自称魔法使い×借金まみれ青年の同居生活【3-7】沈黙の脅迫、試される絆
ツバサは居間のソファーの方に腰掛けた。
火鉢に薪ストーブの燃焼で出来上がった炭がくべられていて、赤々としている。
身体が少しだるい。そして、寝不足だ。
篠の来襲のせいで眠れなかった。
でも、不眠はそのせいだけじゃない。
あの後、ずいぶんやった。
ヤケクソみたいなセックスを。
コンドーム無しは最後に一回だけ。
中に出すのも。
それが暗黙のルールだったのに、二人して破った。
もう最後辺りは、アレクセイは中出しするぞなんて断りすらなくツバサの中に放ってきて、ツバサは自分が便器にでもなった被虐的な気分だった。
そんな気分になれたとは、ツバサにはなんとなく、分かってしまったからだ。
アレクセイがやり残したことというものが。
キッチンのアレクセイに話しかける。
「寝坊した」
「篠ならもういないぞ」
「そう」
「考え事か?表情が暗い」
「付き合っているのかって、また聞かれちゃったなあと思ってさ。前はマッさんがカマかけてきた程度だけど、大野さんも。深い仲なのかって聞き方は違ったけれど」
「私がどういう態度を取れば満足だった、お前は?」
じゅうっとなにか焼ける音がして、こちらにも甘い香りが漂ってくる。
皿に盛られて出てきたのは、タルトタタン。タルト生地に、砂糖やバターで煮詰めたリンゴを被せて作る甘いデザートだ。
すっきりした味わいの紅茶も添えられた。
これは蓼科を去っていった移住者の置き土産。一缶五千円もする高級茶葉らしい。
ツバサは席を移動し、フォークでタルトタタンを口に運ぶアレクセイの隣にぴったり身体を近づけた。
「俺達、突然こういうことをされても、許される関係ってことは確かだよな?ものすごく束縛して欲しい気もする。でもさ、男同士のカップルってすぐくっついてすぐ別れるみたいなとこあるらしいから、俺はそういうの嫌だ」
隣のアレクセイが、返事をするみたいに身体を傾けてくる。
それが信頼の証みたいに感じてしまって、重いと思っていたことをするりと言えてしまった。
「相手は一生に一人がいい。だから、俺にとって付き合うって言葉は重いもので、アレクセイにとっても重いもの。それがなんとなく分かったよ」
アレクセイが照れ隠しなのか、自分の食べかけのタルトタタンを、フォークで刻んでツバサの口元に持ってくる。
「ツバサ。付き合うとは何だろうな?私は誰かがお前に触れようとしてきたら、全力で阻む。奪っていったら、奪い返しに行く」
「情熱的」
「付き合うとは、婚姻と違って契約ではない。目に見えない精神的な繋がりだと思う。向こうにいたとき、それが分からなくて散々失敗した。膨大な魔力と地位と権力があるのに、なぜと相手は自分の思い通りにならないのだと。結局、コマとしか見ていなかったのだ、私は」
そこから、アレクセイは言い淀む。
「もっと前に進んでみたい。けれど、そうすることでこの十年という時間が薄れていく気がする。このところ、ずっとそういう気持ちに囚われている」
ツバサは甘い息を撒き散らしながら、アレクセイの頬にキスをした。
「あんたが恋愛一辺倒の男じゃないところ、好きだよ。前に進みたいなら、俺が手伝う。命を助けてくれたことへの恩返し。いや、手伝うっていうか、俺が連れて行くよ」
キスが返ってきた。
場所は唇の方。
優しいキスを受けながら、具体的に思った。
アレクセイのやり残したことを。
きっと答えは、Vログカメラに残されていたあの動画の中にある。
***
年が明けた。
普段は早起きするアレクセイも寝坊して、ひたすら自堕落に過ごした。
ツバサは適応障害で苦しんだときの、胸の動悸が蘇りそうになって、時折、激しくアレクセイを求めてしまった。彼は貪欲に答えてくれた。
もう中で出されるのは当然のことになっていて、高ぶった末にアレクセイから出される温かい精液を、排泄器官から性器に変わった穴で感じるたびに安心した。
出される度に、
こいつは、私のもの。
私のものだっ。
と言葉に変えて言われている気がしたのだ。
そのお陰で身体の方の欲求不満は解消。
けれど、心の方は、充電百パーセントには遠い。
やがて、乱れに乱れた正月休みが終わって、住人たちがパラパラと戻ってきた。
篠の方に動きはない。
アールハウスの住人らが全員帰ってきた頃を見計らってふらっとやってきて、冗談まじりにツバサとアレクセイの関係をバラすのだろうと身構えて待っていたのだが、彼はあれから一度もアールハウスに帰ってきていない。
そうこうしているうちに、蓼科界隈には本格的な雪が降り始め、多くの家が雪かきに追われた。
夜の積雪が多いと、除雪車が道路に降り積もった雪をどかしていく。それを融雪溝という水路に流す。家の通路は人力で除雪する。
ママさんダンプと呼ばれる赤や緑のカラフルなプラスチックのスノーダンプや、金属製スコップを使って雪をのけていく。
朝にその作業をしても、日中に雪が降り続けば、夕方にも同じ作業が待っている。
「地獄の河原でせっかく積んだ石を落とされた気分だ」
と言うと、雪寄せをするアレクセイが、
「奥蓼科の冬は、まだまだこんなもんじゃない」
とさらり。
「恐ろしいことを」
内側にボアのついた鹿革のコートを着込み、同じくボア付きのフードを被ったアレクセイはエスキモーみたいだ。
