シネマティック・サマー
週末のべるぜぶぶ
第1話 夏祭りの夜
蒸し暑い夏の夜。寝苦しさに耐えきれず、蓮はシーツの上で何度も寝返りを打っていた。
額を伝う汗が枕を濡らす。
――あの夜から、一年。
夏が巡るたびに、同じ夢が彼を苛む。
夢の中、蓮は夏祭りの帰り道に立っていた。
夜店の喧騒から離れた分かれ道。街灯の下で、浴衣姿の天音が小さく微笑み、手を振っている。
「じゃあ……おやすみ。また学校でね」
それが彼女の最後の言葉になった。――その瞬間。
暗がりの死角から、猛スピードの車が現れる。
背を向けて歩き出した天音に、蓮は衝動的に声を張り上げた。
「天音ッ!」
呼びかけに、彼女はふと足を止め、ゆっくりと振り返る。
花火の残光に照らされた横顔。
そして――天音の唇が小さく動いた。
まるで、何かを伝えようとするかのように。
だが、その声は届かない。
次の瞬間、視界を切り裂くように車のライトが閃き、轟音が全てをかき消した。
――ハッ。
蓮は跳ね起きた。呼吸は荒く、全身が汗で張りついている。
心臓の鼓動が耳の奥で、うるさいほど響いていた。
「ああ……また、夢か」
一年前の夏祭りの夜。幼馴染の天音が事故で奪われた、あの光景。
最後に振り返った彼女は――いったい何を伝えようとしたのだろうか。
―― 一年前の夏祭り。――
夏の夜は、まるで夢の中みたいだった。
川辺を包む提灯の明かりは、どこか懐かしい橙色で揺れていて、打ち上げられる花火がその空を一瞬ごとに塗り替えていく。ざわめく人の声、屋台の鉄板から立ちのぼる煙、金魚すくいの水面に落ちる小さな光。
――すべてが、幻みたいにきらめいて見えた。
その中で、蓮は隣を歩く天音を何度も盗み見てしまう。
浴衣の裾がふわりと揺れ、頬に映る光はまるで星の粒みたいだった。
「ねえ、蓮。金魚すくいやろうよ」
天音の声は、花火の音にも負けないほど真っすぐで澄んでいた。
「お、俺は……見てるよ」
答える声は弱々しく、夜に溶けてしまいそうだ。
「またそれ? ほんと臆病なんだから」
天音は唇を尖らせ、すぐにいたずらっぽく笑う。
蓮は思わず呟いていた。
「……天音は、強いよな」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
天音は驚いたように目を瞬き、それから少し照れたように笑った。
「強い? 私が?」
「うん。俺にはできないことを、笑いながらやってるから」
その言葉に、天音はほんの少しの間だけ黙り、やがて小さく頷いた。
「じゃあ、来年は一緒に挑戦してね」
その笑顔は、夜空に咲いたどんな花火よりも、蓮の目に焼きついた。
――言いたい。
今こそ、伝えなければ。
心の奥で繰り返し響く声に突き動かされながら、蓮は唇を開いた。
「天音、俺……」
けれど、最後の言葉は声にならない。
花火の音が胸をかき消していく。
「ん? なに?」
天音は首を傾げる。その仕草さえも、やけに遠く感じられた。
「……いや、なんでもない」
「またそれ? 本当に臆病なんだから」
天音は笑い、蓮の肩を軽く叩いた。
やがて二人は分かれ道にたどり着く。
蓮の家は左へ、天音の家は右へ。
「じゃあ、ここで。おやすみ」
天音が浴衣の裾を揺らしながら、手を振る。
「……おやすみ」
蓮も手を上げたが、その声は小さすぎて届かない。
天音の背中が遠ざかっていく。
――待って。
このまま行かせたら、きっと後悔する。
蓮は一歩踏み出そうとした。
その瞬間だった。
暗がりの向こうから、不意にライトが閃いた。
――キィィィィッ!
甲高いブレーキ音が、夏の夜を引き裂いた。
眩しいライトに照らされた天音の姿が、一瞬宙を舞い、そして砕けるように地面へと叩きつけられる。
「……っ!」
浴衣の袖が揺れ、赤い色が夜ににじみ広がっていく。
「天音! 天音ッ!」
蓮は駆け寄り、その体を抱きしめた。
震える手で何度も名前を呼ぶ。
けれど、彼女の瞳は静かに閉じられたままだった。
花火はまだ夜空を彩っている。
けれど、その光も音も、蓮にはもう届かなかった。
――どうして、言えなかったんだろう。
ただそれだけの言葉が、こんなにも遠い。
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