第3話 アルセの門
魔族の国フレスイードと人間が暮らす国々は、大陸を横断するブラッケン山脈という険しい山々に遮られている。連なる山々の稜線が国境である。
山脈に面した人間の国は、西側のキグナシア帝国、東側のエターナ国の二つだ。
キグナシア帝国は大陸の中央に位置する大国で、フレスイードに戦争を仕掛けてきた国だ。非常に好戦的で、周囲の国を武力で制圧して領土を拡大し続けている。
一方エターナ国は、大陸の端の小国だが、リオンの母ソフィアの祖国ということもあり、フレスイードと国交を持っていた。
ブラッケン山脈は標高が高く、空気が薄い。
頂上付近は年中雪が積もり、ゴツゴツした大小の岩が転がる危険な環境だ。
その上、この山に好んで巣食うモンスターは凶暴な種が多く、越えるのは困難を極める。(リオンたちのような高位魔族で、乗り物を持っているなら話は別だが)
ゆえに、通常は魔族の国と人間の国を行き来するためには、山脈の東側に唯一存在する大きな谷を通る。
その谷はアルセ谷と呼ばれ、エターナ国とフレスイードを結んだ街道となっていた。
夜明け前、馬で一気に山脈を駆け下りたリオンとシルフィードは、アルセ谷の街道付近の木陰で休憩をとっていた。
馬のメアが谷川の流れる冷たい水を浴びるようにして水分補給している間、リオンとシルフィードも川辺の岩に腰掛け、軽食をとった。
食事はシルフィードが準備していた旅用のものだ。
日持ちのする固いパンとドライフルーツに葡萄酒というリオンが普段食べているものとは比較にならないほど簡素なものだったが、空腹のリオンには、やたらと美味しく感じた。
リオンはシルフィードに眠らされていたため、夕食を食べそびれていた。
「あー……疲れたー……」
食事のあと、リオンは岩に座ったままぐったりと肩を落とした。
空腹が満たされてホッとしたせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。
いきなり家出させられたことによる精神的な疲労に加えて、一晩中馬で移動するという慣れないことをしたせいか。
一方、家出の実行犯であるシルフィードは一睡もせずに馬を駆り、走力支援や寒冷耐性のバフに魔力も使っていたはずだが、涼しい顔をしていた。
問題は馬のメアで、山を下りてアルセ谷の街道に合流したあたりで走れなくなってしまった。
リオンたちを乗せて、通常なら二日以上かかる距離を一晩で走り抜けたのだ。無理もない。
二人は馬を降りて手綱を引きながら街道をしばらく歩き、この場所まで辿り着いた。
「いよいよ、エターナですね」
シルフィードの視線の先、街道の最端には巨大な門がある。
黒鉄の格子に重厚な木板を組み合わせた門は、アルセの門と呼ばれるエターナ側の関所である。
まだ明けきらぬ夜の闇の中、門は固く閉ざされている。
上方にはかがり火が焚かれ、周囲に数名の不寝番が立っているのが見える。
門前の広場には、フレスイード側から夜に辿り着いた旅人や商人達のテントが見えた。
「夜が明けたら、ここから入れるのかな?」
「リオン様がお望みなら、今すぐ見張りを倒して強行突破してもいいですが」
「却下だ」
シルフィードの提案を、リオンは即却下した。
できるだけ穏便に平和的にここを通り抜けたい。
そのためには——
「シルフィード、通行証は持ってるのか?」
「それがまず最初の難関です」
シルフィードは難しい顔で腕を組んだ。
「フレスイードが発行している魔族用の通行証を使えば足がつく。すぐに魔王様の追手が来て、連れ戻されてしまうでしょう。人間用の通行証を手に入れる必要があります」
「追手?」
きょとんとしたリオンに、シルフィードが自分たちの現状を説明する。
「魔王様がリオン様の家出を放っておかれると思いますか? すぐにリオン様を連れ戻すために様々な手を打たれるでしょう。私たちは、すでに追われる身だと自覚しておいてください」
「なんか、犯罪者になった気分なんだけど……」
リオンは困惑する。
父が心配するかとは思ったが、あまり深く考えていなかった。
しかし、せっかく家出が成功したのだ。
できることなら冒険とやらを満喫してみたい。
こんなところで連れ戻されてたまるか。
「人間用の通行証か……」
俯いて考え込んだリオンに向かってシルフィードが得意げに言った。
「そこで私に提案があります」
リオンは嫌な予感がした。
シルフィードは門前に並ぶ四つのテントを指差しながら、
「あそこにいる旅人たちを二人ほどさらって殺し」
「却下だ! 殺生は禁止!」
言い終わる前に光の速さで却下したリオンに、シルフィードが小さく舌打ちする。
シルフィードはリオンがよしと言えば二人だろうがこの場の人間全員だろうが躊躇なくやるだろう。
どうにかここを穏便に乗り切る方法を考えなければ。
リオンは頭を巡らせる。
「通行証ってどうしても必要なのか? 山から回り込んで街の外壁を乗り越えて入るとかさ。メアならできるだろ?」
馬のメアは朝露に濡れた草をもりもり食べていた。
体力は回復してきているようだ。
もう少し休んだら、外壁を超えるぐらいはできるようになるだろう。
