第18話 不思議な救世主

 やばい。


 売り切れてすっからかんになった購買のショーケースを前に、俺は文字通り膝から崩れ落ちた。

 春風はるかぜちゃんから「まだですか?」「カリカリポテトくんは買えました?」「カリカリポテトくん、一人分でいいですよ」と怒涛の連投メッセージが送られてきている。

 もう彼女の中で俺が買えたのは確定しており、むしろたくさん買おうとしていると思っているようだ。

 ――ごめ~ん、買えなかった。

 ――いや、ダメだ。あの子の食への執着、特にポテトさんへの愛は尋常じゃない。

 ――土下座なんて見慣れてそうだし、どうしたら……

 とりあえず春風ちゃんが待っているだろう校舎裏に向かうか。

 行かないままなのは良くないだろうし。

 だけど代替え案がないまま行って良いものか。

「あ~! どうしたらいいんだ! 助けて小向こひなっ!!」

 思わず廊下の中心で叫んでしまった。

 だけどその時――俺の顔に向かって何かが向かってくる。

 条件反射で、顔面にぶつかる前にキャッチするが――

「あれ!? カリカリポテトくん!?」

 透明な袋に入った、細くて小さいフライドポテト。

 もう冷えてしまっているが、カリカリポテトくんであることに違いない。

 これで春風ちゃんに怒られないですむが――

「でも、誰だ?」

 その時、誰かが走り去っていく足音が聞こえた。

「あ、ちょっと!」

 素早く走り去っていく足音を追いかける。

「あれ、いない!?」

 廊下の角を曲がったところで、見失ってしまった。

 今は昼休みということもあり、人が廊下に溢れている。この中を潜り抜けていったのか、人込みの中に紛れたのかは分からないが。

「……まあ、いいや」

 探すのも面倒だ。

 俺は追いかけるのをやめて、校舎裏の桜の木の下へと向かった。



「まったく……ぼっちゃまは……」

 去っていくこいきの後ろ姿を見て、小さく呟く。

「でも、全然進展しませんし……そろそろ動きますか」

 小さな呟きは、生徒の談笑の中に紛れて消えていった。


        *


「カリカリポテトくん!」

 場所は、校舎裏の桜の木の下。

 特に約束したわけではないが、昨日から俺と春風ちゃんの逢瀬の場所になっている。

 教室の中では見せないだらしない笑顔で、春風ちゃんは透明な袋ごしにカリカリポテトくんに頬ずりをする。

「これが噂のカリカリポテトくんですね! 朝から職人が揚げている、相星そうせいの目玉商品! 冷めても美味しいって評判で、いつも売り切れで……」

 この子は業者の回し者か?

 詳細な情報を話しながら、春風ちゃんは透明な袋からフライドポテトを取り出す。

「カリカリですわ。名前の通りで、良きかな良きかな~ですわ」

 どこの殿様だ。

「あ、こいき君も食べます? 一本だけなら……」

「いや、いいよ。元々、朝のハッシュポテトのお礼だし」

 あれも無理やり押し付けられただけだけどな。

「そう言わずに……一本だけなら、よろしくてよ」

「はぁ……言い出したら、春風ちゃんは譲らないからな」

「あら、分かってきたではないですか」

 俺は春風ちゃんの差し出す袋から、フライドポテトを一本取る。

「うん、塩味が効いていて、冷めていてもイケるな、これ」

「うんうん。そうですわよね」

 何で春風ちゃんが得意げなんだろうか。

「そういえば、春風ちゃんって、フライドポテトが好きなのか?」

「ん~、そうですわね。最近はフライドポテトにはまっているのは確かですけど……よく分かりましたわね」

 そりゃあ、あれだけフライドポテトを連呼されたらな。

「ですが……こいき君はよく人を見てらっしゃるのね」

「いや、あれだけ好き好きアピールされたら……」

「それに……」

 そこで、美味しそうに食べていた春風ちゃんの手が止まる。

 少しだけ寂しそうに見えたのは俺の気のせいか、それとも――

「他の方は、わたくしが好きなものを、らしくないって否定しますが……こいき君は、何も言いませんから……一緒にいて、心地よいですわ」

「……っ」

 俺は慌てて口元を抑えた。

「こいき君?」

「い、いえ、何でも……」

 言えない。ニヤけそうだったから、必死で隠しているだなんて。

「ねえ、こいき君は何が好きなんですの?」

「え、俺?」

「はい。わたくし、自分が好きなものをこいき君にも知ってほしくて、アピールしてきましたが……」

 アピールだったんだ、あれ。

 ただ食い意地張っているだけだと思っていた。ごめんなさい。

「今は、こいき君が好きなものも、知りたいです。そして、こいき君が好きなものを、わたくしも好きになりたい……」

 春風ちゃんは照れたように頬を微かに染めながら、優しく微笑む。

 そんな顔をされたら、誤解してしまう。

 胸が高鳴り、俺が口を開きかけた時――あの思い出が再び呪詛を吐いた。


 ――『ダメだよ』

 ――『だって……わたし……婚約者がいるから』


 婚約者――。

 忘れそうになっていたが、俺と春風ちゃんは『婚約者リスト』で繋がっているに過ぎない。春風ちゃんは『普通クラス』に入り、今の生活や周りの人が珍しいだけだ。俺に気があるわけでも、異性として意識しているわけでもない。

 ――そうだよな。俺は偶然、校舎裏で出会っただけ……

 ――俺じゃなくても、春風ちゃんは同じことを言っただろうし。

 期待したらダメだ。


 それに、春風ちゃんは俺の婚約者ではないのだから。


「こいき君?」

 俺が黙ってしまったため、不安になったのか、眉を下げながら春風ちゃんが俺の顔を覗き込む。

「あ、えっと……好きなもの、ね。ファーストフードだったら、ドーナツ屋のラーメンかな」

「あら、もしかして、マスタードーナツですか!?」

「え、あ……そうですけど……春風ちゃん、マスドも好きなの?」

「はい! あ、そうですわ。今日の放課後はマスドにしましょう。わたくし、クーポン持ってますわ」

 婚約者について忘れてないか、この子。だけど――

「うん、行こうか」

 今はこの距離でいられることに感謝しよう。


 ――この子が見ているの、俺じゃなくて食だけど。

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