金木犀の通り道
きみだってたまには図書室を訪れる。
きみは高等部三年生。いわゆる受験生だ。
閲覧室には参考書や問題集を開く生徒もいた。この時期はまだ中間試験対策の勉強会ではないので、そこにいるのはほぼ受験を控えた三年生だった。
しかもほとんどが「独り」の集まりだ。だからきみも臆することなく空いている席に腰かける。敷居付きのカウンター席だ。
幸いなことに今日はうんちくを披露する輩はいなかった。
昔よく見かけたうんちく男は今や文芸部部室の主になっている。
きみがいざ参考書を開こうとするときみが所属するミステリー研究会の顧問を務める数学教師がぬっと顔を出した。
五十代だが四十くらいに見える。寝癖付けの髪はボサボサ、眼鏡もずれていて冴えない昼行灯だ。
にもかかわらず若く見えるのがきみには不思議だった。おかしな言動が子供っぽいからだろうかときみは思う。
「もうすぐ
相変わらずの唐突だときみは思った。
「私の実家にも金木犀の木はあった。親二人はなぜかそれを
きみは意味がわからないが耳を傾ける。
「金木犀と言う人の方が多いことに気づいたのはずっと後だ。なんで木犀だったのか? ひょっとして木犀の中にいろいろあるのではないかと私は思った。銀木犀とか――他にも赤や黄や青の木犀があるのかと」
数学教師がきみの隣に腰かける。運の悪いことにそこは
「調べたら銀木犀というのがあるじゃないか。ひょっとしてうちにあったのは銀木犀だったのかとも思ったのだが、銀木犀の香りは強くなく、しかも花は白だ。うちの庭にあったのはやはり金木犀だったのだなと今さらながら思った」
「金と銀と言えば金閣寺と銀閣寺だな。金閣寺に行って『金閣寺』ではなくて『金閣』だという説明書きを見た記憶があるが、ここでは金閣寺で許してくれ」
別に責めてもいないときみは思う。
「金閣寺と銀閣寺。どっちが良い論争があるの知ってるか?」
きのことたけのこ論争みたいなものかときみは思う。
「若い頃、私はどちらかというと銀閣寺派だった。きらびやかに金で飾った金閣寺よりも質素でモノクロ調の銀閣寺の方がシックに思えたのだ。それに銀閣寺に行った後、哲学の道を歩いて南禅寺に至るのがなかなか風情があって良かったんだよな。しかし何年か前二つをもう一度訪れたんだ。池越しに見た金閣寺は日が当たって輝くように綺麗だった。その後訪れた銀閣寺はこんな小屋みたいにみすぼらしいものだったかと思ったよ。行くたびに印象は変わるものだな。その時の気分とかで見え方も変わるのかもしれない。次行ったらどんな風に見えるのだろうな」
きみは黙って
やがてそこに孤高のクールビューティが現れた。きみの自宅の隣人で幼なじみでもある現生徒会長だ。
ふだんきみをいじって喜ぶ女子なのだが今は救世主になってくれるのかときみは期待した。
「ミステリ研廃部の話ですか?」
現生徒会長が遠慮なく言う。
実はもうミステリ研の会員はきみとこの生徒会長しかいなかった。
「金木犀と銀閣寺の話をしておったよ」
「色でつながる縁というのが興味深いですね」
縁ではなくただ連想しただけだときみは思う。
人間の意識というものは論理的に流れるわけではない。常に五感の情報にさらされノイズが入って来る。それがいちいち頭に流れるわけだから突拍子もない連想が起こってくる。
「金木犀の匂いは好き嫌いが分かれますね。匂いが強すぎるからでしょうか。私は好きですけれど」
生徒会長は言った。
「学校のそばに金木犀が植えられているエリアがあったな」
数学教師が言う。
「――もうすぐ匂いがする時期に入るだろう。あの道を通るたびに私は自分の実家を思い出し、そして金閣寺、銀閣寺を思い出し、哲学の道を思い出すのだ」
「どなたかと歩かれたのですか?」
生徒会長が訊く。もちろん哲学の道のことだ。
こう見えて彼女は色恋沙汰が好きだ。
「まあ昔の話だ」
「奥様ですか?」
ほんとうは彼女さんですかと訊きたかったはずだときみは思う。
「今は独り身だしな」
数学教師は
きっと金木犀の黄色い花を見ると「黄昏」という文字まで浮かぶのだろうときみは思う。
匂いで思い出し、視覚で呼び覚まされる。
眠っていた記憶がときどきよみがえるのはきっかけがあるからだときみはあらためて思う。
思い出したくなければ耳も目もふさぎ、五感を閉じるしかない。
「金木犀の花が咲いたときに二人で歩くと良い」
たそがれの数学教師はそう言い残して去っていった。
「――だって」
生徒会長がきみに微笑む。
きみは逃れることができない。
そろそろ年貢を納めないといけないのか――ときみは思う。
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キャスト
きみ
数学教師
現生徒会長
(※) 『探偵助手は語らない』
https://kakuyomu.jp/works/16818792438089970960
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