大野と向井はこの時期は除雪車のバイトに出ていて、深夜に役所からお呼びがかかれば出動していく。出動がない日でも待機手当が出るそうだ。
深夜だと一万二千円。昼間だと一万円。必ず二人一組で行われ、運転しない補助役には八千円。実働は四~五時間ほどだ。
これが真冬に収入が無くなる農家のまとまったいいバイトになるそうで、下は三十代くらいから上はなんと七十代まで稼いでいる。
除雪の免許取得や講習を終えた移住者もこのバイトに精を出し、時給のいい冬だけ働き、あと三シーズンは好きなことをするスタイルの人もいるらしい。
アールハウスだと大野がそれに近く、春から秋は役所から依頼される鹿だと一頭二万円の害獣駆除をこなし、皮は自分の仕事に使う。だが、一日猟に出ても空振る時は空振るので、確実な収入になる除雪バイトは寒ささえ我慢できれば最高らしい。
ツバサは、年が明けてから屋根の雪下ろしのバイトを始めた。
役所経由で依頼が入り、二人一組、大きな家の屋根の場合は四人などで登る。
一人一万五千円。
屋根に登るのは人生初だった。
雨樋あたりまで伸ばされたはしごで、ときには家の二階の窓から、スコップを担いで登っていく。
高いところからの蓼科の眺めは絶景だ。
だが、屋根の外まで雪がせり出している場合もあり、そこを踏み抜いてしまうと雪とともに地面に落下する。雪が積もっている場所でも水分を含んでがちがちに固くなっている場合もあり、大怪我、最悪の場合は頭を強く打つなどして死亡することもある。
ツバサも最初はアレクセイに安全な雪下ろしの方法を教わった。
作業は怖かったが、慣れてくると、スコップで屋根に積もった雪を割り、すくって下に投げるという黙々とした作業が気に入った。
雪下ろしをして初めて知ったのだが、屋根に降り積もった雪はとにかく重い。
一メートル×一メートル×一メートルで重さは三百キロにもなるらしい。
見た目が軽そうなので、雪かきも雪下ろしも大変だ、死亡事故も毎年起こるというニュースを東京で見ていたときは不思議に思っていたが、いざ、自分が体験するととんでもなく重労働だと身を持って知った。
金銭面や他人とのコミュニケーションが嫌いな老人は雪下ろしの依頼をせず、一人でやってのけるそうなので、ツバサから見れば化け物級だ。
何度かアレクセイと雪下ろしの作業に入った後、一人でもバイトに入れるようになった。派遣された家で、休憩時に温かいお茶やおにぎり、時にはご飯を振る舞われたり、移住者と一緒に仕事をするときもあった。
その内に一人は大野に「やめとけ。やめとけ」と言われた元地域おこし協力隊の職についていた人で、本業は風景写真家。三年の任期が終わり、自治体から出ていた給与は無くなり、任期中は便利屋のごとく扱われ収入に繋がる経験も得られず、今、家計は火の車。本業とはまったく違う雪下ろしのバイトで稼いでいるらしい。
「いやあ~。こんなことになろうとは思わなかったよ」
が、彼の口癖。
インスタの写真は物凄く綺麗でさすがプロだなと思ったが、風景写真が撮れるだけでは、田舎では食ってはいけないらしい。大きな写真展での受賞歴もあるのに、ツバサに目の前でリアルに田舎と移住者でのミスマッチが起こっている。
更に冷え込んでくると、ダイヤモンドダストが見られるようになった。
氷点下十度以下になると起こる現象で、空気中の水蒸気が冷やされて小さな氷となり、太陽に照らされてキラキラ光るというもので、初体験は除雪のバイトにリフレッシュに趣味で鹿狩りに出た大野にくっついて森に出たときだった。林を切り抜いて出来た道路に立っていたら周りが発光しはじめて驚いた。
動画として残す。
奥蓼科での暮らしの中での驚きや新鮮さを撮った動画は随分溜まった。
だが、インスタにアップしてもすぐに他の移住者動画に埋もれてしまう。
だから、何か強烈なインパクトが欲しい。この動画を見れば必ずこんな情報が得られるみたいな。最近、毎日、それを考えている。
アレクセイがいなくなってしまっても、もぬけの殻にならないように。
目標というより、この地で一人でも生きていけるためのやりがいを見つけるために。
たぶん、宣伝の仕事をしていた自分の場合、インスタやエックスでの写真投稿、そして動画を活かすことなのだろうと思うのだが、軸になりそうなものが毎日ブレまくっている。
月は二月に突入。
あの来襲から一度も戻ってこない篠の存在など忘れかけていた頃、彼がアールハウスに戻ってきた。
夕飯の時間に牛肉の塊を持って戻ってきた篠は、
「はい。これ。お詫びと記念に」
とツバサに向かって渡してくる。
「まさか、別れてないよな?」
笑いながら聞かれて、ツバサは固まってしまった。
「お詫びって?記念って?」
食卓についていた鳥越が篠に向かって聞く。
「オレ、年末に創作していたら手を怪我してさ。止血用のタオルをもらいたくてアレクの部屋に行ったわけ。そこにはすでに北川がいてさ、大切な時間を邪魔したってこと」
「篠。嫌味はいい」
と料理を盛り付けながらアレクセイが言う。
「え?」と向井が少し顔を引きつらせた。その反応が篠には気持ちがよかったらしい。
ニヤリ笑う。
「どうでもいいだろうが、篠さんにとって俺達のことなんて」
ツバサはやっとのことで反論した。
せっかく仲良くなれた大野や向井、鳥越に避けられたら。
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