第16話 ハッシュポテトとお嬢様
「あら、珍しいですね」
翌朝――
俺が自室で支度をしていると、
「ぼっちゃまが私が起こす前に起きているだなんて」
「まあ、色々あってな」
それは事実だ。
昨日は本当に色々あった。ありすぎて、いまだに頭の中で整理ができず――結果として眠りが浅く、いつもより早く目が覚めた。
いつもならまだベッドの中で、小向に起こされてから洗面所に向かって顔を洗うのだが――今日は朝ごはん以外は全て済んだため、先に制服に着替えている。
「そういえば、昨日はどうでした? クラスに友達できました?」
「お前は俺の母親か……まあ、一応……」
春風ちゃんとは協力関係にあるから嘘は言っていない。
俺は昨日の出来事を思い出しながら、ネクタイを締めようとするが――うまくいかない。
その時「ふふっ」と小さく笑った小向が、慣れた手つきで俺の襟元に手を伸ばし、ネクタイを結んでくれた。
「やっぱり、ぼっちゃまは私がいないとダメですね」
「まあ、そうだな」
「そ、そこは否定してほしかった所でしゅが……」
小向が顔を紅くして俯いた。
その可愛らしい姿を見て、ふと昨日の春風ちゃんのことを思い出す。
コロコロと表情の変わる子だったが、いちいち仕草が乙女といった感じで可愛い。
『婚約者リスト』のことがあるから、きっと今日も話しかけてくるだろうが――
「なんの話、しようかな」
ちょっとだけ、会うのが楽しみだ。
自分でも口元が緩んでいるのが分かり、俺は口元を手で覆った。
「ぼっちゃま?」
「な、何でもない」
「そう、ですか……」
小向は少しだけ寂しそうに笑った――気がした。
「小向?」
「さあ、ぼっちゃま! 一日の計は朝にありです! 今日は和食です。早く起きた分、できることも増えましたし……今日も有意義な一日を過ごしましょう!」
突然元気に飛び跳ねながら言った。
「そうだな。婚約者も探さないといけないし……」
と、俺は小向の頭をぽんと手を置いてから、自室を出る。
「……! そ、そうですね……」
小向が少しだけ遅れて、俺の後をついて来た。
うん、いつも通りの朝だ。
今日の朝食は小向の予告通り、和食だった。
白いご飯に、豆腐とワカメの味噌汁。ゆで卵と、焼き魚。
他にも、納豆や生卵など――俺が好きに選べるように、テーブルの上に色とりどりのおかずが朝食バイキングのように並べられている。
どれも栄養バランスを考えた、見事な朝ごはん。
「はぁ……一生、養われたい」
「何か言いました? ぼっちゃま」
ちょうどお茶を運んできた小向が首を傾げた。
「いや、何でもない」
「……? もしかして、今日は早起きでしたので、頭が起きていないのかも知れませんね」
さりげに失礼だぞ、お前。
「そういう時は、温かいお茶に限ります。さあ、どうぞ」
と、小向は淹れたての緑茶を俺の前に差し出す。
色、香り、温度――どれも見事だ。
当たり前のように面倒見てもらっているせいで、もう俺は小向なしでは生きていけなくなっているかも知れない。
「知ってますか? ぼっちゃま。朝には緑茶、夜にはほうじ茶がいいんですよ。夜に緑茶を呑むと、目が覚めてしまい、眠りが浅くなりますからね」
「へぇ。そこまで考えてくれていたんだ」
「当然です。私はぼっちゃまの専属メイドですから」
小向は誇らしげに言った。
――でも、もし俺が誰かと結婚したら、小向はどうするんだろう?
専属メイドなら、ずっと一緒にいてくれるのだろうか。
いや、流石にそれはないな。
一生面倒見てほしいが、それを強要するのは人間としてクズすぎる。
もしその時がきたら、俺も小向に相応しい相手でも探すか。
そう思いながら、淹れたての緑茶をすすり――
「あちっ」
完全に目が覚めた。確かに効くな、これ。
*
いつも通り、小向に見送られながら俺は学校に向かった。
学校まで徒歩圏内なため、俺の通学手段は徒歩だ。しかしほとんどの生徒は車であり、たまに通りすぎる
「いいな、俺も乗せてくれないかな」
「よろしくてよ」
俺の独り言に、誰かが答えた。その声は聞き覚えがあり、おそるおそる道路側を見ると――
「ごきげんよう、こいき君」
「はる、かぜちゃん……」
リムジンから顔を出した春風ちゃんが優雅に手を振ってきた。
――すごい。こんな長いリムジン、ドラマや漫画でしか見たことがない。
流石は国内トップクラスのお嬢様を送迎する車なだけある。
まだ乗ると答えていないが、目の前でリムジンの扉が開かれ、中ではティーカップを持った春風ちゃんが手招きしていた。
これは、断れないやつだ。
「ほら、早くしないと遅れちゃいますわよ」
「は、はい……」
俺はおそるおそるリムジンに足を踏み入れた。
傷つけるのが怖くて扉をどう閉めようか迷っていると、自動で扉が閉まった。
「ん~、モーニングも最高ですわ~」
春風ちゃんは例のファーストフード店のモーニングセットを頬張り、幸せそうに言った。
今日のメニューはホットドッグに、ホットコーヒー、そしてハッシュポテトか。
――朝からよく食えるな。
「あら、こいき君も食べたかったんですか?」
「いや、俺は食べてきたので……」
「ふふっ。何を仰るの……わたくしも、朝はしっかり食べてきましたわ」
春風ちゃんは得意げに言った。
この人、満腹って言葉を知らないのか。
「でもホットドッグは食べ終えてしまいましたし……し、仕方ありませんわね。こいき君の頼みなら……」
「いや、頼んでないです」
むしろ小向のモーニングフルコース食べてきたから、実は結構おなかいっぱいだ。
「わ、わたくしのハッシュポテト……差し上げますわ」
すげえ嫌そうですけどね!
春風ちゃんは眉を下げながら、両手で持ったハッシュポテトを俺に向けてくる。
――いや、そもそもこの体勢って……
「ほら、早くしないと冷めてしまいますわよ」
「えっと……」
「ほら、あ~ん」
春風ちゃんは一度言い出したら聞かなそうだし、ここは俺が折れるしかないか。
「あ~ん」
仕方なく俺はハッシュポテトを口に含む。
少し冷めているが美味い。塩の風味が口全体に広がり、眠りかけていた食欲が叩き起こされる。
「うぅ……わたくしのハッシュポテトが……」
嫌なら薦めるな! といった言葉をハッシュポテトと共に呑み込み、俺は春風ちゃんに向き直る。
「放課後、フライドポテトでお返ししますので……どうかお許しください」
「こ、こいき君……!」
春風ちゃんは嬉しそうに目を輝かせた。
いや、本当に食べたかったのなら何で俺に食わせたんだよ。
よく分からない子だ。
「わたくし、売店で売っているらしい、カリカリポテトくんが……」
「……昼休みに買ってきます」
いや逆に分かりやすいわ、この強欲お嬢様。
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