第2話 目覚め

 俺は、手に入れた異世界の本を何度も読み返していた。

 膝に擦り寄ってくる愛猫のタマをあやしながら、この国の将来を憂う。

 とはいえ今の俺は闇商人。五人ほどの小さな組織を束ねるだけのチンピラだ。

 いま出来ることと言えば、猫を撫でて、ページをめくることくらい。

 まずは知識がいる――この国を転覆できる知識が。


 猫はこの国ではあまり馴染みがないらしい。異世界の国、日本ではメジャーなペットだという。

 この子は女の子で、異国風の名前を付けた。


 この生き物が棲む樹海には、人はほとんど近寄らない。

 拾ったとき、子猫の頃は手のひらサイズで愛らしかったが、半年で全長が俺の背を超えたのは想定外だった。

 いまでは背中に乗って移動できるほど。重さは俺の五倍はあるだろうか。


 猫って、意外と大きくなるものだな。

 こんな生物がうようよしている異世界は、実は魔境なのかもしれない。異世界人は貧弱だが、強大なペットを連れ歩いて身を守っているのだろう。


「ンミャー!」


 タマは今も子猫のときの癖で、俺の頭の上に足をかけて乗ろうとするが、この大きさではさすがに無理だ。鋭い爪で服がボロボロになるから勘弁してほしい。

 これくらいで魔法使いの肌に傷は付かないが、魔力をまとわせた爪なら話は別だ。

 もっとも、子どもの頃から躾けているうちの愛猫が、そんな真似をするはずもない。


 頭に乗るのは諦めてもらって、代わりにお腹の下に手を入れて持ち上げてあやす。タマはゴロゴロと喉を鳴らす。かわいい。

 持ち上げられるのが好きなのは子猫の頃から変わらないが、この重さを組織内で持ち上げられるのは俺くらいだろう。

 魔力が強い人間は、それなりに力も出せる。いまは楽に持ち上げられるが、これが倍の重さになったら、さすがにしんどいかもしれない。


 もちろん、魔力が強いことのデメリットもある。俺たち魔法使いは自分で魔力を作れない。呼吸を通じて魔力を摂取し、魔法器官に貯めておく必要がある。

 それが王都に貴族が集まる理由でもある。あの辺りは魔力濃度が高いのだ。


 魔力が枯渇すれば、生命の維持すら難しくなる。異世界には魔力がまったく無いらしい。

 一定以上の魔力を持つ者は、異世界では数時間で体調を崩し、最終的には死に至る。

 門が開いた直後、向こうに派遣された貴族が相次いで不審死したことで判明した。

 ただ、魔力がほとんどない平民なら、一月程度は問題ないらしい。

 向こうに連絡役として何人かの平民が置かれていると聞くが――その末路は想像がつく。

 この国は平民出の魔法使いすら使い捨てにする。魔力すら持たない平民の扱いなど、火を見るより明らかだ。

 魔力の高い人間が異世界でも生きていける方法のアイデアは、実は前からある。今度、試してみてもいいかもしれない。


「ぐにゃー!」


 考えごとをしていて、あやす手を止めていたせいか、タマが抗議の猫パンチ。こらこら、俺以外にやったら大怪我だぞ。猫パンチをしないように躾けているが効果はまだ出ていないようだ。

 まあ、生後一年の赤ん坊みたいなものだ。仕方ない。


 下から見ると、お腹の毛並みが乱れている。こいつは毛繕いがちょっと下手だ。あとで手伝ってやろう。


 俺が猫と戯れていると、無線機と呼ばれる異世界の道具を持った少女が近づいてくる。

 うちの副官をやってくれているミーナだ。


「キットゥ様、北東の未確認ゲートから取引の要請が来ています」


 キットゥ――本名ではない。通り名、屋号のようなものだ。俺はお尋ね者だからな。


 抱えていたタマを地面に降ろす。

 タマは無邪気にミーナへ近寄るが、彼女は慌てて避ける。

 少し前、じゃれつかれて右腕を粉砕骨折してから、すっかり距離を取るようになった。すぐに備蓄のポーションで治したが、怖いものは怖いのだろう。

 ミーナは格安で買った奴隷だ。農村の崩壊で、この国の市場は奴隷で溢れている。

 この国では魔力こそ正義。ほとんど魔力のないミーナは、ほぼ捨て値だった。

 魔力がない人間は身体能力も乏しく、使い道が限られる。

 それでも彼女は読み書きができ、頭の回転も速い。事務用に買ったが、いまでは簡単な異世界語も話せる、心強い仲間だ。


 ミーナは俺の背に隠れ、手を振ってタマを追い払う。

 タマはしょんぼり離れ、近くの岩で爪研ぎを始めた。……あ、岩が砕けた。

 爪研ぎ用の代わりを用意しないと。異世界から爪研ぎを調達できないだろうか。


 ミーナが正面に戻ってきたので詳しく聞く。

「午前に取引できなかった暴力団の連中か?」

「はい。いつもの門が消えていたので、新しい門を見つけたようです」


 仕方ない。荷車の準備をして出かける。

 ちなみにミーナはアジトで留守番だ。あまりに非力で、護衛しきれる自信がない。

 取引用に渡された無線機で連絡を取り合うことにする。


 出発しようとすると、タマが足に擦り寄ってきた。ついて行きたいらしい。

 ここ数日、本ばかり読んで散歩に連れていっていなかったな。


「タマ、ついてきてもいいけど、取引相手を襲うなよ」

「ンミャー!」


 元気よく返事――内容は、たぶん分かっていない。

 道中、思いついて、適当な獣を捕まえて縄でぐるぐる巻きにしておく。アイユル。この森によくいる、体長一・五メートルほどの草食動物だ。


 狼煙の上がる地点へ行くと、取引相手はすでに来ていた。俺に負けず劣らずのチンピラ。怯えた表情で、なぜか視線は終始タマで固定されている。まあ、かわいいからな。

 このゲートは向こうの水路に繋がっているらしく、相手はびしょ濡れで生臭い。


 今回はいくつか“お土産”を頼んである。

 異世界の主力武器だという拳銃も、その一つだ。


 使い方を訊き、途中で捕まえたアイユルに向けて試射する。反動はほとんどない。

 獣は苦しそうな声を上げたが、傷は小さい。

 どうやら異世界の武器は、この世界で魔力を持つ生物には通りが悪いらしい。続けて撃ってみる。

 三発ほどでようやく内部にダメージが通ったが、致命傷には程遠い。至近距離でこれか。少しがっかりだ。


 タマに合図を出す。食べていいよ――もともと彼女のオヤツにするつもりで捕まえたのだ。


 チンピラはその様子を見て震えている。

 猫といっても肉食獣だ。食事風景は、まあ、直視するものではない。無理に見なくていいのに。


「頼んでいたものはどれだ? これかな。開けるぞ」


 震える相手に声をかけても返事はない。仕方なく荷を漁る。

 求めていたのは、マルクスの著書、歴史書、軍事の本。


 相手が逃げ帰るように消えたあとも、俺は夢中で異世界の知識を読み耽った。

 俺の読んだ思想は、地球上で最も広大な国家をつくり、そして滅ぼしていったのか。


 この程度の武器では役に立たない。

 貴族を平民が打倒するには、もっと強力な武器がいる。最低でも対物ライフルは必要だろう。


 書中の著者も言っている。革命には武器が必要だ、と。


「プロレタリアート全体は、直ちに銃、ライフル、大砲、弾薬で武装しなければならない。」

「労働者を武装解除しようとするいかなる試みも、必要であれば武力をもって阻止しなければならない。」

 ――カール・マルクス「中央委員会から共産主義者同盟への訴え」


 正当な革命のために武装することを、誰も止めることはできない。街を焼き、兵を屠り、貴族を打ち倒し、徹底的に根絶やしにする。

 労働者の楽園は、その先にしかない。言葉ではなく、血と鉄でこそ実現されるのだ。

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