ノクシラ・クロニクル

なくさ

1章 裂けた空

第1話「裂け目の夏」

――空が、裂けた。


 その瞬間を、俺は今でも夢に見る。


 夏の昼下がり、校庭に整列していた。全校集会だ。蝉の声が校舎の壁に反射し、耳障りなほど響いていた。

 だが、それは一瞬でかき消えた。


 雲ひとつない青空の真ん中に、黒い線が走った。細い傷のような線はじわじわと広がり、裂け目となった。

 太陽の光を呑み込み、世界から音と色を奪っていく。


 耳に残ったのは地鳴りのような低い唸り。胸の奥を圧迫する不気味な震え。そこから"何か"が降りてきた。


 黒い影。形を定めず、粘つきながら脚のようなものを蠢かせ、地面を踏み潰していく。校舎の向こうで轟音。土煙が空を覆い、誰かが悲鳴を上げた。


「全員、中へ! 走れ!」

 教師が怒鳴った。俺は夢中で走った。体育館へ駆け込むと、窓ガラスが震える音が聞こえた。鼻を突いたのは焦げ臭い匂い。耳を刺したのは、世界が壊れていく轟音だった。



 翌日、俺は避難所にいた。

 見知らぬ体育館。床に並べられた毛布の上で、人々が肩を寄せ合っていた。汗の匂い、消毒液の匂い、泣き声。空気は重く、息苦しかった。


 俺は毛布にくるまって座っていた。隣では弟が泣き疲れて眠っている。目を閉じても眠れなかった。瞼の裏に、昨日の空が浮かんだから。


 体育館の隅で、誰かが防災ラジオをつけていた。ノイズ混じりの声が響く。

「……未確認の、黒い……複数の……自衛隊が……対応中……」

 雑音に途切れながら断片的な言葉が届いた。


 周囲の大人たちがザワザワし始めた。

「やっぱり自衛隊が出てるんだ」

「でも、どうにもならんって話だ」

「何が起きてるのか全然分からない」


 俺には意味が分からなかった。ただ、誰も説明できないということだけが伝わってきた。不安が体育館全体を覆っていた。


 やがて安否確認が始まった。マイクを通して次々に名前が呼ばれる。知った名前が呼ばれるたびに泣き声が上がった。

 けれど――父と母の名前は呼ばれなかった。


 何度耳を澄ましても、二人の名前が呼ばれることはなかった。

 胸の奥が冷たく沈んでいくのを、子どもなりに理解していた。


 夜、毛布の隙間から見上げた体育館の天井はやけに高く、遠かった。

 防災ラジオがまた途切れ途切れに声を漏らしていた。

「……"異相"……と……海外では"ノクシラ"と……」


 その言葉を、意味も分からぬまま胸の奥に沈めた。

 周りの大人たちがざわついた。誰もが顔を伏せ、目を合わせようとしなかった。


 あの日から、世界は変わった。

 俺はいまでも鮮明に思い出す。

 ――ときどき夢に見る。

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