第2話 選ばれし傀儡
気づくと僕は紫色の花が敷き詰められた小舟に横たわり、黒い川の上をゆっくりと流されていた。神話でも聞いたことがある。死者はこの世とあの世の境目である川を小舟で渡るという。ただ、この小舟に神話と違って船頭はいないようだ。しかも、川の流れと同じ向きに流されている気がする。
こんな場所にいるということは、僕は本当に死んでしまったに違いない。結局17年しか生きられなかった。向こうで待っているはずの家族にも怒られてしまいそうだ。誰が僕から家族を奪っていったのかも分からないままだったし、ようやくセイと共に俳優を目指すという未来も見えてきたというのに、運命というものはやはり残酷だ。
今更、生前の出来事がゆっくりと走馬灯のように思い起こされる。思い出したからといってどうこうなるわけでもないというのに、僕はそんな空しい行為を続ける。
僕には家族がいない。いや、亡くしたという表現が正しいだろう。僕が親子喧嘩で家出をしている間に殺された。僕のせいで死んだ。母が遅くに帰ってくるであろう僕のために鍵を開けたままにしてくれたからだった。母の予想通り、僕は夜遅くに家に戻ってきた。嫌な予感がした。僕が閉めたはずの門は大きく開いたままになっているし、普段はつけることのない玄関の電気は点灯したままで、その上夜にしてもやけに静かだった。僕は「ただいま」と小さく呟きながら玄関を開けた。しかし、血を流した母の姿がすぐに目に入った。きっと犯人を帰って来た僕だと思って一番に出迎えようとしてくれたのだろう。救急に電話を掛けないと。でも、僕の握力は携帯電話をしっかりと握れないほどにまで低下していた。番号すら打てないまま僕の手から離れた携帯電話は母が横たわる血の海へと落ちる。わずかに意識が残っていた母は、自ら救急に電話を掛けた。父も母も妹も刺されたと。おそらく父と妹はもう死んでいると。自分もきっと間に合わないだろうから、僕のメンタルケアをお願いしたいと。最後の力を振り絞って感謝を述べた母は、そのまま動かなくなった。
そこから先のことはよく覚えていない。母が頼み込んでいたメンタルケアは受けたと思う。ただ、僕は可哀そうだとか僕だけは生き残れて良かったとか、そんな言葉をかけられるのが嫌いだった。最初は無視していた。でもそれはそれで、返事が出来ない程気が沈んでいるんだと思い込まれた。
だから僕は平気なふりをするようになった。大丈夫です。心配しないでください。施設での生活にも慣れてきました。高校入試の勉強だって順調ですから。……そうやって仮面を被っていれば、形だけの同情で自身の価値を高めたがる大人たちは周りから離れていった。それでも僕は演技を続けた。僕を大切にしてくれる人にも、僕は平気だって思ってほしかった。じゃないと、僕は悪くないと言ってもらいたくなる。傍にいて欲しいと、孤独にしないで欲しいと縋ってしまいそうになる。
無言で寄り添ってくれたセイが唯一の救いだった。どんどん平気なふりが上手くなる僕を見て、演劇の道へと誘い出してくれた。普段は無言で寄り添う癖に、いつも監督と結託して、演技にかこつけて彼女の思いを伝えてくる。しかもその後に僕が演じる役は涙を流さなければならない。僕は心からの涙を流した。あの瞬間だけ、僕は本来の自分でいられた。
だからこそ、こんなに早く死んでしまって彼女に申し訳ない。
自分を隠すためではなく、誰かを笑顔にさせたり感動させたりする演技の楽しさに気づかせてくれたのは彼女だった。だから共に俳優を目指そうと志したばかりだった。
ヒュンッ
僕のそんな長い走馬灯はこの場に相応しくない、何かが空を切るような音で灯りを消された。
小舟に軽い衝撃が走り、進行方向を変える。今までは流れに任せるままだったのに、徐々に岸の方へと引っ張られていく。軽く起き上がってみると、舟の先端に縄が巻き付いている。どうやら先程の音はこの縄が空を切る音だったようだ。
徐々に岸辺が見えてきた。縄で小舟を引き寄せている人物も見える。若い白髪の男性だ。もしかして、僕が勘違いしているだけで異世界トリップなのだろうか。
トンッと軽い音を立てて小舟は止まった。
「紫色のアネモネ……か。君に相応しい花だね、アズマ君。そうだ、まずは俺から自己紹介しないといけないよね。はじめまして、アズマ君。俺はミスト。君を迎えに来たよ」
そう言って謎の人物は僕に手を差し出した。名乗られたところで何も分からなかった。それに、彼はなぜ僕の名前を知っているのだろう。
「あれ、船酔いでもしちゃった感じ?でもその体勢からのおんぶはちょっと年寄りにはキツイかなぁ~」
なかなか僕が手を取らないからか、ミストと名乗る人物はそう呟いた。が、断じて僕は船酔いをしていない。ただ単に、状況を呑み込めていないし、彼を信用できていないのだ。というか、その若い見た目で年寄りとはどういうことだろうか。やはりここは異世界なのか?フィクションの世界なら見た目と年齢の不一致もありえる。
