エピローグ

 事件の真相は、アストラルムとエレジア王国の最高機密として処理された。

 ヴァロワ大使の死は、「保守派の重鎮であったヴァレリウスが、国交樹立に反対し、凶行に及んだ」という、半分だけ真実の筋書きで、公式に発表された。

 アストラルムとエレジア王国は、この苦い事件を乗り越え、ついに、歴史的な国交樹立の条約に調印した。


 調印式を終えた夜、アゼルとカイルは、探求室のバルコニーで、二人、静かに酒を酌み交わしていた。

 アゼルは、グラスを傾けながら、穏やかな口調で言った。

「…感謝いたします、宰相閣下。あなたのお力添えがなければ、私は、永遠に悪夢の中から出られなかったでしょう」

 カイルは、静かにグラスを傾けた。

「礼なら、リリア副室長に言うべきだ。君たちが、互いを信じていなければ、この結末はなかった。…それにしても、皮肉なものだな。君の故郷は、錬金術の『希望』の象徴からその名を取り、そして私の名は、私が生き残った『絶望』の炎から名付けられた。始まりは違えど、我々は、同じ傷跡を背負っているのかもしれん」

 二人は、言葉少なに、しかし、同じ痛みを分かち合った者だけが共有できる、深い沈黙の時間を過ごした。

 バルコニーの扉の影から、その二人を、リリアとリィナが、穏やかな笑みを浮かべて見守っている。


 アストラルムとエレジア王国の国交樹立は、単なる外交上の出来事ではなかった。

 それは、大陸の歴史の、新たな時代の始まりを告げる、静かな鐘の音だった。

 アゼルは、もはや悪夢にうなされることはない。

 彼は自らの過去を受け入れ、未来へと歩き出すための、かけがえのない仲間を得たのだ。

 リリアは、アゼルの隣に立ち、彼の論理的な思考と、自らの温かい心を一つに合わせ、この都市の未来を紡いでいく。

 カイルは、アゼルというもう一人の探求者との出会いを経て、世界の病を癒やすという、自身の使命の真の意味を改めて見出した。

 そして、リィナは、アストラルムの優しい魂の歌を、エレジアの人々に届けるべく、新たな旅へと向かうだろう。

 ガイウスは、新たな時代の混乱からこの都市を守るため、守衛隊の隊長として、その責務を全うする。

 セラフィーナは、大図書館の司書長として、失われた歴史の真実を、未来へと正しく伝えるために、静かにペンを走らせる。

 学院の研究棟、その最上階にある研究室で、かつてドクター・ヴァンスのライバルだったオルフェウス・ゼニスは。窓の外に広がる都市の姿を眺めていた。

 外界との交流が始まり、港には異国の船が停泊し、街は新たな活気に満ちている。

「フン…」

 彼は、机に置かれた、アゼルが発表した『記憶の残滓レムナントの段階的浄化に関する論文』を一瞥し、鼻を鳴らした。

「どこまでも甘く、非効率なやり方だ。だが…」

 その口元には、かつてのような侮蔑の色はなく、むしろ好敵手を見つけたかのような、獰猛な笑みが浮かんでいた。

「…その結論に至る論理の筋道だけは、満更でもない」

 彼は窓から視線を外すと、自らの研究へと向き直った。

 その実験台の上には、ドクター・ヴァンスも、そしてアゼルさえも手を付けなかった、さらに根源的な謎…「魂が情報へと変換される、その瞬間のメカニズム」を解き明かそうとする、壮大な術式が組み上げられていた。

「お前が都市の過去を癒すというのなら、儂は、生命の未来をこじ開けるまでだ。せいぜい、儂に追いついてこい、アゼル・クレメンス」

 彼が新たな試薬を投入した瞬間、研究室が眩い光と共に、楽しげな爆発音を響かせた。

 それは、失敗の音ではない。真理の扉を、また一つ叩き壊した、歓喜の音だった。


 幻影都市アストラルムは、今、そのヴェールを脱ぎ捨て、外界との交流を始めた。

 その道は、決して平坦なものではないだろう。

 だが、彼らはもう、孤独ではない。

 論理と感情、過去と未来、そして希望と絶望。

 その全てを乗り越え、手を取り合った者たち。

 アストラルムとエレジア。

 二つの国の物語は、今、ようやく、本当の意味で、その幕を開けたのだった。

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