「街の中に入るだけなら可能かもしれませんが、通行証は旅をするには不可欠です。街で宿をとる場合は身分証明書にもなりますし、品物の売買や金銭の両替にも必要です」
すらすらと言うシルフィードにリオンが感心する。
「おまえ、よく知ってるなぁ」
「こんなこともあろうかと、人間の旅人の手記を事前に読んでおりました」
シルフィードが得意げにニヤリと笑う。
まさか、こんなことを想定していたとでも言うのだろうか。
リオンは深く考えないようにしようと思った。
「ずっと野宿して旅を続けるなら通行証は不要ですが、リオン様に快適な環境で過ごしていただくためにも、まずはここで通行証を手に入れることが得策であると私は考えます。私の幻術でごまかすにも限度がありますので」
シルフィードの言葉に、リオンは腕を組んで考え込んだ。
リオンだって、できればずっと野宿は避けたい。
「人間の通行証か……平和的に話し合いで譲ってもらうわけには……いかないのかな?」
上目づかいで見上げたリオンの言葉を受け、シルフィードは穏やかに微笑んだ。
「リオン様がお望みなら、私が交渉してきましょう」
数分後――
シルフィードは、あっさりと二人分の人間用通行証を持ってきた。
「とても親切な人たちで、事情を話したら快く譲ってくれましたよ」
「そ、そうか……よかった」
引きつったような笑みを浮かべたリオンは知っていた。
シルフィードは、昔から幻術や人を操る術が得意だった。
つまりはそういうことだ。
旅人たちよ、ごめんなさい。通行証が何らかの理由で紛失しても、おそらく同行するメンバーが身分を証明してくれるさ。そしたら、ちょっと待たされるかもしれないけど、通行証は再発行してくれるんじゃないかな? 旅にはきっと、そういうハプニングもあるよね。仕方ないよね。
リオンが様々な思考を巡らせている前で、シルフィードは羽ペンを取り出し、通行証の名前などの個人情報が書かれた部分を羽の部分で擦った。すると、みるみる字が消えていく。
リオンが目を丸くする。
「なにそのペン」
「これは私が作ったペンです。この羽の部分でインクを消すと、ペンがインクの色と筆跡を記憶します。この後ペンで書けば似たような色と筆跡を再現できます。主に文書を偽造するために使います」
言いながらシルフィードは通行証に必要事項を書き込んだ。
あっという間にリオンとシルフィードの人間用通行証の出来上がりである。
「そうか、それ、おまえが作ったのか……」
「はい、一生懸命頑張って作りました」
少年のような顔で笑ったシルフィードの笑顔がまぶしい。
とりあえず通行証はなんとかなったので、よしとする。
「もしかして、オレの書き置きもそれで書いたのか?」
「こんなものを使わなくても、リオン様の筆跡ぐらいは心得ています」
さらりと怖いことをいいながら、シルフィードはリオンに通行証を手渡した。
「リオン様、我々はこれからは人間として旅をすることになります。まず、魔族の証である角と牙はひっこめておきましょう」
リオンは言われるままに、頭の緋色の角と小さな牙を引っ込めた。
角や牙は少しコツがいるが、自分の意志で引っ込めることができる。
それだけで、外見だけは人間に見えるようになる。
特にリオンは金色の髪に緑色の瞳、優し気な顔立ちなど、魔族らしからぬ外見をしていた。角がなければ、人間そのものだ。
シルフィードも黒い角がなければ人間に見える。
なんとなく人間離れした怪しい気配が漂っている気もするが。
シルフィードは
「これから街に入ったら、フレスイードの通貨を人間の通貨に両替して、旅人用の服を買いましょう」
「お金、いくら持ってきたの?」
「ゴールドバル(金貨)を七枚と、シルバーバル(銀貨)を五十枚ほどです」
「おお、金持ちじゃん! それだけあれば、しばらくは遊んで暮らせるな」
ハハハと無邪気に笑ったリオンは、これから待ち受ける両替不可という試練を知らなかった。
こうして、リオンとシルフィードは、人間としてエターナ国に潜り込むことに成功したのだった。
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※このお話で使っている地図の画像です。興味がある方はご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/natu0817/news/16818792440616066384
※補足 お金の単位
■通貨単位
魔族の国:バル(V)= 人間の国:ルクス(L)
金貨:ゴールドバル(GV)= ゴールドルクス(GL)=100SL=10000BL
銀貨:シルバーバル(SV) = シルバールクス(SL)=100BL
銅貨:ブロンズバル(BV)= ブロンズルクス(BL)
■日本円換算イメージ
100万円 = 金貨1枚 = 銀貨100枚 = 銅貨10000枚
1万円 = 銀貨1枚 = 銅貨100枚
100円 = 銅貨1枚
つまり750万円ほど持ち出してきたシルフィードさん……
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