ROUND27 スウィート チャイルド オー マイン アイをとりもどせ 

 何で。何でこの世界は自分が大切にしているものを全部奪っていってしまうのだろう。全く考えがまとまらない。解決策が見つからず脳味噌の読み込みマークが延々と回り続けている。


 今日で2日眠れていない。大学へもパートへも行かずジムの友人やリキと満兄貴にも頭を下げて協力を仰いで探し回ってる。アイちゃんがいなくなった。専門じゃないにしろ裏社会のネットワークが使える2人にはアイちゃんに渡そうと思っていた手持ちの金を全て渡して、土下座までして頼み込んだ。どうか、手掛かりだけでもいいからと。


 アイちゃんがいなくなったのは、チャーンの繁忙期が過ぎるゴールデンウィークが終わったら遊びに行こうって話をしてた次の日だった。その頃は大学の単位も問題ないから平日に3人でディズニーランドに行ってみようかって。アイちゃんもリキも、もちろん自分も行ったことがないって話になって盛り上がってた。『どんなところなんだろう』って。


 そんな話をした次の日にアイちゃんが自分の意思で失踪するなんてどうしても思えなくて検討もつかないからサルエマッシュを真っ先に疑ったんだけど、あいつは一定した住所がないらしくて探りようもなかった。


 だからサルエルマッシュと出くわしたことのある2箇所を中心に半径5kmをあてもなく円状に走りまくりこの2日間昼も夜もなく探している。車の通れない路地、雑居ビル街。2日間の足での移動距離は100kmを超えた。スマホのマップアプリで選択した範囲はビーコンで埋め尽くされてる。


 ただし不眠不休で走り去るにも限界がある。足の爪は中央のエッジ部分がすり減って趾先は暗紫色になっている。とっくに破けて役立たずの靴下を交換するためにコンビニに立ち寄った。


 焦りと不安が思考の邪魔をする。それを消すために肉体的なストレスを体に与え続けて走りながらずっと解決策を考えていた。コンビニのトイレで靴下を脱ぎひどいありさまの足を見る。趾の皮が裂けても爪が取れても死なない。大丈夫、まだ体は動く。と声に出して自分に言い聞かせる。買った靴下を履き替え靴ひもも結び直してコンシーラーも上塗りして再出発することにした。


 破けた靴下を捨てようと椅子代わりにしていた便座から立ち上がると足元がぐらつく。あれ、視界の中心が暗い。ブラックアウトしてる。何でだろう。ああ、そういえばこの2日間食事も全く摂っていなかった。低血糖だ‥。


 目が覚めると自分の通う大学の付属病院にいた。2次救急の外来処置室だと思う。左前腕にルートが刺さっている。10%のブドウ糖液にアスコルビン酸が添加されてる。近くにいたナースに声を掛けると、あら。とだけ言いその場を離れる。すぐにリキ、満兄貴にカオサイそれになんとミワDr.まで処置室に入ってきた。何だろう、まだ覚醒していなくて夢でもみてるのかな。


 「急外に用事があってお邪魔していたらケイくんが運ばれてきてびっくりしましたよ。私もね、ちょっとお手伝いしましたよ」

 ミワDr.がウィンクした。

 「じゃあね。あとはお友達におまかせします」

 ミワDr.は他の3人に挨拶をしていなくなった。ぽかんとしてるとカオサイが涙目で首に抱きついてきた。


 「ケイ、アイちゃんどこにいるかわかったヨ。リッキーとミツルが調べてくれた」

 何だと。盲滅法に走り回った自分が馬鹿みたいだな。しかし良かった、どこにいるんだろう。


 「あのな。アイちゃんはな。ケイ、ちゃんと聞けよ」

 満兄貴が歯切れ悪い感じで話す。何だよ。

 「アイちゃんはケイも知ってる元カレの美大生くずれにつきまとわれてたろ。そいつがアイちゃんがチャーンで働いてること突き止めたらしくてな。どうやら客のやってるSNSにアイちゃんの腕の入れ墨が写ってたみたいでな。さすがに自分で彫った絵だから気づいたみたいだ」

 そんな‥。チャーンにはファーサイもいたのに。

 「ファーサイも常に居るわけじゃないだろ。アイちゃんが1人になるまで店の近くで待ち伏せていたんだろうよ。隙を見て店に入って連れ出したみたいだ」

 

