第39話 デジタルの傷跡

 その日から、工房の空気は一変した。  

 それはもはや、メカニックの作業場ではなく、未知の爆弾を解体する、緊迫感に満ちた手術室のようだった。

 工房は、リアがサーバーの解析に集中するために最低限まで照明が落とされ、カイが作業するレクス7の解体エリアだけが、手術灯のように煌々と照らされている。


 カイは、リアから渡された設計図――もはや「設計図」というより、人体の神経図にも似た、おびただしい数の系統図――と格闘していた。  彼が今取り掛かっている「動力パイプの再構築」は、ただ部品を交換する作業ではなかった。レクス7の「心臓コア」から生み出される未知のエネルギーを、機体全体に「血液」のように巡らせるため、リアが新たに設計した、全く新しい「血管」を、ゼロから作り上げる作業だった。


 カイは、スカベンジャー時代には触れたこともない、高精度のレーザー溶接機を握っていた。

 彼の、下層区で鍛え上げられた器用な指先が、ミクロン単位の誤差も許されない接合を試みる。

 ――ジジッ!  甲高い音と共に、わずかなスパークが散った。


『駄目だ』


 工房の闇の奥、コンソールに座るリアが、顔も上げずに言い放った。


『その溶接じゃ、コアの共振圧に耐えられない。接合部の温度が0.3度、理論値より低い。やり直せ。最初からだ』


 カイは、舌打ちをこらえ、今しがた数時間かけて組み上げたばかりのパイプを、無言でスクラップ置き場に放り投げた。

 リアは、カイが感情を押し殺し、再び新しい素材に手を伸ばすのを確認すると、自らの作業へと意識を戻した。


 彼女の目の前には、ホログラムのスクリーンが何重にも重なり、カイがあの時浴びた、レクス7の記憶の奔流が映し出されていた。

 それは、ただの記録映像ではなかった。

 旧時代の孤独、最初のパイロットの絶望、廃工場での沈黙――それらの記憶が、破損したデータや、恐怖・怒りといった生々しい感情のログと混ざり合い、まるでデジタルの「傷跡」のように、コアの深層にこびりついていた。


「……なるほど。こいつは、ただ拒絶しているんじゃない。怯えているのか……」


 リアは、最初のパイロットが「精神汚染」に至った瞬間の、脳波のログを発見した。

 その波形は、機体に精神を喰われたのではなく、むしろ逆だった。

 パイロットの制御不能な恐怖が機体のコアに逆流し、その魂に、決して消えない深い傷を刻みつけていたのだ。


「厄介なことだ」


 リアは、冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。

 この獣を手なずけるには、ただ弱点を突くだけでは足りない。この、何十年も前に刻まれた「傷跡」そのものを、どうにかしなければならない。


 リアが、さらに深層のデータをサルベージしようと、解析のレベルを引き上げた、その時だった。  工房のメインサーバーが、けたたましい警告音を発した。

 リアが慌ててモニターを切り替える。そこには、工房の外部に設置された、複数の隠しセンサーからの映像が映し出されていた。


 ――溶接横丁の入り口。

 ――工房へと続く、裏路地。

 その全てに、見慣れない、黒い戦闘服に身を包んだ男たちが、まるで獲物を探すように、ゆっくりと姿を現していた。


「カイ!」  


リアの鋭い声が、工房に響き渡る。


「作業を中断しろ! ……客が来た。それも、とびきり面倒なのがな!」

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