第4話「放課後/日常と影」

 チャイムが鳴って、最後の授業が終わった。


 窓の外にはもう夕方の光。防災柵が茜色にきらめき、空の半分は深い藍に沈みかけている。


「よし、行くか」


カバンを背負いながら俺が言うと、力は小さくうなずいた。


「……購買の残り物、まだあるかな」


「おまえ、昼に引き分けで満足したんじゃなかったのか」


「胃袋は円じゃなくて、底なしだから」


「……今日いちばんの名言だな」


「誰がむっつりだ」


「言ってねえよ!」


 廊下は放課後のざわめきに満ちていた。部活へ走る声、掃除用具の金属音、吹奏楽部のラッパが遠くで音を外す。


 生徒会室の前では役員が「文化祭予算が足りない」と揉めていて、美術部は廊下にキャンバスをずらりと並べていた。夕日の光で白い下地が朱に染まっている。


 廊下を抜けると、バスケ部の掛け声が体育館から漏れてきた。


「おい阿礼!」


 声をかけてきたのは同じクラスの藤間だ。バスケ部のエース気取りで、汗で髪が額に張り付いている。


「今日、三対三足りないんだ。ちょっと出ろよ」


「無理無理! 俺、ジャンプすると膝壊れるから」


「言い訳すんな。クロウリー(笑)、おまえの冗談で会場あっためてくれりゃ十分だ」


「芸人枠で体育館に召喚すんな!」


 周囲の笑いに混ざりながら手を振って断る。藤間は肩をすくめて戻っていった。


 購買に向かう途中、今度は吹奏楽部の部室前を通る。トロンボーンを抱えた女子が、こちらを睨んできた。


「さっき音外したの、おまえのせいだからな」


「俺のせい!? 心当たりゼロだぞ!」


「うるさいから集中できないんだよ」


「俺は存在してるだけで加害者か!?」


「そう」


「即答かよ!」


 力は隣で小さく笑っていた。


「……君の存在は、たしかに騒がしい」


「おまえまで!?」


---


 昇降口を抜けると、校門の外に黒いワゴンが停まっていた。


 車体の側面には銀色の文字――**“神薙舎”**。


 午前中にも校内で見かけた退治屋の車だ。ドアが開き、黒いコートの男女が降りてくる。腕章には「NRA登録社」の文字。


 ノクシラ対処機構――**Noxira Response Agency(NRA)**。七年前の大侵攻を機に設立された国際組織。その日本支部、通称「ノク対」に登録された民間の退治屋が、この街を巡回している。


「……まだ残ってたのか」


「巡回は夜まで続くってことだな」


 力の声は低い。俺はあえて軽口を返す。


「まあ、俺らには関係ない。俺らはただの高校生」


「……そうだね」


 何でもない日常が続くこと。そう信じなければすぐに崩れてしまう気がして。祈るようにそう言った。



 放課後の商店街。


 部活帰りの生徒たちがコンビニで立ち読みし、カラオケのビルから音が漏れている。


 だが、人通りは七年前より明らかに減っていた。街路灯の下に、**避難誘導マップ**が掲示されている。『ノクシラ出現時は速やかに退避を』と赤字で書かれたプリント。誰も足を止めて読まない。けれど視界の隅には必ず入る。日常に混ざった影だ。


 そんなとき――耳に砂を流し込まれたような音がした。ざらり、と。電波のノイズに似た、不快なざわめき。


「……阿礼」


「聞こえるよな」


「……ああ」


 二人同時に足を止める。夕暮れの風が背筋を冷やす。


 路地の奥。街灯の明かりが一瞬、吸い込まれる。壁のポスターが風もないのにめくれ上がり、そこに黒い“何か”が蠢いていた。


 ノクシラ――。

 七年前に世界を変えた怪異。その影が、俺たちの日常にまた滲み始めていた。遠くでサイレンが鳴る。

 退治屋か、ノク対の巡回か。街は、普通と異常の境界で暮らしている。


 俺と力の一日もまた、その境界の上で揺れていた。

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