九月十五日(月・祝)楽しさの後の寂しさ。
初めての待ち合わせ。11:15に駅に着いた。
「ちょっと早すぎた……」
まだ残暑厳しい今日、駅の改札の冷房は効いていない。額にじわっと滲んだ汗を、ハンカチで押さえた。
11:20すぎ、改札の中にクルミの姿を見つけた。
クルミは私に気づくと大きく手を振った。私も小さく降り返した。
「ごめんね、待った?」
クルミは私に走り寄った。
「ううん、さっき来たとこ」
「ゆかり、何食べたい!?」
クルミはお腹ペコペコといった様子だった。
「うーん、何がいいだろ。クルミは?」
「私はー……」
ぐるっと辺りを見回したクルミの視線がファストフードの看板を捉えた。
「お月見バーガー出てる!」
瞳がキラキラ輝いていた。
「いいね、食べよっか」
初めての外食は、ハンバーガーに決まった。
くだらないおしゃべりをしながらハンバーガーを食べたら、目的の百均を目指した。その途中にパン屋を見つけた。
「パン屋だ……!」
クルミは「入ろう」というと同時に店に入った。
「え、まだ食べるの?」
「見学、見学」
クルミはそう言いながらトングを手にし、フルーツの乗ったデニッシュをトレーに乗せた。
「買ってるじゃねーか」
「おやつ、おやつ」
その後、無事に百均で材料を買い、いつも通り家に戻って二人で作業をした。
「動画で何でもわかるから助かるよねー」
「ほんと、それね」
今日、買い足したのは、一番細い筆。それをさらに、眉毛カット用ハサミで切って、極細筆を作る。これでもっと細かい焼き色が付けられる。そして、いい感じの木箱と端切れも買った。
買うものは全てお小遣いの範囲内で。それも私なりに決めたルールだ。
木箱に敷く布を端切れセットから選ぶ。しばらく二人であれやこれやと言いながら、結局オーソドックスな赤いチェックを選んだ。小さな木箱を小型のこぎりでさらに小さく二分割し、断面をやすりで削る。中に、折った端切れを敷き、その上にパンを並べる。小さな籠にも端切れを敷き、バゲットを二本差す。
「すっごい、パン屋っぽい」
「だね」
クルミが先日作った、へたっぴなクロワッサンもどきの前には、赤色の極細ペンで『sale』と書いたミリサイズの紙を置いた。ただのミニチュアパンの集合体は、少しずつパン屋へと変貌を遂げた。
「やったー、できた! めっちゃ可愛い」
クルミは私より喜んでいた。
「名前つけよう。ゆかりパンにする?」
「クルミの方がパン屋っぽいな。ゆかりパンはなんか、紫蘇が入ってそうじゃない?」
「でもクルミパンだと専門店みたいだよ。しかもクルミパンあったっけ?」
「ない」
「ないんかい」
クルミがあははと笑った。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
帰り間際、クルミがイヤそうに言った。
「明日から放課後、体育祭全体練習あるんだよねー」
私は動揺を悟られないよう、努めて冷静に返した。
「そうなんだ……」
「まだ暑いのにさー。めんどくさいよー」
咄嗟に言葉が出なかった。
「……い、いつまで?」
クルミのめんどくさい気持ちに共感すればよかったのに、私の口から出たのはクルミが来なくなる心配だった。自分のことばっかりだ。
「金曜まで。この四日間一年は部活も休んで練習だって」
「……そうなんだ」
「応援とダンス、全クラス一緒にやるんだよ。絶対大変だよ」
クルミはうんざりした口調で言った。
「大変だね……」
しばしの沈黙が続いた。何か気の利いたこと言わなきゃ、と頭を回転させていると、クルミが口を開いた。
「ゆかりは……」
クルミがチラリとこちらを窺うように見た。
「?」
「……ゆかりは、体育祭、来る?」
ハッとした。そうだった。体育祭は十月。私の夏休みは終わっている。
「……わかんない」
そう答えるしかなかった。
「だよね! わかんないよね」
クルミは慌てて笑顔を見せた。
「どっちでも、いいと思うよ」
クルミは続けた。
「もし来るなら、一緒に楽しもうよ。でも、別に無理しなくても……」
クルミはそこまで言うと、少し焦ったような口調で言った。
「てゆーか、ごめんね! 変なこと訊いて」
私はぶんぶんと首を振った。
「気にしてくれてありがとう。でも、やっぱり体育祭は行かないかも……」
正直な気持ちだった。行ける気がしなかった。
というか、体育祭ムードのクラスを想像すると、登校することすらためらわれた。
「西垣さんどうする?」という微妙なムードを作ってしまうかと思うと、どうにも気持ちが塞いだ。
「練習、大変だと思うけど頑張ってね!」
私は無理に明るい声を出した。
「私も、今週はパン屋をもっとグレードアップさせようと思って。さっきクルミが買ったみたいな、フルーツが乗ったデニッシュ系とかも、作りたいんだよね」
「あー、だからやたらと写真撮ってたんだ」
クルミも明るく言った。
「じゃあ……、またね」
玄関先でクルミを見送る。
「うん、またねー」
角を曲がる直前、クルミは振り返り、手を振った。私も笑顔で手を振り返した。
クルミの姿が見えなくなって、私は「はあー」と大きな溜息を吐いた。
静かなリビングに戻り、力なく椅子に座った。
「体育祭か……」
そして、何より。
「今週は、来ないのかー」
テーブルの上には、たくさんの小さなパン。
『YUKARI Bakery』と書かれた看板をそっと摘まんだ。
縁側からは夕暮れの空が見えた。
「雨が降ればいいのに……」
そう呟いて、机に突っ伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます