07.規定違反

 初耳の情報に、ルーランスの語気が強まった。

「時駆けの魔法についての話は聞いたって、さっき言っただろう。その中で、自分や家族に関わりのない時間や場所へは行かないってことも、必ず聞いているはずだ。わかっていて、依頼してきたのかっ」

 上から声が降って来て、リッシェは首をすくめる。

「あの手紙を読んで、てっきり身内だと信じた俺が甘かった。戻るぞ」

 おばあちゃんという単語と、行き先が依頼人の住む村。ごく自然に、同じ村の同じ家に住む血縁者だ、とルーランスは思っていたのだ。

 この魔法について聞いたかを確認し、重要な部分はルーランスも伝えたが「家族うんぬん」については言わなかった。関わるのが「リッシェのおばあちゃん」だという先入観のせいだ。

「え……ちょっと待ってよ。ここまで来たのに」

「ルールを守らなければ、強制送還だ。本来なら違約金が発生するが、今回は俺の確認漏れもあったから、チャラにする」

 きちんと「誰のおばあちゃん」かを聞かなかった。魔法使いのミスだと言われれば、反論はできない。

 だが、最初から「身内以外は駄目だ」と言ってあるのだから、これで公平のはずだ。

「待ってよ、ルーランス。血はつながってないけど、マーラおばあちゃんは家族みたいなものなの」

 リッシェはルーランスの服を握り、必死に訴えかける。ここで帰るなんて、冗談じゃない。

「小さい村だと、村人全員が家族って言い張る所もある。だが、現実は血のつながらない他人だ」

「そうかも知れないけど……親戚じゃないって言われたら、確かにそうだけど。あたしにとっては、本当のおばあちゃんなのっ」

 感情が高ぶって、涙が浮かんできた。泣き落としするつもりはないのだが。

「小さい頃……七つか八つの時、両親も信じてくれなかったことを、おばあちゃんは信じてくれたの」

 今はそうでもないが、その頃のリッシェは結構おてんばだった。

 同じ年頃の子ども達に比べると、その頃から小さかったので、コンパスの差があって駆けっこは勝てない。だが、木登りは断トツにうまかったのだ。

 一つ年上の男の子ドヴァンは、それが面白くなかったらしい。年下の、しかも女のくせに、というところだろう。

 ある日、ドヴァンは自分のおもちゃを、窓からリッシェの部屋へ投げ入れた。そして、リッシェの母親に「リッシェがぼくのおもちゃを取った」と言いつけたのだ。

 母親がリッシェの部屋を探してそのおもちゃを見付け、リッシェにどうしてこんなことをしたのか、と問いただした。

 しかし、当然ながらリッシェはそんなことなど知らない。

 自分がしたのではない、と言ったところで、証拠品がある。何を言おうと、信用してもらえない。

 疑われたことが悲しくて、リッシェはその場から走り出した。そのまま村で一番高い木の所まで行き、上の方の枝に座って一人で泣いていた。

 そこへ現れたのが、マーラおばあちゃんだ。泣きながら走って行くのを見て、気になってついて来たらしい。

「どうしたの、リッシェ。何があったの?」

 リッシェが驚いたのは、マーラおばあちゃんが木の下から呼び掛けるのではなく、リッシェのいる高い枝まで苦労する様子もなく登ってきたことだった。

 大人が……と言うより、まさかおばあちゃんが木登りをするなんて思わなかったのだ。

「昔はリッシェより、私の方がおてんばだったからね」

 マーラおばあちゃんがリッシェをかわいがってくれるのは、昔の自分を見ているような気になるかららしい。

 自分の身に起きたことを泣きながら話すと、おばあちゃんは優しくリッシェの頭をなでてくれた。

「私は、リッシェのことを信じるよ。リッシェは何があったって、絶対人の物を盗むような子じゃない。リッシェはとてもいい子だっていうのを、よーく知ってるからね」

「ほんと?」

「もちろんじゃないの。神様の前に立っても、私はそう言うわ」

 疑われて傷付いた子どもには、その言葉だけで十分だ。

 どうしてこういうことになったのか、ちゃんと調べようとマーラおばあちゃんに説得されて家へ帰る途中、レミットに会った。

 彼は「もうリッシェは疑われていない」ということを伝えるために、捜し回っていたと言う。

 ドヴァンがリッシェの部屋へおもちゃを投げ入れるところを、レミットはたまたま見ていたのだ。

 その時はレミットも、ドヴァンが何をしているのかわからなかった。だが、リッシェが逃げた、などと騒がれているのを聞いて事態を知ったのだ。

 だから「リッシェがやったことじゃない」と証言してくれた。

「レミットの話を聞いて、お母さんも謝ってくれたけど……それより前に、おばあちゃんはあたしを信じてくれた。あたしのことを、本当の孫みたいにかわいがってくれる人なの。そんな大切な人のために何かしてあげるのって、そんなにいけないことなの? 家族じゃないからってだけで」