 矢も盾もたまらず輸液セットのクレンメを閉じてサーフロー針を引っこ抜く。刺入部を圧迫して止血しながらベッドから降りようと体を起こした。

 「おいやめろよケイちゃん」

 リキが肩を掴んで止めるが振り払った。

 「すぐ教えてよ。アイちゃんどこにいるの。行くから」

 ベッドから降りたところをカオサイに担がれベッドに投げて戻された。


 「ケイ。ダメよ。ちゃんとミツルの話聞く。オーケー。マイペンライ。ポーンクライ(落ち着いて)」

 そう言われてベッドの端に座り直すしかなかった。体に力が入らず震えてくる。顔を上げようにも振り絞る力が湧いてこない。


 「ケイ。聞き込みしてわかったんだけどな、あいつはアイちゃんを店の外に引っ張っていって金の無心をしたらしい」

 金なんてアイちゃんはほとんど持ってないだろう。リキと満兄貴に2日前に有り金全部渡してしまったから俺も持ってないけど。


 「でな。アイちゃんは金なんて持ってない。それであいつが考えたのは『人と木金融』だ」

 ヒトトキ。なんだそれは。

 「つまりだ。人、ハイフン、木。合わせると『体』になる。売春だ。しかも外国に1年渡って金持ちのお大尽を相手にするようなたちの悪いやつだ。何であいつがそんなツテがあるんだか知らんが俺達とはちがう組織の裏稼業へ行ってアイちゃんを人と木金融の担保に金を借りたらしい。300万円」


 聞きたくない。絶望や虚無感に意識が喰われそうだ。動悸がして息苦しい。怒りで血圧も血糖値も上がる。

 「‥満さん。300万円なんて俺がまたすぐ稼ぐよ。満さんの知り合いの高利貸しから借してもらえませんか。アイちゃんを取り返してくるよ。コロッセオで何戦でもして必ず返すから」

 興奮して鼻血が出てきた。鼻をこすって口の周りを血だらけにしながら満兄貴に縋ってお願いする。ベッドからずり落ちながら床に頭を擦り付ける。


 「おい、騒ぐなよ。病院だぞ」

 やくざ者にマナーをたしなめられる。何も言えず這ってベッドに戻り座る。リキがティッシュを差し出してくれるので顔を拭いて鼻に詰める。


 「ケイ。それがそう簡単な話じゃないんだ。外国に女の子を売り飛ばす。‥ごめんな。それで300万円を出資者から受け取って債務者に300万円渡すわけじゃないのは分かるな。その裏稼業やってる奴らは女の子1人頭で約1000万円を金持ち外国人から受け取ってるらしい。お前から金を受け取って頼まれたから探偵の真似事して代金分はちゃんと裏は取って調べた」

 1000万円か。俺のファイトマネーは最低保証から少し上がって7000USドルになったけど日本円で125万円前後だ。1、2回戦うくらいじゃ話にならない。


 「ましてよ、金持ち外国人とのやり取りを一度でも反故にしたら次がなくなるからその裏稼業の奴らも必死よ。借りた金返したからってアイちゃんをハイどうぞとはいかないだろうよ。先ずは十分な金を準備してからの交渉スタートだ。そこからだ」

 またマイナスからのスタートだ。しかもアキラのときとは桁が違う。


 「アイちゃんはどこにいるの。無事なの」

 やっとの思いで聞きたくないことを聞いてみた。

 「もちろん無事だ。まだ外国には行ってない。運良くパスポートも持ってなかったみたいだしな。若干の時間も稼げてる。行くのは中東の或る国らしい。その裏稼業で外国とのパイプ持ってる女衒が何処かのマンションの一室に何人かの女の子をまとめて軟禁してるらしい。アイちゃんを売った男は金受け取ったらそのままトンズラしたみたいだから今はリキの知り合いの不良たちが方々探して回ってる」

