復讐の炎

 お日様が沈んだ頃になって、黒猫親子は何とか家にたどり着きました。

 お家は真っ暗で、ジメジメしています。お母さん黒猫は娘の全身をお湯できれいに洗い、必死で舐めて、細かい傷を治してやりました。しかし深い傷にはお湯がしみるようで、赤ちゃん黒猫は泣いていました。

 それから二匹はご飯を食べました。しかし、赤ちゃん黒猫はお腹がすいているはずなのにあまり食べません。お母さんは大好物のサルビアの蜜を出してあげましたが、それも半分くらい残しました。

 お母さん黒猫は、赤ちゃんに優しく話しかけます。


「どうしたんですか? おなかいっぱいですか?」


「にゃっ……ぜんしんぎゃ、いたいでしゅ」


 自分の全身が腫れて痛いそうです。恐らく沢山のケット・シーに嬲られていたからでしょう。


「それはたいへんです……ままに、みせてくださいね」


 しかしそういうと、赤ちゃん黒猫の体が固まり、シクシクと泣き出してしまいました。たくさんのいじめっ子達に嬲られたトラウマが甦ったようです。


「にゃっ……いやでしゅ……おしりを、みしぇちゃりゃ、いちゃいいちゃい、しゃりぇみゃしゅ……」


「そんなことしませんよ。ままは、あかちゃんのみかたですよ」


「でも……おしりは……」


「だいじょうぶです、ほら……」


 そう言うとお母さん黒猫は、赤ちゃん黒猫のお腹を撫でました。お母さん黒猫は複雑そうな顔をしています。

 それから、お母さん黒猫は娘を寝かしつけましたが、自分はどうしても眠れません。汚され傷だらけにされた赤ちゃん黒猫を見る度に、あの時もっと早く駆けつけていればと思うと胸が痛みます。

 お母さん黒猫は一睡もせずに娘の看病をしていました。すると、どうにも様子がおかしいのです。苦しそうにうなって、汗もびっしょりかいています。これはただ事ではありません。

 お母さん黒猫はすぐに娘を抱き上げました。


「ど、どうしたんですか!? しっかりしてください!!」


「にぃ……からだが、いちゃいでしゅ……」


「からだがいたいのですね! すぐにおうさまにそうだんしますから、まっててくださいね!」


 お母さん黒猫は娘を抱えて飛び出しました。孤児を引き取って育てたり、食糧や薬草の管理を行ったりするのは王家のお仕事です。

 王国で一番豪華なお屋敷の扉を叩くと、一匹の茶トラが寝ぼけ眼を擦りながら出てきました。この立派な毛並みの茶トラこそが王さま。赤ちゃん黒猫の実父にあたるケット・シーです。

 お母さん黒猫は身を伏せて、地に額をこすりつけました。


「にゃっ、おうさま! あかちゃんがたいへんなのです、おくすりください!」


「……『おまえの』あかちゃんが、どうかしたんだぞ?」


「にゃっ……じつは、あかちゃんはきのう、だれかにイジメられてキズだらけなんです。ですから、ハーブのキズぐすりを……」


 我が子の命の危機だと言うのに、彼は冷淡でした。


「なんだ、それならキズがなおるまでまってればいいんだぞ。くすりはきちょうなものだから、すてごなんかにかんたんにあげていいものじゃ、ないんだぞ」


 お母さん黒猫は絶句しました。いくら傍系といえど、王さまの赤ちゃんでもあるはずです。目の前にいるのが、この子の父親だという実感が湧かないのです。


「お、おねがいです、あかちゃんがかわいそうです……おねがいです、おねがいです」


「うるさいんだぞ」


 王さまは冷徹な目で黒猫親子を睨んでいます。

 その後ろに、王子さまが通りかかるのが見えました。哀れな黒猫親子を見てニヤリと笑っています。お母さん黒猫は、あの子が赤ちゃん黒猫をイジメたのだと気づきました。なぜなら、王さまが自分をイジメていたときにも、全く同じ仕草をしていたからです。

