3話 狐の望みは呪われた姫

「この度はようこそおいでくださりました! 言っていただければ使いの者を出しましたのに、足元、お気をつけくださいね」

 宴の席が早急に準備されるとお父様はすぐに家の門の前まで狐神様を出迎えに出ていった。

 お前も出迎えろと怒鳴り付けられて私もその後に続く。

「いや、こちらこそいきなり悪いね、この家に永年司っている犬神が妻を娶るという話を小耳に挟んでね、これはちょうど良いタイミングだと思ったんだ」

 黒塗りの長いリムジンから出てきた銀髪の青年は笑顔でお父様にそう挨拶をする。

 パーティー会場で見た時に感じた印象よりも思ったよりも低い声に内心びっくりする。

 それに、少しだけあの声にも似ているような。

「さ、左様でございますか! 娘は客間に待たせております為どうぞ中へ、桃香! お荷物をお持ちしないか!」

「……お荷物お預かり致します」

 まるで別世界の人みたいなその神様に呆けてしまっていればお父様にせっつかれて、私は慌てて狐神様の手荷物を預かる。

「……ありがとう」

 私に鞄を渡したその神様は、何故か一瞬含みのあるような物言いで笑顔でお礼を伝えてくる。

 顔の、痣が気になったのだろうか。

 それとも赤い瞳か、もしくは霊力のほとんどない私がそれほど醜かったのか。

 はたまたその全てか、私には分からない。

「も、申し訳ありません気が利かず、それも一応娘ではあるのですが気味の悪い痣に赤い瞳、その上霊力も持ち合わせておらず……我が家の汚点ですな、大丈夫です! 千狐様がお望みとあらばいつでも目につかないようにしますうえ」

 そんな私をお父様は口汚く罵りながら笑顔で狐神様を家のほうへ案内していく。

 ああ、そうか、私は珠喜の引き立て役といったところだろう。

 何故わざわざ私も出迎えに出ろと言ったのか、それはすぐに合点がいった。

 こんな醜い私を見た後なら余計に珠喜は美しく目に移るだろう。

「へぇ……なる程ね」

 一瞬、意味ありげに狐神様の瞳がゆるりと弧を描いたけど、それに気付いたのは多分私だけだったろう。


「千狐様! よくいらっしゃいました、この珠喜、千狐様が来られるのを今か今かとお待ちしておりました」

 客間に着くといつも以上に着飾った珠喜が媚を売るような笑顔で狐神様をお迎えする。

 千狐様、狐神様のお名前で、千狐グループと言えば神を知らないような一般人でも聞いたことがある程に大きなグループの名前だ。

 この日本に司る狐の神様の中では一番の長寿であり大きな権限を持っているという話もよく耳にする。

「どうも、たまにパーティーで見かけるけど、こうして話をするのは初めてだね、珠の巫女、それから……犬神の白狼くん、まさか君までここにいるとは思わなかったけど」

 千狐様は珠喜に挨拶を返しながらも用意された席に座ろうとはしない。

 そして、部屋の角から睨みを聞かしていた白狼様のほうを向いてにこりと笑ってみせる。

 それははたから見てもあからさまな挑発だった。

「……人の嫁を寝とるなど、あまりにも節操がなってないことをするのですね、狐の神よ」

「白狼様!!」

 さすがに腹の立った様子で、それでも何とか敬語という体裁は保ちながらも眉間にシワを寄せるのは隠しもせずに千狐様を非難する白狼様にお父様は慌てた様子で名前を呼ぶ。

「大丈夫ですよ神林さん、オレは気にしない、それに、別に今回のことは……思うところがあっただけで悪意も他意もないよ、始めからオレは君と争う気はない」

 だけど千狐様は少しも慌てたり憤った様子は見せずに笑顔でそう返す。

 さっきからそうだけど、この神様は嫌な笑いかたをする。

 目を細めて、口角を緩くあげる。

 それこそ本当に狐みたいに。

「……どの口が言うのか」

「白狼様! 千狐様に失礼ですよ!」

 耐えきれないというように吐き捨てた白狼様を責め立てたのは珠喜だった。

 どう見たって今の状況で悪かったのは千狐様のほうだ。

「……チッ、気分が悪い、私はこれで失礼する、後はあなたと人間で好きなようにすればいい」

 あれだけの扱いをされながらもまだこの家の行く末を見守ろうとしてくれていた白狼様もさすがに我慢の限界に達したのだろう、うつかっていた柱から上体を起こすと早々に部屋を後にしようとする。 

「おっと、せっかく居てくれたのだから最後まで見届けてほしいな、きっと……嗤える結末が待っているから」

 だけどそれを、千狐様が止めた。

 不穏な一言を添えて。

「嗤、える……?」

 それは、白狼様にも通じたようで眉間にシワを寄せたままで聞き返しながら立ち止まる。

 神様同士の対話、勿論人間が入っていける隙などどこにもありはしない。

「ところで白狼くん、君はこの家を代々繁栄させてきたと聞く、違いないかな?」

 千狐様は珠喜の横を通り抜けて白狼様の元まで行くと確認するようにそう問いかけながら白狼様の肩に手を置いた。

「……そう、ですね、それなりに永い時間この家にはいましたが、それも今日までのこと」

 とっととこの場を後にしたいのであろう白狼様はそれでも辛抱強く千狐様とのやり取りを続ける。

 白狼様がこの家の神様になってくれたのはもう何百年も前の話だと聞く。

「ふーむ、とどのつまりは、今日限りでこの家の加護は解くと」

「……そのつもりですが」

 芝居がかった千狐様のセリフに白狼様は不快感をだんだんと露にしていく。

「でも、これからは千狐様がこの神林の家も、この珠喜も、守ってくださいますから」

 珠喜はそう言いながら立ち上がると淑やかに千狐様の手を掴んで甘える用地寄りかかる。

「……これはこれは、面白いくらいに上手く行ったみたいで何よりだよ」

「千、狐様……?」

 だけど千狐様はそれを嘲笑いながら簡単に振りほどく。

 少しだけ体制を崩した珠喜は驚いたように千狐様の名前を呼ぶ。

 いや、驚いたのはきっとこの場にいた全員同じだろう。

 だって、今まで珠喜をそんな風に扱った人間どころか神様だって存在しなかったのだから。

「オレは、この家の娘を娶りたいと言ったんだ」

 千狐様は今一度確認するようにそう反復してみせる。

「え、ええ、ですからこうして珠喜とのお話の場をもうけさせていただいた次第ですが……」

「……オレは、一度も珠の巫女を娶りたいなんて言っていないけど」

 慌ててすがるお父様に千狐様はただ淡々とそれだけ告げる。

 瞬間、一度だけ心臓が大きく跳ねた。

 それは、その千狐様の含みのある声色に聞き覚えがあったからだ。

 とても、身近なところで。

「へ……? で、ですが! 我が家の娘を嫁にと!」

「……桃香、こちらへおいで」

 慌てふためくお父様を無視して私のほうに視線を向けた千狐様は優しく私の名前を呼んで手招きをする。

「え……わ、たし、ですか……?」

 声をかけられたことに内心驚きを隠せないまま、それでも何とか数歩千狐様のほうへ近寄っていく。

 だけど千狐様はもう待てないというように自分のほうから距離を積めて、それから私の醜い青い痣に手を添えた。

「他の虫がつかないようにと思ってつけたこれが、ここまで君の待遇を悪くしてしまうとは思っていなかった、ごめん」

 そして、何か自戒するようにそう呟きながら優しく頬を撫でて、それから一言謝る。

「せ、千狐様……?」

 家族でさえ気味悪がって触ろうとはしなかったこの痣を、慈しむように撫でられて内心動揺が隠せない。

 謝られたことだって、ないのに。

 だけど千狐様はそれで止まることはなく、優しく私を自身のほうへ引き寄せると見せつけるように私の身体を反転させて周りにいたお父様や珠喜、白狼様の姿が見えるようにする。

 そして

「最初からオレが求めていたのはこっちだ、何間違えているんだか、まぁ、オレがわざとそういう風に取られるような言い回ししたんだけどさ、人間ってほんとーにバカだよね」

 さっきまでとは全く違う、心の底から小馬鹿にしたような物言いで周りの全員をただ嘲笑って見せた。

 その声は、紛れもなくいつも私の頭の中に響く声と、同じだった。

「……な、なな、ど、どう言うことですか一体っ!?」

 慌てたお父様はその場でもたもたと足踏みをし

「千狐様、冗談ですよね? だって、なんでその人が良いんですか……? 私はその人の持たないものを全て持っています! 薄気味の悪い見目もしておりませんし霊力だって……!」

 珠喜は信じられないといった様子で私を非難して、それから自分の産まれ持ったものを誇示するようにアピールしてみせる。

「……この模様を、瞳の色を薄気味悪いと、気持ちが悪いと君らは言うが……これはオレのつけた印だ、それをその様に蔑むことはオレを蔑むことと動議だとは思わないか?」

 だけど、千狐様はそんなもの全てを意に介さないといった様子でくつくつと笑いながらそう吐き捨てる。

 そしてそれから軽くまた、私の痣を撫で付ける。

「……あなたのつけた印……そうか、それはマーキングかっ……」

 それぞれがそれぞれに困惑で固まっている中、一番早く反応したのは白狼様だった。

 マーキング、聞いたことがある。

 神様が見初めた相手につけるものだ。

 それは自分のものであるという証に身体に刻み込む。

 そうすることで自分のものであるということを一目で分かるようにして、他の神に狙われないようにするというものだ。

 最近ではめっきり聞くことのなくなった風習だが昔はよくあったことだと聞く。

「ご名答、流石犬とはいえ神の一柱、オレはこういうのが得意じゃないからね、こんないびつなものしかつけられなかったが、そのせいもあってこの仕打ち、それもこれまでのことだが、桃香、こっちを向いてごらん」

「え……あ、はい……」

 言うが早いか千狐様に手を引かれてまた私は千狐様のほうを向く。

「これからはオレが近くで守れる、だから、もうこれは必要ない」

 そして、千狐様は優しく私の痣に唇で触れた。

「痣が……消えて……」

 一瞬、何かが自分の皮膚のしたを蠢くようなぞわぞわとした違和感があって、それから少しだけ痣の部分が熱くなる。

 千狐様の顔が離れて、近くで見ていた一人の女中が声をあげる。

「えっ……」

 私は慌てて自分の頬に触れてみたけれど、触れた感触では痣が消えたのか消えていないのかまでは分からなかった。

「さてと、後は、桃香、君に問いたい」

「私に……ですか……?」

 ざわめきたつ周囲を無視して千狐様はまた、最初のような外行きの言い方で私に問いかけてくる。

「君は、オレに嫁いでくれる気はあるか?」

 そして、真剣な表情で私の瞳を覗き込む。

 その深紅の瞳に写った自分自身の見目に息を飲む。

 顔に蠢いていたあの青い痣もなく、人ではないと言っているようだったあの赤い瞳も黒に、元に戻っていたのだ、子供のころのような、普通の人間の姿に。

「……も、もちろん! もちろんです! 桃香、千狐様がこう言ってくださっているのだ! 断るなんてことしないだろう――ひっ……」

 千狐様の瞳に写る自分の姿に驚いて呆けていればまた、私でもないのに答えを出そうとしているお父様に、千狐様が鋭い瞳を投げ掛ける。

「オレは、今、桃香に問うている、お前の出番はないから引っ込んでてくれないか」

 そして、千狐様は今日一番に機嫌が悪そうな声色でお父様に頼むような体裁を取りながらもしっかりと圧をかける。

「……も、申し訳ありません!」

 お父様は顔から血の気を引かせながら床に頭を擦り付けるような勢いで頭を下げる。

 思えば、昔からこの人はそうだった。

 目上の人間や神様にはへりくだり、目下の人間はとことん見下す。

 そんな人が今までずっと怖かった、筈なのに何故か今はまるで、他人事のような、そんな観点から物事を見れて、少しだけおかしな気分だった。

「さて、もう一度聞こう、桃香、君はオレに嫁いでくれるか? オレの元へ来てくれるなら、この家では考えられないような、そうだな、宝石のように大切にしよう、君が望むものは何でも与える、勿論断っても祟ったりなんてしないよ、オレは君の気持ちを最優先したい」

 千狐様はそんなお父様を完全に無視してまた私のほうを見るとそう、優しく聞いてくる。

「わ、たしの……気持ち……」

 初めて、自分の意思で決めていいと言われた、その事実がじわじわと広がるように心の中を温かくしていく。

 だけど、それと同時にその言葉を信じられない私がいるのもまた事実だった。

「勿論神に嫁ぐなんてそれ相応の心構えではうまく行かないこともあるだろう、オレのような立場の神と結婚すれば君にも苦労をかけるだろう、だけど、一度手に入れてしまえばもう手放せない、だから、普通の結婚では満足出来ない、君は嫁いだら最後死ぬまでオレの妻でなければいけない、その代わりに君の願いを叶えよう、君が望むことを何でも……そうだな、お伽草子になぞって三つの願い、なんてどうだろうか、全て今願って貰っても構わないし後から決まったらでも勿論構わない、君はこれからの永い時間をオレにくれるかわりに三つ願いを叶えて貰える、契約みたいなものだ」

 そんな私の内心を見透かしたように千狐様はそんな提案をしてくる。

 結婚したら最後死ぬまで離れることは出来ない、その代わりに三つの願いを叶えてくれる、それは、世間一般で言うところの所謂契約結婚というものに値するのだろう。

「私、は……」

 私は、普通に結婚して欲しい、嫁いで来て欲しい、そう言われるよりも何故か、その言葉に安心することが出来たのは、紛れもない事実だ。

「さぁ、何が欲しい? 沢山の宝石か、富か、名声か、それとも……この家を潰してあげようか?」

「えっ……」

 私に注がれる甘言の最後があまりにも不穏なもの過ぎて、早々に私は現実に引き戻されて間の抜けた声を漏らしてしまう。

 今、この神様はなんて言った?

「せ、千狐様っ!?」

 真っ先に反応したのはないまた、お父様だった。

「オレは君が受けてきた手酷い仕打ちを全て知っている、望むならこの家の人間が皆死ぬように呪いをかけよう、望むなら、犬神には元の狗に成り果てるように力を奪おう、望むなら、珠の巫女に君と同じ仕打ちが降りかかるようにこの先の未来を改変しよう、さぁ、どうしてほしい?」

 ヒュッと喉が鳴る。

 甘く、考えていた。

 白狼様は確かにこの家に富と名声を与えてくれていたけれど、呪いとか、未来の改変とか、そんなことまで出来るなんて話は一度も聞いたことがない。

 ここら一帯を納める神様である千狐様には、そこまでの力があるなんて、そこまで思ってもみなかった。

 その力は、良いほうに使えばそれは大きな力となるが、また、悪いほうに使えばそれもまた大きな力となる。

 だけど一番の問題はそこではない。

 こんな純真無垢な笑顔で全員を殺す、そう言いはなってしまうほどに私達人間とは違う感性が、私のなかでは一番不安な部分だった。

「と、と、桃香! まさかそんなことしはしないだろう? 私達は家族じゃないか! 珠喜も! 今までお姉ちゃんにしたことを謝りなさい!!」

 そんな千狐様の言葉を聞いてお父様は今まで自分がしてきた、言ってきたことを棚にあげて珠喜の頭に手をかけて謝らせようとする。

「い、嫌よ! 私は私のしていいことをしてきたの、それなのに謝るなんて真っ平ごめんだわ! それに、姉さんはまた良いところだけ奪うつもりじゃないの!」

「珠喜……!!」

 それでも決して折れない珠喜にお父様はまた怒った様子で名前を呼ぶ。

 そんなどうしようもない争いを見ていたら、私の気持ちは気づいた頃には既に固まっていた。

「……千狐様」

 私はゆっくりと千狐様の名前を呼ぶ。

「決まったかな」

「私は、貴方の元へ嫁ぐことにもこれからの時間を縛られることにも異存はありません、ただ、この家にたいして何かすることは望みません、その必要はないからです」

 私の次の言葉を待ってくれている千狐様の瞳をしっかりと覗き込みながら私は今しがた決めたことを淡々と口にしていく。

 元々私はこの家に居場所なんてなかったし、白狼様と珠喜の婚姻が終わればどことも分からない場所に送られるような予定だった人間だ。

 それなら後の人生をここではないどこかで過ごしたってなんら変わりはしないだろう。

 それと同時にもしこの家を潰しても、私が今までされてきたことは消えないのだから必要ないとも思った。

「……そうか、君がそれを望むなら、オレは一向に構わない」

 そして、それを千狐様も何の躊躇いもなく許容してくれる。

「……ただひとつだけ、今誓って欲しい願いがあります」

 どこで生きても同じ、それはその通りだ。

 だけど、私が嫁ぐと決めた一番の理由はそこではなかった。

 私には叶えて欲しいことがある。

 ひとつ、とても大切な願いだ。

 実際のところその為だけにこの神様の元に嫁ぐことを決めたようなものだった。

「いいよ、言ってごらん」

 千狐様は怪訝な顔のひとつもせずに私の次の言葉を促す。

「私を……来世では普通の家に産まれさせてください、神様と関わりのない普通の家に産まれて、普通の幸せが欲しいんです、来世には……普通の幸せな人生を、私にください」

 聞いている人達は何を言っているのだろうと思ったことだろう。

 言ってる本人だって何を遠回りなことをしているのだろうかと考えた。

 でも

「……それは、今世の幸せを望むのでは駄目のかな」

「そう、ですね……きっと、ダメなんです」

 千狐様の言うように、今世で幸せにしてくださいと願うにはあまりにもこの世界は生きずらい。

 最初からやり直さなければいけない。

 産まれた場所から変えなければいけない。

 そうしなければ心の底から幸せになれる気がしない。

 それ程までにはこの世界に辟易していた。

 この人生に疲れていた。

 それだけがまごうことなき事実なのだ。

「分かった、約束しよう、後の二つはお預けでいいかな?」

 千狐様は特に何かそれ以上聞くでもなくそのお願いを二つ返事に受け入れてくれた。

「……はい、今は特に思い付きませんから」

 後の二つに関しては今のところ何か必要なものを思い付かないから後回しにすることにする。

 まぁ、もう使うことすらないかもしれないけれど。

「と、桃香! よかったじゃないか! 良いご縁が持てて! 千狐様! これからは桃香共々我が一族もよろしく……」

「ちょっと、言ってることがよく分からないかな」

 私と千狐様の婚姻が決まると途端に手のひらを返したように千狐様にすり寄ろうとしてくるお父様を千狐様が一言で一蹴する。

「……え」

「オレは確かに桃香を嫁に貰っていくし、桃香たっての希望だからこの家には手出しはしない」

「で、ですから……」

「そう、手出しは一切しない、私の花嫁の心にこれだけの傷を負わせておいてはいこれからはよろしくお願いしますなんて通じはしない、オレは……この家に加護を与えることは金輪際しない、ただ桃香を、オレの嫁として連れて帰るだけだ、この家には居させない」

 そして、そのままの勢いでお父様のもくろみを全ていとも容易く凪はらってしまった。

「な、なな……」

「そして君たちは愚かなことにこんな小家をここまで大きな家に育ててくれた犬神に手痛い仕打ちをして追い出すような真似をした、ということは、馬鹿でも分かるね? 君たちの家はこれから先、何の神の加護も受けずに自分達の力だけで生きていかなくてはいけないということだ、神だって別に何も気にしないわけではないからね、犬神にした仕打ちはすぐに神の間でも噂になるだろう、そんな愚かな家に新しく加護を与えてくれる神が現れるなんて期待しないほうがいいだろう、そもそもひとつの家に加護を与え続ける神のほうが珍しかったんだ、自分達の行いを悔いながら、自分達の力だけで生きていきなさい、まぁ、神にしたことはやがて返ってくるからね、すぐにこんな大きな家には住んでいられなくなるだろうけど」

