第三章 湯けむりの英雄
第17話 女神との再開
冷たい風も、血の味も、もう感じない。ただ静寂に包まれた真っ白な世界で、俺はまた立っていた。
「よっ、二度目だねぇ」
気楽そうな声が響く。振り向けば、例の軽薄そうな女神が腰に手を当てて立っていた。
胸元がゆるく開いた神衣が揺れ、柔らかい笑みを浮かべている。
「……また死んだのか、俺は」
「そういうこと。あんな化け物に正面から挑むんだから、まぁ無茶だよねぇ」
相変わらずの軽口。しかし俺は言い返す気力もなく、ただ空──のような空虚を見上げる。
村人たちが、あの温泉街が、どうなってしまったのか。俺は守れたのだろうか。
女神は小さく息をつき、今度は真剣な瞳でこちらを見つめた。
「でもさ。君、よくやったよ。岩を掘れば宝石にもなる聖具のスコップ。でも君は金儲けでじゃなく、人を癒す温泉のために、そしてその温泉を守るために振るった。……それこそ、命を投げ出す覚悟でね」
軽さの裏に、澄んだ響きがあった。
彼女が俺の右手を取る。白い光が溢れ、骨の髄に沁み込むような力が注ぎ込まれていく。
「これはご褒美。二度目の命と……君癒す力」
「女神様……」
「次は無茶して死ぬんじゃないよ? 君を待ってる女の子たちがいるんだから」
彼女はそう言って優しく微笑んだ。
次の瞬間、世界が、再び揺らぐ。意識が引き戻されるのがわかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「──! 脈が戻りましたわ! ケン、目を覚ますのです!」
霞んだ耳に、必死の声が飛び込んできた。
まぶたを重く持ち上げると、聖女アルーシャの顔があった。額に汗をにじませ、震える手で俺の胸に治癒魔法を送り続けている。
「ケンさん……っ、死んじゃいやです……」
「まだ……こっちを、見てる……大丈夫、戻ってこれる……」
リナとルアナが俺の手を強く握りしめているのがわかった。
女神の光が体に残っていたのか、リディアの魔法が急速に沁み渡っていくのが分かった。痛みは消えずとも、血流が再び巡り始める。
「……う、ぐっ……」
「ケン様! 気がついたのですね! よかった、本当によかったですわ……!」
横ではカルラが血に染まった布を替えながら涙を拭っていた。貴族令嬢のはずの彼女が、泥に膝をつき、俺をぎゅっと抱き締める。
声が重なり、涙がぽろぽろと頬に落ちる。
俺はやっとの思いで笑みを浮かべた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日後。
村人たちが復興に動き出し、俺は療養も兼ねて温泉に浸かることになった。
肩まで湯に沈むと、じわりとした熱が傷に心地よく染みる。俺は思わず深く息を吐いた。
「無茶ばかりして……。本当に心配したんだぞ!」
背中から声がした。
振り向くと、バスタオルを纏ったルアナが湯船にそっと足を入れてきた。顔が赤いのは湯気のせいだけじゃないだろう。
続いてアルーシャが入ってきて、恥じらいながら俺の隣に腰を下ろす。髪をまとめたうなじが白く輝いていた。
「……もう、二度とあんなことしないでください。聖女としてじゃなく、一人の女として……貴方を失いたくないのです」
彼女の震える声に、胸が熱くなる。
すると今度はリナが俺の肩に寄りかかってきた。
「わ、私も……。ケンさんがいないと、この宿も、何の意味もないんですから……」
少し離れた所にカルラの姿があった。
「きっと私の父が何かしたのでしょう……。ごめんなさい。私はここにいる資格もない」
そう言って立ち去ろうとする彼女の手を、俺は咄嗟に掴んだ。
「そんなこと言わないでくれ。君が村人たちをまとめてくれたから、被害は少なくて済んだ」
「うう……」
泣き崩れるカルラを、俺はそっと抱き締めた。
しっとりと湿る柔らかな肌の感触が直に伝わる。
「さあケンさん、一緒に入りましょう? ……カルラ様も」
リナが優しく呼びかけ、俺はカルラと共に湯船へ戻った。
湯の音が静かに広がり、次第に四人の距離が近づいていく。
守りたい。二度と手放したくない。女神に言われた言葉が、今ようやく実感に変わった。
「……皆、ありがとう。もう無茶はしない。俺は、みんなと一緒に生きる」
その約束が、この温かな湯よりもずっと力強く、俺を包んでいた。
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