 お母さん黒猫は悔しさを堪えて必死で縋り付きます。


「にゃっ、おねがいじまず、たずげでくだざい……」


「しつこいやつなんだぞ。ならおうさまが、おねだりのほうほうをおしえてあげるんだぞ」


 王さまはお母さん黒猫から赤ちゃんを奪い取り、こぶしをふりあげました。


「なにをするんですかっ!? やめてっ!」


「あらりょうじしてやるだけだぞ」


「にぃう……あちゅぃでしゅよぉ……」


 お母さん黒猫はその様子を、涙を浮かべながら見ています。


「やめてっ! 黒猫たちが、なにをしたっていうんですか!? あかちゃんはなにもわるいことしてないのに! そのこは、あなたのあかちゃんですよ!?」


「ふん、なまいきなことをいうんじゃないんだぞ」


「にゃっ、おねがいっ……! あかちゃんをかえしてください……黒猫たちはあなたたちのおもちゃじゃないんですよ……!?」


「いいかげんにしろなんだぞ」


「ひっ!? あぁあああっ!」


 王さまはお母さん黒猫を蹴り飛ばしました。黒い体が宙を舞ってそのまま倒れ込みます。

 赤ちゃん黒猫は苦しんでないていました。お母さん黒猫は意を決して王さまを突き飛ばして、子どもを連れて巣に逃げ帰りました。

 その夜、お母さん黒猫はぐったりした我が子を抱いて泣きました。こんなに酷い仕打ちを受けても泣くことしか出来ない自分が悔しくて悲しくて仕方がなく、また情けなくなりました。


「ままがいますからね……」


「にぃう……キズ、いちゃいでしゅよぉ……」


「いたいですよね、よしよし……あさになったら、ままがハーブのはっぱをあつめてきますから……。さ、もうすこしで、あさがくるはずですよ」


「にゃっ、……ありがちょう……ござい……ましゅ」


 ふわふわの額を撫でてあげると、赤ちゃん黒猫は笑顔を見せました。


「おやすみなさい、よくやすんでくださいね」


 お母さん黒猫は我が子を抱きしめて眠りにつきました。

 翌朝、お母さん黒猫は、赤ちゃんを背中におんぶして薬草を集めに行きました。

 王家のお屋敷の前に子ども達が集まって、また悪さをしています。昨日赤ちゃん黒猫をイジメたこと、黒猫親子の惨めったらしさを嘲笑っている声が聞こえました。お母さん黒猫は悔しさを堪え、子ども達が話に夢中になっている隙を狙って、誰にも見つからないように森へ向かいました。


「にぃ、ありました……これでだいじょうぶですね」


 お母さん黒猫は急いでお家に戻り、薬草をすりつぶして娘に塗ってあげました。


「んっ、……ふ、ぅ……からだじゅうが……いたいでしゅよぉ……」


 赤ちゃん黒猫は、目を覚ましたようでした。お母さん黒猫は慌てて薬を塗り直してあげます。


「おちついて、だいじょーぶっ、すぐによくなりますよ」


 赤ちゃん黒猫は母の手を弱々しく握りしめました。お母さん黒猫もその手を強く握り返します。

 すると赤ちゃん黒猫は疲れきったのかそのまま眠ってしまいました。


「おねがいだから、げんきになってくださいね……」


「にゃっ……あちゅい……」


 お母さん黒猫は赤ちゃんを抱き締めました。しかし、娘は苦しそうな表情を浮かべています。

 ケット・シー達の中でも、黒猫種は立場が低いのです。その毛色から気味悪がられてしまい、餌をとるのも下手っぴ、魔術もあまりうまくありません。ですから、王国のみんなにバカにされて、強いケット・シーや淫魔のイジメのターゲットにされてしまうのでした。どの地域にも大抵こういう黒猫親子がいます。

