明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)
野村だんだら
明敏犀利の蒸気歯車機関Ⅰ
第01話 序章 犀利なる人形。
生きている人間に魂が無いことは、死人に魂が無いことよりはるかに恐ろしい。
――チャールズ・ディケンズ。
心なんて無ければよかったのに。これまでに何度そう思ったことだろうか。
けれど心は、たしかに在る。願っても、祈っても、無くなりはしない。自分の名前が好きでないのも、心がそう在るからだし、他人に自分をエリーと呼ばせることにしているのも、心がそれを望むからだ。
自動人形でありながら――機械でありながら、わたしには心が在る。だから自律できているらしい。完全自律型自動人形と言うのだそうだ。そんなエリーのことを、「犀利なる蒸気機巧人形」とか「ホムンクルス」などと呼ぶ者もいた。それから、酷いのは「
普通の人間であれば心臓が鼓動しているはずの場所は、エリーの場合、歯車たちが回っている。ただし、ただの歯車ではない。神聖錬金術とも呼ばれる現代の錬金術の、粋を結集して蒸気力を封じ込めた、特別な歯車だ。この歯車で出来た心臓に、エリーの心がある。エリーを作ったお母様が「
色々な呼ばれ方をしたわたしだけれど、ある日のお母様は「
きっと不良品と大差のない、その言葉に、わたしは傷付いた。だから、わたしはお母様が嫌いだ。――いや、嫌いは言い過ぎかもしれない。何故なら、好きだからだ。
好きだけど、でも嫌い。複雑な感情は、わたしの心臓のよう。この機巧炉心と比べたなら、複雑機構の代名詞のように言われたブレゲのトゥールビヨンなども、もはや目ではない。
ぞっとするような緻密さでもって組み合わさった歯車たちは、カタカタと静かに音を立てている。これと併せて「チ、チ、チ」と時を刻むようなそれは、さながら心音だ。
チッ、チッ、チッ、チッ、チッ……。
胸に手を当てつつ収音機を――耳を澄ませば、よりハッキリと聞こえる。心音に似たそれは、ガンギ車の歯がアンクルの爪を打ち付けながらテンプを回す音。古典的でしかし精巧な、時計仕掛けの音。今はまだ問題なさそうだが、これが止まれば、エリーも止まる。
停止は、死ではない。お母様からそう教わった。けれど、その事実だけで恐怖が拭えるわけでもない。少女の姿をした人形の心にも、恐怖はある。
恐怖から生じるのは焦燥だ。
あぁ、急がなければ……けど、あぁ、もう。どうしてこんな。わたしが、よりにもよってこんなことを……。
カタカタカタカタ。
心が乱れても、心臓の歯車は均一なリズムで回る。機巧は正常だ。けれど、エリーの場合、それだけではダメなのだ。
深呼吸。胸を蒸気で満たして、もう一度、今度は両掌を胸に添える。
チッ……チッ……チッ……。
気付けば心音は、心なしか先程よりも遅くなっている。ゼンマイが切れてきていることを、仕組まれた複雑機構が知らせているのだ。この調子だと、三日と持たない。せいぜい半日、長くても一日が活動の限界だろう。
すると、仕方がない。そう、仕方がないのよ。
「……お母様なんて、大嫌い」
胸に手を添えたまま、エリーは祈るように呟く。
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