 慌てふためくお父様に千狐様は嘲笑うようにまた追い討ちをかける。

 その様子は確かに私の為にわざわざそういう言葉選びをしているようにも見えたけど、ただ自身が楽しむ為にそうしているようにもまた見えた。

「そ、そんな……」

「白狼様! 珠喜達を見捨てたりなんて、しませんよね……? だって、私達は婚姻する筈の仲――」

「婚姻する予定を反古にされた仲、が正しいだろう、私がこの家に加護を与える意味は、残念ながらもうないな」

 項垂れ込むお父様を尻目に白狼様にすがり付こうとする珠喜を白狼様が一蹴する。

 それもまた、自分達がしたことを鑑みれば当たり前のことにしか見えなかった。

「そ、んな……」

「……さぁ、行こうか桃香」

 騒ぎ立て始める家人達をまるでいないもののように無視して千狐様は私の手を取る。

「あ、は、はい……」

「……ねぇ」

「……」

 それに引かれるように歩きだそうとした私の後ろ姿に声をかけられ、振り替えれば珠喜が感情の読めない表情で私を見据えていた。

「これで満足した?」

「たま、き……」

 満足した、そう呟く珠喜の目には涙の膜が貼ってキラリと光っていた。

「散々姉さんをこけにしてきた私達が結果姉さん目当ての神様に家の内側から壊されて、これで満足? あんたさえ、あんたさえ最初からいなければ私達はこれからもただ幸せに生きていけたのに……最後の最後まで迷惑かけるのね、せっかくこの歳まで生かして貰えたのに」

 そして、どうしようもない理論で私を詰る。

 でも、それもきっとまた事実に他ならなくて、私がいなければそもそも白狼様の加護を受けられなくなることもなかったし、何かと家の中でお互いに嫌な思いをしながら詰られることもなかったのだから。

「……君たちが元々神になど媚びへつらわず、同等に彼女と生きていればよかっただけのこと、自分の失敗を人に押し付けるものじゃない、オレがいなくてもいずれこんな腐りきった家は終わっていたさ、行こう、桃香」

「……はい」

 だけど、千狐様の考えは全く違ったようで、そう言って簡単に切り捨てると今度は足を止めることはなく、私の手を引いてこの家を出た。


「天、車の用意を」

 家を出ると黒服の青年に千狐様が声をかける。

「既に済ませております」

「さぁどうぞ、乗って」

 青年の言葉に頷いた千狐様は車の扉を開けて私に乗るように促す。

「あの、千狐様……」

「どうかした?」

 だけど、私はひとつだけやり残したことをここで終わらせから、何のしがらみも残さずにここを去ることに決めて千狐様の名前を呼ぶ。

「……もうひとつ、お願いしてもいいですか?」

「二つ目の願いか、勿論構わないけど、何をして欲しい? やっぱりこの家を潰してしまおうか?」

 勿論千狐様は断りはしなかったけれど、その思考は危ないほうに傾きやすいようだ。

「……その逆です、この家が……今まで通りに進んでいくように加護をかけてあげてください」

「……それはまた、どうして?」

 私のお願いに千狐様は今度こそ不思議そうにそう聞き返してくる。

 まぁ、誰だってあのやり取りを見た後にそんなお願いをされれば不思議に思うだろう。

「私のせいで沢山の人が不幸になれば、その不幸を私も今後背負わなければいけなくなる、そんな重荷はごめんですから」

 私は取り繕っても意味はないだろうと感じて心のうちを明かす。

 だって、もしあの声がこの神様のものだったのだとしたら私の心なんて既に全てお見通しみたいなものだ。

 まだ断定は出来ないけどほぼ確定で間違いはないと思うし。

 そう、言ってしまえばこれが全てだ。

 別に私は情けをかけたかったわけでもなければ心打たれたわけでも、今まで一応育てて貰った恩があるからとかでも全然ない。

 ただ、これからもう会うことだってほとんどないような人達のことで気を揉みたくないだけ。

 私のせいで不幸になった誰かの不幸を一緒には、背負いたくないだけだった。

 それに今のところしたいお願いがあるわけでもないのだから。

「……くくっ、やっぱり変わらないな、君は」

「千狐様……?」

「いや、何でもないさ、それくらい勿論構わない、二つ目の願いだね、なんならあいつらのいる前で言ってやればよかったのに、なんて、オレが言うことでもないけどね」

 くぐもった笑いを漏らした千狐様はそれからそんなことを付け足して、私が席に着いたのを確認すると車のドアを閉めた。

 車の近くまでついてきてすがり付こうとして周りのお付きの人に止められるお父様は、目にすらついていないのだろうというほどに、千狐様は嬉しそうだった。

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