 お母さん黒猫が我が子の寝顔を見つめながら看病していたその時。外から聞き覚えのある声がしました。そして、何か重いものが地面に落ちる音も……。

 お母さん黒猫がおずおず外に出ますと、そこには王さまと親衛隊達がずらり。めいめい棍棒や石を手にしてお母さんを睨んでいるのでした。


「にゃっ!? なにをするんですかっ!!」


 お母さん黒猫は慌ててお家に戻り、娘を抱きしめました。すると王さまはお家の入口に立って、二匹を見下すように言いました。


「おまえが、じぶんのこどもをびょうきにしたんだろう? びょうきがりゅうこうすると、おうこくが、ほろぶんだぞ。くにのてき!」


「ちがいますっ! このこはびょうきなんかじゃありません! 王子さまにイジメられて、キズができたんです!」


 言いがかりです。お母さん黒猫は必死に抗議しましたが、ケット・シー達は聞く耳を持ちませんでした。


「うそをつくんじゃないんだぞ」


「うるさい、だまるんだぞ」


 王さまが合図すると、周りのケット・シー達が一斉に襲いかかりました。


「にゃううううううううううっ!!!」


「みゃみゃ……っ!!」


 お母さん黒猫は娘を庇いながら逃げます。でも狭いお家の中では多勢に無勢、あっという間に捕まってしまい、親子は引き離されてしまいました。


「やめて! あかちゃんをいじめないでえぇ!」


「うるさいんだぞ。さっきから、おうさまをばかにしやがって!」


「にゃう! にゃう! にゃう!」


「あかちゃああぁん!」


 お母さん黒猫は手足を押さえつけられながらも必死で暴れます。自分の命よりも大切な娘のためになんとかして生きていたいと思ったのです。 今は自分のことなんかどうでもいいから我が子を助けたくて仕方ありません。

 しかし、王家直属の親衛隊達は強く、まるで歯が立ちません。何度も助けを呼びましたが誰もやって来ませんでした。

 赤ちゃんは沢山の親衛隊達に押さえつけられて苦しそうに泣いていました。お母さん黒猫には、それがとても辛かったのです。


「もういい、ころすんだぞ」


 王さまが命令すると、ケット・シー達が次々と赤ちゃん黒猫に群がりました。

 お母さん黒猫は、最後の力を振り絞って叫びました。


「やべろおおぉおぉおぉおぉぉ!!」


 しかし現実は非情です。赤ちゃんはお母さんの目の前で首を切り落とされ、傷口から飛沫を噴き出しながら死んでいきました。


「……ちゃ……あかぢゃあああぁん!」


 血溜まりの中に我が子の生首が転がり、お母さん黒猫は大声で叫びます。悲しみのあまり気が狂いそうになりました。

 そして親衛隊ケット・シー達は、お母さん黒猫の慟哭を嘲笑います。この醜い黒猫は、子供を産んでおきながら育てられない。親としての資格がない。みんながそう言いました。

 どうしてこんな酷い目にあわなければならないのでしょう。これは、何かの悪い夢だと思いたかったのです。お母さん黒猫の心の中には憎悪の焔が燃え盛っていました。


「ゆるしません! ころしてやるうううう!」


 地を割るような悲痛な絶叫でしたが、王さま達は余裕の表情です。そして言いました。


「なにをいっているんだぞ? おまえはこれから、おそわれるんだぞ。あかちゃんがいなくなったのがかなしいなら、またあたらしく、きょうだいをつくってやればいいんだぞ」


 王さまと親衛隊達が去って行くと、お母さん黒猫は、その場に倒れました。

 お家は静かです。首を切り落とされて冷たくなった赤ちゃんの肉体と、死に顔がゆがんで張り付いた生首が鮮血の海の中に転がっていました。

 お母さん黒猫は、血が滴る生首を抱えて泣きました。生まれてすぐのご挨拶も、木の実を集めて笑っていた笑顔も、何もかも大切な思い出でした。

 そして、ぽつりと呟きました。


「――ゆるせません。ぜったいにゆるさない。あのこをころした、おまえたちが。ままをくるしめる、おまえたちが……」


 お母さん黒猫はふらふらと立ち上がりました。体力は残されていなくとも、心には復讐の炎が灯っていました。

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