「貴方は何者ですか?」
ここがどこかも知りたかったが、相手の正体を聞けば自ずと見えてくるだろう。
「あっはは、懐かしいな。君の遠い親戚も『お前は誰だ』から始まったんだったっけ。詳しい事は道中に話すからさ、一旦小舟から降りない?」
どうやら僕を連れ出すことが優先なようだ。というか、僕の遠い親戚ってどういうことだ?疑問が増えただけで何も解決しない。
仕方なく僕は彼が差し出した手に体重をかける形で立ち上がれば、そっと桟橋のようなところに引き上げられた。細身でおんぶはしたがらないくせに、割と力はあるようだ。
「じゃあ、着いてきてくれるかな。俺のこと、胡散臭いと思ってるだろうけど」
彼が歩き始めたので、僕は取り敢えず胡散臭い彼の後に続いて歩くことにした。彼が自称するように、確かに彼は胡散臭い。何がどう胡散臭いのかは分からないが、全身からオーラが漂うというか、匂うというか。
「ここは天上の世界。地上の世界とは別次元にある、死者と神と、神に選ばれし『
成程、異世界ではないみたいだ。神援者というのはきっと、神話でもよく登場する神に攫われて側仕えみたいになる人々のことなのだろう。であれば、彼がその神なのか?いや、彼も神援者であると自称していた。なら誰が僕を選んだんだ?
「ちなみに俺は2500年くらい前からここにいるよ。俺は生前歴史家だったからさ、地上の歴史をずっと見続けたくてね。そうしたら歴史を司る神様がずっとここに居ればいいって言ってくれたんだ」
2500年近く生きている……!?だから彼は年寄りを自称しているのか。
「今はめっきり歴史を研究する機会なんてのは減っちゃったけど。1800年くらい前に発足した新しい部署の初期メンバーに選ばれちゃって。ちなみにアズマ君は今後そこで働いてもらうことになるよ」
「は、働くなんて聞いてません!」
働くなんて聞いてない。彼が話さなかったのだから当然であるが。でも、僕には死後の世界でやらなければならないことがある。先に逝ってしまった家族に謝らないと。
「僕はこの天上の世界で待っている家族に謝らないといけないんです」
すると、彼は溜息を吐く。
「そうだね、アズマ君にはこの世界の死のシステムについて教えないと。がっかりさせるかもしれないけれど。これは本来アルタ君の役目なんだけど、君がここである程度納得してくれないとオフィスに連れていけないだろうし、そしたら彼女を困らせてしまう。まぁとにかく、本来俺が教えることじゃないから下手かもしれないけど許してね」
そう言って彼と僕は桟橋に腰掛け、彼は宙に浮かぶ液晶のようなものを使いながら僕が理解するまでこの世界における死のシステムについて教えてくれた。それを以下にまとめておく。
まず、空の体に魂が宿ることで誕生し、肉体が機能しなくなると魂はこの天上の世界にワープさせられる。そして魂の記憶はこの天上世界にてリセットされ、新しい肉体へ宿り地上世界へと帰っていく。だからもう僕の家族の魂はここにいないとのことだ。
魂の記憶をリセットするには、未練を最小限にしなければならない。未練を抱えたままだと記憶のリセットに魂が抗ってしまう。その結果、前世の記憶を持つ人々が稀に存在している。未練を果たすために、天上世界は2つの方法を提示している。1つ目は人生を自分の思うがままやり直すというもの。そして2つ目が異世界転生。元々は「もしも」のパラレルワールドのみしか対応していなかったが、今は地上世界とは完全に異なるフィクションの世界の利用がメインになっている。しかし、フィクション世界はオリジナルバージョンしか対応していない。そこで必要になってくるのが、死者の魂が望むようにフィクション世界の「もしも」を作り出す存在。それこそが、僕が今後所属することになり、ミストが係長を務める「異世界転生観測係」の役割だ。ほとんどの未練は軽い手直しで果たせるようになるが、中には直接そのフィクション世界に出向いてまで世界の設定を覆す必要がある。主な業務がその世界への介入に当たる。これら2つを合わせて「観測」と呼ぶようだ。
家族に会えないということは理解できた。理解はできたが、今までに感じたことのない悔しさを感じているのも事実だ。
でも僕は今わくわくしている。この異世界を観測するという行為に。普通の魂であれば1つの世界しか体験できない。でも、僕は違う。僕は多くの世界を渡り歩くことができる。そして僕は観測という行為を通じて
「よろしくお願いします」
全てを受け入れた証として僕はミストもとい係長に深くお辞儀をした。彼が「係長」と呼べと言ったのだから、そう呼ぶしかないだろう。まさかこんな胡散臭い人が自分の上司になるとは思ってなかった。案内役だったら良かったことか。
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