【三杯目】第壱話:冷めきらない静けさ
夜も更けて来た頃、居酒屋【鬼】の提灯が静かに揺れた。
風が止み、虫の声だけが響く。扉が静かに開き、二人の男が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
白が穏やかな声で迎えると、男たちは軽く会釈を返してから入口近くのテーブル席に向かい合わせで座った。どちらも二十代前半ほどに見える。
一人は黒縁眼鏡をかけ、落ち着いた様子。もう一人は髪を後ろで束ねていて、どこか神経質そうに手を組んでいた。
「あ、注文お願いします」
「はい」
黑美が水と箸を持って、席に向かうと眼鏡の男がメニュー表を指さしながら注文する。
「鯖味噌と胡麻豆腐を二つずつ……あと、生も二つお願いします」
「承りました」
注文が入ると、白が先にビールを運ぶ。それぞれの前に、ジョッキを置くが二人は俯いたまま黙り込んでいる。
やがて、眼鏡の男が意を決した様子で話を切り出す。
「……見つかったんですか ? 」
「いや……どうしよう」
「じゃあ、やっぱりあそこに……」
「……」
空気の濁りに気づいた黑が、カウンターからちらと視線を送る。視線に気づいた白哉が頷くと、湯飲みを片手に二人の座るテーブルへと歩み寄った。
「こんばんわぁ~ ♪
お二人さん、見ぃひん顔やね ? うちは、酒も肴もうまいでぇ ? 」
「あ、えっと。ど、どうも。
……はい。料理楽しみです」
眼鏡の男は、白哉の言葉に笑顔で返すのだがどこかぎこちない。突然話し掛けられて動揺してるのかとも思うが、何かおかしい。
「急に声かけてごめんやで ? なんや、難しい顔しとったから。
困りごとでもあるんかなってな。良ければ、話聞いたるよ ?
なんか知らんけど、力になれるかもしれんし……あ、もちろん無理にとは言わんけどね」
その言葉に、眼鏡の男が少し肩を竦めた。隣の男と視線を交わし、暫し逡巡の後。
小さく呟くように、話し始めた。
「連れが、財布を落としてしまったんですよ」
「財布を落とした ? どこで ? 」
「はい。……実は、ここへ来る前に幽霊トンネルで撮影をしていたんです。
で、その帰りに落としたことに気づいたんですよね。
すぐ戻って探したんですけど、見つからなくて」
「そら、大変やったね」
「……それで、帰ってからも荷物を全部ひっくり返したんです。でも、どこにもなくて。
だからきっと、幽霊トンネルの中で落としたんだと思うんですけど……」
眼鏡の男が怯えた様子で言葉を区切ると、ずっと黙っていたもう一人の男が口を開く。彼は、苦笑まじりに言葉を続ける。
「……でも。俺たち、ほんとは怖いの苦手で。
正直、もう戻りたくないんですよね」
言い終わると、男は再び俯いて黙り込んだ。そのタイミングで、白が料理を運んできて優しい口調で諭すように二人に言った。
「それは、怖かったでしょう。……でも、今はまず。
落ち着いて、ゆっくりご飯を食べた方が良い。だって、あなたたちの顔……真っ青で幽霊よりも、幽霊っぽいもの。
大丈夫よ。きっとそのうち見つかるわ」
話を聞いていた黑は包丁を置くと、手を拭きながら二人に近づく。
「兄さんたち名は、なんば言うとね ? 」
「あ、僕は
「……
「良い名じゃな。俺は、黑じゃ」
「ありがとう、ございます。……僕たち、まだ駆け出しなんですけど。
実は、二人で音楽ユニットを組んでいて……今回の撮影はある番組の企画だったんです」
「ほう」
「はい。本当は怖いからって断ろうとしたんですけど、事務所の社長とマネージャーから説得されて断り切れず……」
その時、黑はふっと咲𪐷が目に留まった。いつもは魄途に無理やり連れて来られ嫌そうな顔をしている彼が、今夜は珍しく一人で来て静かに盃を傾けている。
そんな彼の視線が、凛響へ向けられていた。深く、何かを探るような眼。
黑は何かただならぬものを感じはしたが、敢えて言葉にはせず気付かぬふりをし二人へと意識を戻した。まだ、どこか落ち着かない様子の二人。
そんな彼らに、黑は言う。
「……おっかねぇんだば、無理して行かんで良か。明日、トンネルの向こうさ用があるけ。
俺が、ついでさ見て来てやる」
「え、それは悪いです」
「……俺たちただの客ですよ ? 」
「良か。そん代わり、明後日の夜もっぺん呑みさ来」
「でも」
凛響がまだ何か言おうとするが、白哉がそれを制する。
「まぁまぁ、ええやんか。僕と兄ちゃんが、トンネルの向こうに用があるのはホンマやし。
ついでや、ついで。こういう時はな、気にせんと頼ったらええんよ。
これもなんかの縁や。な ? 」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。その瞳にまだ困惑の色が残っているが、店の温もりが少しだけそれを和らげる。
外では風鈴がひとつ鳴り、提灯の光が全てをそっと包んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます