戦場の跡

 メリッサは倒れている男性の傍でしゃがむ。かすかに呼吸をしている。頭からの出血は止まっている。命に別状はなさそうだ。

 念のために声を掛ける。

「起き上がれそうですか?」

「……しばらくは無理そうだ。情けない」

 男性は悔しさを滲ませていた。

 メリッサは首を横に振る。

「住民を逃がそうとして必死だったあなたは、何も恥じる必要はありません」

「優しいな。ありがとう。少し休めば動けるようになると思う」

「分かりました。無理をなさらないでくださいね」


 男性の意識はしっかりしている。

 メリッサは胸をなでおろして、立ち上がる。辺りを見渡すと、悲惨な光景が広がっていた。


 レンガ造りの街並みは崩壊し、多くの人間が倒れている。

 所々で煙が上がっている。焦げ臭い。今まで燃えていたのだろう。今は消し止められているが、火災になっていたらもっと人的被害が出ただろう。

 メリッサは涙目になって嗚咽を漏らした。


「火を使うなんてひどいですね……人々はどれほど恐怖した事でしょう」


「勘違いしないでほしいが、火矢を使ったのは俺たちじゃねぇぜ。ここら一帯の火災を止めたのは、俺のワールド・スピリットだ」


 ダークがめんどくさそうに言っていた。

 メリッサは複雑な気持ちになった。

 ワールド・スピリットとは異能の総称だ。サンライト王国の国王や王妃、そして聖女たちも使っていた。

 みんな祖国を守るために必死に戦ったと、修道院に避難していたメリッサも聞いている。

 しかし、闇の眷属の中にも恐るべきワールド・スピリットを操る人間がいたという。

 サンライト王国を守ろうとした力も壊滅に追い込んだ力も、ワールド・スピリットだったのだ。


「ワールド・スピリットは恐ろしいものだと思いますが……火災を防げるなんて、すごいですね」


「ダークさんの能力は、周囲の酸素を奪って火災を止めるだけじゃないわん。天体現象を操るのん。みんな天変地異と勘違いするけどねん。あんたらの国を壊滅させた能力の一つよん」


 グレゴリーが得意げに答えた。

 ダークがグレゴリーを睨む。

「俺の能力を簡単に話すんじゃねぇ。対策を練られたらどうするんだ?」

「安心なさいん、あんたの能力は最強クラスよん。負ける時にはそれこそ天変地異が起こる時よん」

 グレゴリーは高笑いをあげた。

「世界が魔王にひれ伏す日は近いのよん!」

「世界がひれ伏すべきなのは、ルドルフ皇帝だろうが」

 ダークは呆れ顔になっていた。

「さっさと怪我人の手当てをやれよ。メリッサは始めているぜ」

「魔王は何でもできるという事ですね」

 メリッサは足を怪我した女性に包帯を巻きながら、ダークに尊敬の眼差しを送っていた。

 ダークは舌打ちをして首を横に振る。

「俺にできるのは殺戮だけだぜ」

「殺戮は許されません。一方で火災を止めたのですよね? 多くの人が救われたでしょう。本当にすごいです」

「……何故てめぇが喜ぶんだ?」

「戦乱に巻き込まれた人の命は、救われるべきだと考えるからです」

 ダークの疑問に、メリッサは当然のごとく答えていた。

「私は力不足ですが、あなたの活動を応援したいです」

「闇の眷属以外の人間が大量に死ぬのにか?」

「それはいけません。神官の自覚を持ってください」

 メリッサはキッパリと言った。

 ダークは両目を見開いたが、何も言わない。

 メリッサは包帯を巻き終えて、安堵の溜め息を吐く。

 足に包帯を巻かれた女性は、メリッサに向かって深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございます……聖女様」

「顔を上げてください。私は聖女ではありません」

 女性は驚いた表情でメリッサを見つめる。

 メリッサは気まずそうに視線をそらす。


「偽りの聖女です。ですが、可能なら目の前で困っている人たちを救いたいのです」


「助けて―! 誰か―!」


 突然に、少女の叫び声が聞こえた。

 ガタイのいい数人の男性に囲まれている。男性たちは革の鎧を身につけている。剣をちらつかせ、下卑た笑いを浮かべている。

「俺たちもいちおう戦ったからな。景品としてもらおうぜぇ」

「正規軍並に戦わなくてもいいだろ」

「げへ、この女で何日遊べるかな?」

 メリッサは寒気がした。少女が泣いているのに、男性たちは笑っている。

 女性が絶望的な表情を浮かべて怯えている。怯えながら声を振り絞る。

「そんな……やめて……やめて……」

 少女を助けようとしているのだろうが、声はまるで届いていない。

 メリッサは見ていられず、声を張り上げる。


「やめなさい! あなたたちは、何のために戦ったのですか!?」


「なんだぁ? 俺たちに説教かぁ?」


 男性たちに睨まれて、メリッサは大粒の唾を呑んだ。

 男性たちは厭らしく笑う。

「よく見りゃ上玉じゃねぇか」

「遊べる女は増えた方がいいもんな」

 メリッサの両肩が震える。怒鳴りたいのに、怖い。胸の内は、怒りと情けなさが混ざっていた。

 そんなメリッサを指さしてグレゴリーが嘲笑う。


「なによなによ、偉そうな口を叩くくせに結局何もできないじゃないの!」


「そうだグレゴリーさん、もっと言ってやれ!」


 グレゴリーと一緒に、男性たちがはしゃぐ。

 メリッサはこれから何をされるのか分からない。

 しかし言っておくべき事があると感じていた。


「あなたたちの気持ちを否定するつもりはありません。しかし、私たちに大切な人たちがいるように、あなたたちにも大切な人たちがいるはずです。今ここで大切な人たちが苦しんでいたり、助けを求めていませんか?」


「おいおい、この女は何を言ってんだ?」


 グレゴリーを含めて、男性たちは互いに顔を見合わせて、首を横に振る。

「訳が分からないから、もうやっちまおうぜぇ」

「メリッサは間違った事を言ってねぇよ。てめぇらもさっさと怪我人の手当てや救助を手伝え」

 ダークが低い声で言っていた。両目がギラついている。


「仲間を放っておいて、無駄話なんてな。俺の前でいい度胸してやがるぜ。死にてぇのか?」


「ひぃ! そ、そんな事はないですぅ!」


 男性たちは大慌てで怪我人の手当ての手伝いや、瓦礫をどかしたりする。

 少女は解放されて、一目散に足を怪我した女性のもとまで走った。二人で抱き合って泣いている。

 メリッサは両目を輝かせた。

「きっと母娘だったのですね。救われて良かったです。魔王のおかげです」

「口を動かす暇があったら手を動かせよ」

 ダークはそっけなく言っていたが、安堵の溜め息を吐いていた。穏やかな表情を浮かべている。

 メリッサは胸の内がくすぐったくなったが、ダークが魔王の威厳を保ちたい可能性を考慮して、深く追求しないようにした。

 母娘がメリッサに向き直る。まだ泣いている。


「本当にありがとうございました! あなたがいなかったら私たちはどうなっていたのか分かりません」


「私は何もしていません。戦乱に巻き込まれるのは辛かったと思いますが、どうか心を強く持って生きてください」


 メリッサは両手を合わせて微笑んだ。

 その後もメリッサは怪我人を助け、声を掛け続けた。メリッサは多くの人に感謝されたが、構う事はできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る