 満兄貴も表情が翳ってる。2日ばっかりでここまで調べてくれたんだ。相当大変だったんだろう。


 「しかしな。アイちゃんも何でついて行っちまったのか。いくらやくざ者だってな、外国に1年も身売りするなんて本人の同意がなきゃ成り立たないんだ」

 満兄貴が独り言のように補足する。病院のパイプ椅子に項垂れて座るリキとも視線が合わない。


 「ケイ、わかるネ。こういうときは出来ること何でもやる。勝つ、負けるは関係ない。あとで自分キライになる一番ワルイ。オーケー。スースーナ(頑張れ)」

 カオサイが俺の手首を掴んでそう言った。目線の高さまで掴んだ腕を振り上げて揺すぶる。


 視線の延長に見えるカオサイの拳骨はデカいベアリングの玉みたいで強そうだなぁと思う。ああ、俺の手も隣にあるな。比べてみると遜色ないように見えてしまうが。何でだろう。こんな偉大なチャンピオンと自分の何かを比べようなんてこと思ったことは今までなかったけど。


 そんなこと恐れ多いし、いくつになってもカオサイやムーデンは誰よりも強いヒーローでしかない。いつまでも自分よりずっと強いんだ。


 でも自分の手とカオサイの拳が同じに見えてしまう。試しに拳を握ってみる。やっぱり同じに見えてしまう。


 その瞬間から腹の奥にジュワっと熱くて甘い、焼いた砂糖みたいな気持ちが湧いてきた。セルが廻ってスパークプラグに電気が流れるくらいのスピードで体に活気が戻ってくる。


 「ねえ、おいリキ。いつまでそんな敗残兵みたいな顔してんだ。そういやちょっと前に言ってたスポンサーの話はまた生きてるかい。生きてんなら早急にお願いしたいんだけど」

 目に涙を溜めて外を眺めていたリキが我に返るようにこっちを見た。

 「え。あ、ああ。まだ何も煽られていない。こっちが返事すりゃ良いだけだ。でもよ、良いのかい。スポンサー付いたら少なくとも1年はスポンサー様の言いなりで戦う奴隷だ」

 「そんなこと承知の上だ。すぐに返事して。お願い」

 ベッドから乗り出してリキのシャツの襟を掴んで頭を下げた。


 「1000万円のスポンサー料なんとか付けてもらえないかい」

 「それは無理だ。前も言ったけど選手の手元に来るのは一口300万円で、しかも株式の配当金みたいに決まった時期にコロッセオから分配される。スポンサー付同士の試合をして勝ち進めば翌年から競売になってスポンサー料も跳ね上がっていく形だ。でもケイちゃんにはそんな時間がないだろ」

 「それでもスポンサー付同士だからオッズの差はでかく付けられるんだろ。とにかく高いオッズ付けられる相手との試合を組んでくれよ。お願いだ」

 熱くなりすぎてリキの襟首つかんで振り回しながらやり取りしていることに気づいた。一旦手を離して冷静になる。


 「できなくはないけど。前にスポンサー付同士の試合で何倍もオッズ差がついた試合で無気力試合があったんだよ。その無気力試合をした剣闘士は第3者に頼んで対戦相手の勝ちに賭けようとしたんだ。それで結局金は手にしたけど、数日後その無気力剣闘士は事故死した。俺の言ってることわかるな。あんまり強い相手とマッチメイクして一方的にやられたら無気力試合と判断される危険すらあるんだぞ」

 なんてこった。これじゃ本当に古代ローマの剣闘士じゃないか。たかだか数百万円で人の命をどうこうしやがって。


 「それに1000万円って金額も外国人の金持ちから裏稼業の奴らが受け取ったってだけで、交渉するにはもっとたくさん金が必要だ。いくらとははっきり言えないが少なくとも1000万円ちょっきりじゃ話にならない」

 満兄貴の目にいつもの覇気がない。心の何処かで諦めてる感じがする。リキもそうだ。


 子供の頃の俺はきっといつもこんな光のない目をしていて、上から見下されてみっともない風体で不潔で痩せこけて、人として扱われなくても従順で反撃なんで絶対してこないと思われていたんだろう。ちくしょう。なんだか無性に腹が立ってきたな。


 「それでもいい。やってみる満さん、リキ。できる限り高いオッズの試合をマッチメイクしてください。」

 ベッドの上で正座して拳をついて2人にあらためて頼み込む。

 「ミツル、リッキー。カオサイもお願いするヨ。ケイならできる。マイペンライ」

 カオサイも合掌してお願いしてくれている。掌の中にはいつも首に下げているブッダのペンダントトップを包んでいた。


 下げた頭をあげると病室の窓に顔が写る。血の気のない頬のコケた目だけギラつく顔貌にうんざりする。とにかく今はこのひどいコンディションを立て直すことが先決だ。

 

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