【四杯目】第壱話:黄泉路の境で嗤う夜
数日後の夜。
經永は、撮影の帰りに1人で車を走らせていた。助手席には、黑から渡された黒い木札。
艶やかな表面は、街灯の光を鈍く反射している。
「……なぁんか、やっぱ気になるんよなぁ。
黑やん、これ【他人には触らすな】言うとったけど……」
信号待ちの間、ふっと気まぐれに札を手に取る。掌の上で転がすたび、木目の奥が僅かに脈打つように見えた。
「……ん ? 」
車内の温度が一瞬で下がる。ミラー越しに見えた後部座席に、確かに何かの影があった。
けれど、振り返っても誰もいない。
その時、札から何か小さな音がした。經永は眉を顰め、車を路肩に止めると札を裏返して目を凝らす。
そこに、細い白い糸のようなものが這っていた。それは一瞬で文字を形作る。
『 かえして 』
札を持つ手がぴくっと震えた。だが、經永は笑う。
「うっわぁ……マジか、ほんまに来よった。
面白なってきたやん」
そう呟いた瞬間、バックミラーの中で【何か】が蠢いた。黒い霧が窓の内側を這い、フロントガラスを曇らせていく。
經永はハンドルを握り直し、にやりと口角を上げた。
「上等や。遊ぼか……――――【天魔】の名に恥じんくらいにな」
助手席に置いた木札の鼓動が耳へと届く。どくん、どくんっと。
その音は、まさに心臓そのもので。ハッキリと生々しく己の存在を主張する。
「……へぇ。マジでやばそうやん、これ」
声は冷静で、その目は狂気に怯えているにしてはあまりにも冴えていた。常人の反応とは全く違う。
白い糸が今度は宙に浮かび、窓の内側に文字を描いた。
『いたい』
『おまえも、こっちに来い』
「誘い方、雑ぅ〜 ! 」
經永が肩を震わせて笑ったその瞬間。車が勝手にハンドルを切った。
ブレーキを踏むも、足が重い。ペダルが床に沈まない。
車はそのまま、人気のない山道の入口へ向かう。經永は抵抗することもせず進行方向を見つめていた。
すると、古びた墓地が姿を現す。
「はっ、はは ! ありきたりの展開やな ! !
もうちょい頭使えって……まぁ、ええやわ。今は、気分ええし特別に付き合ってやるよ」
エンジンが唸り、車は勝手に加速する。経永は目を細め、助手席の札を掴み直した。
木札の表には、まるで人の【眼】のような紋が浮かび上がっている。それが突然を開き、目が合った。
……――――どくん。
車内の時間が止まる。ラジオのノイズだけが世界を支配する感覚。
ヘッドライトの光が、途中で歪む。闇に映る經永の影がハッキリと姿を現す。
笑っている。だが、その顔には【口】がない。
「……おいおい。俺の顔パクるとか、センスねぇな」
乾いた笑いと同時に、經永は札をダッシュボードに叩きつけた。木札の紋が淡く砕け、白い閃光が車内に弾ける。
…………――――――パキィィィィィィンッ!!
トンネルの闇が一瞬で消え、車は道路脇に停まっていた。月光だけが静かに車内を照らす。
經永は暫く息を吐かず、額を手で拭った。
「……黒やん、マジでとんでもねぇモンくれるやんか。でも、ちょっと物足りんかったな」
掌の中、割れた木札がゆっくりと灰になって消えていく。残ったのは、焦げた香のような匂い。
「さて。土産話も出来た事やし、今夜あたり行ってみますかね」
エンジンが再び唸りを上げると同時に、經永は自分の首に巻き付く違和感に気が付いた。だが、気付いていないフリをして近い神社へと向かって車を走らせる。
ふっとダッシュボードの上に置いた、名刺を一瞥すると經永は心底愉快そうに……――――にやりと笑った。
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