 世間には、子どもが大人の言葉に救われた、という話など、いくらでもあるだろう。でも、リッシェは本当に救われたし、嬉しかったのだ。

「……一つの例外を出すと、後で色々と問題が起きかねない」

 リッシェの必死の訴えに、ルーランスは淡々と言い返した。

 魔法使いには、魔法使いの決まりなり事情というものがある。依頼人にもあれこれと事情はあるのだろうが、もし一つの依頼を特別扱いすれば、別の依頼があった時に「どうしてこれはしてもらえないのか」という苦情が出ることは考えられる。

 そうでなくても、この魔法に関しては厳しい目が向けられているのだ。面倒なことは、少しでも避けたい。

 とりつく島もないといった口調のルーランスに、リッシェは「これ以上言っても聞き入れてもらえない」と落胆した。

 実のおばあちゃんのつもりでも、通用しないの? 言っておけば、ルーランスも考えてくれた? どうしてもダメなら、その時に言われた方がずっとあきらめがつくわ。せっかくここまで来たのに、却下されるくらいならその方が……。

 うつむくリッシェの目から、涙が落ちた。

「ここへ来てからの話は、聞かなかったことにする。行くぞ」

「え? 行くって……」

 どこに? 戻るぞ、じゃなく?

 リッシェが顔を上げると、ルーランスは村の方へと歩き出している。

「俺はブローチの持ち主が誰のおばあちゃんかなんて、実際どうでもいいんだ。火事が起きる前に、さっさと行動するぞ。突っ立ってないで、早く来い」

 リッシェは意図したつもりなどなかったが、今の泣き落としが効いた? いや、ルーランスにそんなものが通じるとは、とても思えないのだが……。

 事情はよくわからないものの、ルーランスは「強制送還」を思いとどまってくれたのだ。

「……うん……うんっ」

 涙のあとを手の甲でぬぐい、リッシェは急いで魔法使いの後を追った。

☆☆☆

 二人で歩いていると、村の人達と何度もすれ違う。昼間なのだから、当然だろう。

 だが、誰も何も言わない。そう広くない村のこと、ここで知らない人などいないのだが、相手はリッシェに気付いていなかった。

 ルーランスが、そういう魔法をかけたからだ。

 こちらから働きかけない限り、彼らはリッシェとルーランスを空気のような存在にしか思わないようになっている。

 人が来た時にさっと隠れられるような場所があればいいが、村には村人の家以外に隠れられそうな場所がない。畑や牛・馬が放牧されているような、だだっ広い土地が広がるだけ。

 だいたい、暗くない場所で行き交う人の目を盗んで、なんてこと自体に無理がある。

 この日時にもリッシェは存在するので、村人があっちでリッシェを見たのにこっちでも見た、などと言い出さないためにかける魔法である。

「少し早めのお昼ご飯を食べに戻って、それからまたみんなで畑へ行ったって。火事は、その時に起きたの」

 教会の正午の鐘は、とっくに鳴った。じき、マーラの部屋から出火するはずだ。火事に巻き込まれないうちに、早くブローチを取り出さなくてはいけない。

「火事が起きるってわかってるのに、止められないなんてつらいね」

 燃え出してからでは大変だが、その火種となるものを見付けた時点でなら、リッシェにだって消すことができる……はずなのに。

「火事が起きなければ、リッシェは俺に依頼をしない。戻った時の世界が、本来のものとは別の状態になるんだ。依頼がないのに、俺達が一緒にいる、という状況はおかしいだろう?」

「あ、そっか……」

 火事が起きない世界にして街へ戻れば、ウォイブに会っても彼にすればリッシェは知らない女の子、となっているだろう。

 触れることはできても、この世界にとって今のリッシェ達はいるはずのない存在。手を出せば、その先の時間に様々な歪みを起こしてしまう。

「私有物であっても、所詮は過去の物だからな。それに手を出す、ということについても、あれこれ取り沙汰されているんだ。そのうち、この魔法も御法度になるかも知れない。俺は、その方がいいと思うけど」

「そうなの? だけど、たった一つでも大切な物が手元に残せるって、とても嬉しいと思うけどな」

 御法度になる前でよかった、リッシェは心底ほっとした。

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