第3話「世界で俺だけが知っている。親友一家の、最後の夜。」



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### **『我が家のヘッドライン』 第三話**


**1.**


警察署の取調室は、蛍光灯の光がやけに白々しく、壁の染みが人の顔のように見えた。

俺、高槻祐樹は、刑事の執拗な質問に、ただ正直に答えるしかなかった。

「……テレビで、見たんです。火事が起きるって」

「ほう、テレビでね」

ベテランらしいその刑事――名札には『村田』と書かれている――は、心底面白がるような、あるいは馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「そのテレビは、君の家のリビングにしかない、特別なテレビなんだな?」

「……はい」

「君がやったんじゃないのか? 自分で火をつける計画を立てて、怖くなって消防に通報し、仲間割れでもして別の場所で火をつけられた。どうだ、この筋書きは」


何を言っても信じてもらえない。妄想、虚言、あるいは事件への関与。俺に向けられるのは、疑いの目だけだった。結局、父・和也が会社を早退して身元を引き受けに来るまで、俺は半日近く署内に拘束された。父は警官たちにひたすら頭を下げ、俺には一瞥もくれなかった。


家までの帰り道、父の運転する車内は、息が詰まるような沈黙に満ちていた。

「……だから言っただろう」

最初に口を開いたのは父だった。

「もう二度と、あんな馬鹿な真似はするな。次に何かあれば、会社にもいられなくなるぞ。高槻家の恥だ」

父の言葉は、氷のように冷たかった。俺が誰かを助けようとしたことなど、彼にとっては些細な問題でしかなかった。


**2.**


リビングの扉を開けると、そこには憔悴しきった母・聡子と、泣き腫らした目の美咲がいた。

「お兄ちゃん!」

美咲が駆け寄ってくる。母は、俺の顔を見るなり、堰を切ったように泣き崩れた。

「祐樹……どうして、あんな……」

「母さん、俺は……」

「もうやめてちょうだい!」

母の悲鳴のような声が、リビングに響き渡った。「私たち家族だけで、平穏に暮らしたいの。もう、何も見なかったことにして。お願いだから……」


その夜、高槻家は通夜のような静けさに包まれた。

誰もが口を閉ざし、互いの顔を見ようとしない。あのテレビが映し出す「未来」は、家族の絆を静かに、だが確実に蝕んでいた。俺は自室に閉じこもり、無力感に歯を食いしばった。


(もう、関わるのはやめよう)


母の言う通りだ。俺一人が足掻いたところで、何も変わりはしない。むしろ、事態は悪くなるだけだ。家族をこれ以上、不幸に巻き込むわけにはいかない。

俺は、あの呪われたテレビから目を背けることを、固く心に誓った。


**3.**


それから数日間、奇妙な平和が続いた。

リビングのテレビは、何も映し出さない。俺も美咲も、以前より口数は減ったものの、表面上は穏やかな日常を取り戻そうと努めていた。

父も母も、安堵しているように見えた。まるで、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように、息を潜めて。


金曜の夜。俺は会社の飲み会を断り、まっすぐ家に帰った。

リビングでは、健太から借りたままだったゲームソフトが目に入った。佐々木健太。俺の、たった一人の親友だ。

(そろそろ返さないとな)

そう思って、健太に「明日、家に行ってもいいか?」とLINEを送った。すぐに「おう! 嫁さんと子供もいるけど、気にすんなよ!」と快活な返信が来た。

健太は昨年結婚し、子供が生まれたばかりだった。幸せそうな彼の顔を思い浮かべ、俺のささくれた心も少しだけ和らいだ。


その時だった。

ガチャン、と母が夕食の皿を落とす音が響いた。

見ると、母と、ソファに座っていた美咲が、血の気を失った顔でテレビを凝視していた。

まさか。

嫌な予感が、背筋を凍らせる。俺は恐る恐る、テレビに視線を向けた。


画面はブラックアウトし、あの不快なチャイム音が鳴り響いている。

浮かび上がった赤いテロップ。

平坦な機械音声のアナウンス。


『ニュース速報です。本日未明、〇〇市の住宅で火災が発生。焼け跡から、この家に住む一家五人と見られる遺体が見つかりました』


俺は、息を飲んだ。テレビに映し出された住所は、見慣れたものだった。アナウンサーが淡々と読み上げる、惨殺された一家の主の名前。


『――警察は、この家に住む、佐々木健太さん(27)一家とみて、身元の確認を急いでいます』


「……あ」

声にならない声が、喉から漏れた。

足元から、世界が崩れていく。嘘だ。嘘だろ、健太。

ニュースが告げている事件発生時刻は、**明日の未明**。まだ、起きていない。


**4.**


「……関わるな」

震える声で言ったのは、父だった。いつの間にか、俺の後ろに立っていた。

「祐樹、聞いただろう。母さんもそう言っていた。もう、関わってはいけないんだ」

「でも……健太なんだよ! 俺の、友達なんだ!」

俺は叫んだ。震える手でスマホを掴む。健太に電話をかけなければ。警告しなければ。


「やめろ!」

父の怒声が飛ぶ。「お前はまた警察に捕まりたいのか! あの家族に何の関係もない我々が、どうして危険を冒さなきゃならんのだ!」

「関係なくない! 俺の友達だ!」

「友達なら、お前が殺人の容疑者にされてもいいというのか!」


父と俺が激しく口論する横で、母は泣き崩れ、美咲はただ青い顔で立ち尽くすだけだった。

これが、俺の家族。

いざとなれば、他人の不幸を見て見ぬふりをする。息子の親友が殺されると知っても、世間体を優先する。

絶望が、俺の心を黒く塗りつぶしていく。


俺は、父を突き飛ばすようにしてリビングを飛び出した。

廊下を走り、自室に駆け込む。ドアに鍵をかけ、震える指で健太の番号をタップした。


数コールの後、聞き慣れた親友の声が聞こえる。

『もしもし、祐樹? どうした、忘れ物か?』

「健太……!」

俺は、必死に言葉を絞り出した。

「今すぐ、家族と家から逃げろ! 理由なんて聞くな、とにかく逃げるんだ!」

『はあ? どうしたんだよ、祐樹。酔ってるのか?』

「酔ってない! 明日の朝、お前たち家族は……お前たちは、全員殺されて、家に火をつけられるんだ!」

電話の向こうで、健太が困惑しているのが伝わってくる。

『……おい、祐樹。最近お前、おかしかったもんな。疲れてるんだよ。縁起でもないこと言うなよ、冗談きついぜ』

「冗談じゃない! 本当なんだ! 信じてくれ!」

俺の悲痛な叫びは、しかし、親友には届かなかった。

『……わかった、わかったから。また明日にでも、ゆっくり話そう。な? じゃあ、おやすみ』


一方的に、通話は切られた。

俺は、スマホを握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。

ダメだ。誰も信じてくれない。父も、母も、そして、たった一人の親友さえも。


俺は、世界でたった一人、これから起こる親友一家の惨殺を知りながら、何もできずに、ただ夜が明けるのを待つことしかできない。

絶望的な暗闇が、俺のすべてを飲み込んでいった。


(第三話 了)

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