええ、本来は冒険者ギルドの領分ですからね。ともあれ、街まで来なくて何よりですよ」
答えつつもあたりに注意を向ければ、木々に隠れていくつもの人の気配があった。森を歩き慣れた者のそれであり、冒険者で確定である。
つまりギルドは手を出す必要がなかった。出さずとも不利にはならないということか。
「尻拭いも大変ですからな。是非
「調べてからにしましょうか。
そこまでミズキが言った時、傍らの妖精が笑む気配があった。ふむ、反応ありと。見れば、教会の兵士達が今にも死にそうな顔をしている。それにここにいる兵士は皆十代だろうか。なるほど、つまり——
「管理責任はお願いしますね。ああ、大怪我してる方も多いようですからポーションは要りますか?とりあえず50本ほどどうでしょう?」
反撃開始である。青い顔の兵士たちには悪いが、これも勉強とあきらめて貰おう。
情報は集まり仮説はなった。後は丁重に説明してお引き取り頂くだけだ。とはいえやり過ぎてもメリットはない。ミズキもまだ粛清とかされたくはないのだ。
だが、なめられるのだけは論外。
ギルドの立場を考慮し素早くそう判断。そのまま脳内で丁寧に論を構築していく。それも完成まで後一歩と言うところで、クロエがついに目の前に勢い良く飛び出した。飛び出してしまった。端的に言えば、飽きてしまったのだ。
何を言い出すか戦々恐々の、こちらの内心など知るよしもなく——クロエは小さな指を思いっきり立て、演説会を開始する。
「ま、だいたい分かったわ! 手柄欲しさにそっちが仕掛けたのね。冒険者を押し退けて戦いを開始した。ここまでは良かったわね」
反論が無いのを良いことに、演説はそのまま続く。両腕を広げ、そのまま一回転。そんなクロエの様子は、普段の二割まし生き生きとしている。うん、間違いない。
「対魔物の経験が足りないのね。正面から戦って負けた。それをなんとかできないまま、こんなところまで引き連れてきたのよ——次々と戦力を投入してね。ミズキ、ポーションもう五十本追加してあげなさいー!」
赤いやら、泡を吹きそうやら、騎士の顔もなかなか忙しい。とはいえ流石に可哀想だ。神の使徒のはずの妖精にここまでやられるとは。
しかし、クロエが神の使徒? あれで? と、ミズキは思うのだが。
「クロエ、さすがにやりすぎ」
ともかくクロエをたしなめておく。頭を撫でるのは、付き合わせたお詫びだ。
そして騎士に対するフォローも必要か。ミズキも無駄に敵は作りたくないのだ。もう手遅れと知ってはいるが。
「ともあれ、これで終わりにしませんか?ギルドは教会に責任は問わない。再発防止だけしていただければ、こちらは問題にしません」
その一言で決着だった。
騎士は何も言うことなく馬に乗り、とぼとぼと帰っていく。夕暮れに色が消えて、馬共々どことなく元気がない。
ともあれ、これで一件落着だ。
「ももも、申し訳ありません。うちの上司が——」
ところが兵士はこの反応——それも当たり前か。目の前には得たいの知れない怖い存在。一度助けられたとはいえ、だからこそ恐ろしいとも言える。戦いに政治に力を見せつけたのだから。
「気にしなくていいよ、いつものことだからね。ともかく、これあげるよ」
ミズキは兵士にポーションを一つ投げて渡す。渡った先、澄んだ水色が瓶の中で揺れている。その波の揺らぎと共に彼らの心も徐々に落ち着いていく。
ようやく兵士の様子も戻り、さっきとはうって変わって目には輝きがある。その口から出た言葉は、ミズキにとって予想外としか言いようがなかった。
「それにしても先輩から聞いていた通り凄かったです。可愛いけど強い。まさしく『紅の戦乙女』の名の通りでした!」
「聞いていた通り? それって怖いとか恐ろしいとかじゃなくて? 百歩譲ってかっこいいとかで良いから!」
「そんなことはないです! とっても強くて可愛いと。はい、現場の兵士たちの間ではこっそり評判なんです」
そう言って兵士は去っていった。もっともその後のやりとりはミズキの記憶にはない。ともあれ、おかしなことが一つ確実にある。
「ねえ、クロエ。ここまでやってかわいいっておかしくない?おかしいよね。絶対。かっこいいだよね」
そう。ポーションを渡したことでイメージは急速にアップ。かっこよくて頼りになる。そう上書きされたはずだ。
だが、期待を込めて振り向いた先、相棒の返事は、今回もいつもと変わらないものだった。それは——
「あー、仕方ないと思うわよ。だってミズキはどこからどうみても、『小さくてかわいい』もの!」
* * *
溜め息を一つ。
仕方ないと諦めるしかない。数十年も立てば人は忘れるのだ。
「紅の戦乙女」も本来そういう意味だった。けれど今やただの「小さくてかわいい男の子」である。
「鮮血の君」それこそがもっとも真実に近いと。そうであったのかもしれない。
だからこれは「怖い冒険者」の、そういう物語である。
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