守宮の会談絵草紙 第二十一話「潜む空間」

ふふふ、皆様、ようこそおいでくださいました。


このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語をお届けするストーリーテラーでございます。


さて、第21話「潜む空間」。


家とは、安心を装いながら、知られざる隙間を隠すもの。


コンクリートの奥、設計図の裏に潜む部屋は、誰のためのものか。


今回は、空間の嘘に囚われた男の物語でございます。


さあ、世の隙間を覗いてみましょう。


残るは、79話。成仏への道は、まだ遠いようですな。




【潜む空間】



俺は大工の見習いとして、飯場で埃と汗にまみれた日々を送っていた。


夏の陽射しが鉄骨を焦がし、コンクリートの匂いが鼻をつく。


仲間たちは酒と愚痴で夜を潰したが、俺はただ黙々と働いた。


理由なんてなかった。生きるためだ。


そこに、妙な男がいた。


誰も名前で呼ばず、ただ「彼」とか「あの男」と呼んだ。


四十代半ば、瘦せた体に鋭い目。腕は確かだったが、どこか浮いていた。


昼休みに設計図を広げ、独りで呟く。


「家は隙間だらけだ。影はどこにでも立つ。」


仲間は笑って流したが、俺は妙に引っかかった。


彼と俺は、飯場の脇にある四畳半のプレハブで寝起きを共にした。


五年間、狭い空間で息を合わせた。


最初は会話も少なかったが、夜が深まると彼は呟き始めた。


「家は生きてる…空間は嘘をつく」


暗闇に溶ける言葉だった。


意味はわからなかったが、心の奥に開けてはいけない何かを置かれた気がした。


彼は自分の過去を少しだけ話した。


幼い頃、親に連れられ町から町へ転々とした。


不動産屋の裏口、薄汚れたアパート、知らない家の物置。


いつも「次に住む場所はあるのか」という恐怖が、彼の小さな胸を締め付けていたらしい。


「家ってのはな、安心を装う。でも、隙間は必ずあるんだよ。」


彼の目は遠くを見ていた。


ある夜、彼は妙に饒舌だった。


目を輝かせ、まるで何かに憑かれたように語り始めた。


「恐怖を克服する方法を見つけた。空間を支配するんだ」


俺が尋ねる前に、彼は笑った。


「新築の家に、誰も知らない部屋を作る。三畳もあれば十分だ。


外部と繋がる小さな仕掛け。それだけで、俺の居場所は安泰だ。」


彼は一枚の設計図を押し付けた。


細かい線と数字の間、赤いペンで小さな部屋が記されていた。


その夜、彼は消えた。


荷物も、気配も、まるで空間の隙間に吸い込まれたように。


半年後、俺は彼の話が作り話だと疑い始めた。


確かめるのは簡単だ。


設計図を見ればいい。飯場からそう遠くない場所に、その家はあった。


百坪の土地に建つ、三階建ての白い邸宅。


庭には子供の自転車、窓にはレースのカーテン。普通の家だ。


設計図通り、裏庭の湿気取りの穴を調べた。


コンクリートに隠された金具を外すと、煙突のような筒が現れた。


中には、天井まで伸びる鉄のハシゴ。好奇心と、名前のない衝動に駆られ、俺は登った。


ハシゴの先は、三畳ほどの部屋だった。


無機質なコンクリートの壁。驚くことに、蛍光灯が淡く灯り、簡易トイレが隅にあった。


床には、一通の手紙と一週間ほどの食料であろう、缶詰と水が整然と並んでいた。


「よう、俺と同じ種類の人間だったな。気が向いたら、次の設計図の場所まで来いよ」


手紙の脇には、新しい設計図。


別の家の住所と、隠し部屋への入り方が記されていた。


笑いそうになった。冗談にしては凝りすぎている。


だが、なぜかその部屋から出るのが億劫だった。


外の世界が、急に遠く、ぼんやりとしたものに思えた。


一週間は一瞬だった。


食料が尽きると、俺は次の設計図を手に取った。


次の家も同じだった。


郊外の平屋、裏口の換気口、狭いハシゴ、三畳の部屋。電気、トイレ、食料、新しい設計図。


俺は操られるように、部屋から部屋へと移動を繰り返した。


気づけば、一年が過ぎていた。


いや、一年だったのか? 時間はコンクリートの壁に染み込むように曖昧になった。


外の音は遠く、記憶も薄れた。


飯場の仲間、親の顔、俺の名前さえ――存在の輪郭が、ゆっくりと溶けていく。


部屋の壁を見つめていると、時折、かすかな振動を感じた。


機械の唸りか、風か。それとも、俺の心臓か。


ある部屋で、壁の隅に小さなガラス片が光を反射した。


レンズのようだった。次の部屋では、設計図の端に奇妙なロゴ――「A.L.C.O.M.」と書かれた印。


気になりながらも、俺は次のハシゴを登った。


最後の設計図を手に取ったとき、俺はふと思った。


この部屋は、俺を閉じ込めているのか。それとも、俺がこの部屋を選んでいるのか。


住所は、隣町の工業地帯。古びたビルの地下を示していた。ハシゴを降りると、そこは他の部屋と違った。


広さは同じだが、壁に無数の細かい穴。空気が冷たく、どこか消毒液の匂いがした。


中央に置かれた手紙は、いつもの筆跡だった。


「家は生きてる。空間は、お前を覚えてる。そして、俺たちはお前を見てる」


その下に、ファイルがあった。


「被験者No.17」と記され、俺の写真が貼られている。身長、体重、飯場での勤務記録。


ページをめくると、部屋ごとの行動データ。移動時間、食料の消費、睡眠パターン。すべて、細かく記録されていた。


背筋が凍った。


壁の穴から、かすかな赤い光。レンズだ。誰かが、ずっと俺を見ていた。


ファイルの最後に、別の紙。


「A.L.C.O.M.セキュリティ評価報告書」


断片的な文言が目に入った。


「侵入者の行動パターン」「隠し空間の有効性」「警備システムの最適化」


そして、「彼」の署名らしきもの。


いや、彼の本名か。初めて見る名前だった。


俺は手紙を握り潰した。


怒りか、恐怖か、わからない感情が胸を焼いた。


だが、同時に、奇妙な安堵もあった。


この部屋は、俺を閉じ込めていたんじゃない。俺は、選ばれていたんだ。いや、選んだのは俺自身か?


外に出るドアは、すぐそこにあった。


錆びた取っ手が、薄暗い光を反射している。


俺は一歩踏み出した。だが、振り返ると、新しい設計図が床に落ちていた。


次の住所。次の部屋。俺は、設計図を拾った。





ふふふ、皆様、いかがでございましたでしょうか。


このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語の幕を、そっと閉じさせていただきます。


隠された部屋、監視の目、そして設計図の誘惑。


男は新たな隙間を選んだのか、それとも選ばされたのか。


空間は時に、人の心を閉じ込める迷宮となるようですな。


さて、第21話が終わり、残るは79話。


このヤモリ、成仏までまだまだ這いずる所存でございます。


また、次の隙間でお会いいたしましょう。

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