第11話 AIドクター
二月に入り夜明けが少し早くなった。月曜日六時半、外がだいぶ明るくなる。気温はマイナスだが、庭に出て朝日岳に手を合わせた。
すっかり葉を落としたハウチワカエデの木立の向こうに、シンレイ先生の家が見える。よく見ると、コーヒーカップを持ったシンレイ先生が立っていた。ゴホンと咳払いをするのが聞こえた。気づかれないように、私はそっと家の中に戻った。
七時半、いつも通りにシエンタにエンジンがかかっていて、シンレイ先生が後部座席にいる。珍しくマスクをしたままだ。
先生、
「片山さんもマスクしてくれる。昨晩からちょっと咳が出るから、これから診療所で検査しようと思っている」
カバンの中から予備の不織布マスクを出してつけた。
先生、
「センキュ、フォヨア、コーポレーション」
診療所に着くと、スースーに事情を話した。すぐにスースーが、予防衣とフェイスカバー、手袋をつけて、長い綿棒で先生の咽頭拭い液を採取した。インフルエンザとコロナの抗原キットで検査である。
十五分後、スースー、
「先生、コロナ陽性ですよ」
シンレイ先生、
「まだ咳だけで、発熱はないけどな」
スースー、
「まずカロナールでも持って、今日はお家に帰って下さい。少なくとも一週間は休んで下さいね。キャロルさんにうつしちゃいけないから、アルコールスプレーも持っていって下さい」
先生、
「キャロルは、大宮に英会話教室の残務整理に行ってるんだよ。帰ってくるのは明後日だ。独居老人してますよ」
スースー、
「片山さん、先生を車で送っていってくれる。タクシー使って迷惑かけたくないしね」
私、
「診療所は休診にするんですか」
先生、
「今日のところは、下の健診センターに来ているバイト医師に、最低限の応援だけしてもらうよ。明日からどうするか、その相談だけしてから帰るね」
先生が、下の健診センターやあっちこっちに電話する。電話口では咳混じりでも明るい声だ。
スースーが私に、
「先生、若く見えても七十七だからね。コロナの一番の重症化要因は、年齢だから。先生の年齢だと三十代の人に比べて、重症化率が六十倍ぐらいだよ」
と説明する。
先生の電話が終わった。
「医療福祉大は忙しくて応援を派遣する余裕はないと言われちゃったよ。仙台のナナさんに電話したら、宇都宮の病院から何とか派遣してくれるそうだ。遅めのお正月休みを取っている医師に都合をつけてもらって、入れ替わり立ち替わりだけどね。スースーさんがいれば、何とかなるでしょ」
スースー、
「シンレイ先生で務まっているんだから、誰が来ても大丈夫でしょ」
先生、目尻をほころばせながら、
「そりゃそうだ」
私は、シンレイ先生を自宅まで送り届けてからすぐに戻り、一時間遅れで診療所を開けた。二階の発熱外来だけを開けて、同じ階の健診センターの医師に必要な時だけガウンテクニックをして診てもらうことにした。それ以外の予約患者には、受診日変更の電話連絡をした。そして、診療所の入り口に予約外お断りの張り紙を貼った。
その日の夜にシンレイ先生を訪ね、レトルトのお粥を渡すと、先生、元気な様子で、
「ありゃ、すっかり病人扱いだね。さっき、冷凍ピザをストーブで焼いてパンプキンスープと一緒に食べたよ」
次の日の朝に訪ねると、先生、
「さすがに三十八度超えが二回あったよ。インスタントのコンソメスープと水で水分補給してるよ」
とのことだった。
そして、
「今日キャロルが予定を繰り上げて戻ってくるから、片山さんは電話連絡だけでいいよ」
と付け加える。
那須に宇都宮から来てくれた医師は、恰幅のいいベテラン医師だった。名刺にはさっぱり分からない難しい漢字「禰寝」に、ネジメとふりがながふってあった。肩書には医療法人社団二葉会、経営管理室参与とある。
ネジメ先生、
「シンレイ先生の代打なんて光栄ですよ。参与とありますが、一応医師ですのでご心配なく。ナナさんの医療法人では、退職した病院長が参与になるんですよ。普段はのんびりしていていいけど、忙しい時は手伝ってねってポジションです」
体が大きい割にはキビキビ動くいい先生で、スースーと二人で要領よく午前中の診療をこなした。お昼は三人で、ミッドシティのビュッフェに行った。ネジメ先生は意外と少食だ。
ネジメ先生、
「私は食べたいだけ食べてたもんだから、ちょうど七十で心筋梗塞と脳梗塞を立て続けにやりましてね、病院長を辞めて、リハビリと食事療法で百キロ超の体を八十まで落としたんですよ」
続けて、
「それに比べるとエメリタスは立派だ。七十五まで病院長を務めて、今でもこうして診療所で現役医師をしてるんだから」
スースー、
「エメリ何とかって、シンレイ先生のことですか」
ネジメ先生、
「そうですよ。サンディエゴで十五年、仙台で十五年教授をしてたから、名誉教授の肩書を二つ持っているんですよ、彼は」
そういうことでしたか。シンレイ先生の肩書なんて見たことなかったけど。
夕方シンレイ先生に電話した。キャロルさんが電話口にでた。
キャロルさん、
「お昼にも三十八度の熱がありましけど、いつも通りわけの分からない冗談を言ってますので、大丈夫そうですよ」
ネジメ先生は火曜水曜木曜と三日間働いて、宇都宮に帰っていった。金曜日は別の医師が来るという。シンレイ先生に電話すると、本人が電話口に出た。
先生、
「今日は熱上がらなかったぞ。頭痛も治まった。タンがからむが、何とかなるでしょ。キャロルの料理の味がしなくなったのが、ちょっと残念だけどね」
回復に向かっているようで、一安心。
金曜の朝に医院に着くと、スースーの他にナナさんと青葉教授が来ていて、にぎやかに話しながらコーヒーを飲んでいた。
ナナさん、
「出来の悪い代診の医師を引っ張ってきたわよ」
青葉教授、
「出来の悪いは余計でしょ。先輩医師が困っている時に、後輩がわざわざ休暇を取って応援に来たんですよ。しかもまだ六十代の若手です」
私、
「青葉先生が働いてくれるんですか」
青葉教授、
「私だって内科医の端くれなんですよ。心配しないで下さいね。ただ今日は、強力な代診医師がいて、私はその横で見守るだけです」
青葉先生が診察室に向かって声を掛ける。
「隠れてないでこっちに来て、リリナさん」
えっ、リリナ。
診察室の扉が開いて、大きなタブレットを抱えたリリナが出てくる。
「ニーちゃん、おはよう。青葉先生たちと仙台から一緒に来たの。」
続けて、
「私たちの言語AI研究センターで試作品だけどAI内科医が完成したんです。それに私がシンレイ先生の会話データを学習させて味付けして、シンレイ内科バージョンと言うのを作ったの。うちのセンター長が青葉教授に共同研究を持ちかけて、ちょうどいい機会だからそれを那須に持っていこうと言うことになって、さっそく今日持ってきた、ということ」
リリナがさっそくタブレット端末を操作して立ち上げる。
リリナ、
「遠隔医療用の暗号化システムで仙台のセンターにつながっているから、医学的な診断とか処方の判断はクラウドで処理、患者さんとのやり取りや聞き取り文字起こしは基本端末で処理。今日が初お目見えだから、上手くいくかどうか」
大きなタブレットにシンレイ先生の顔の画像が現れる。よくできたアバターだ。
「皆様、初めましてAIシンレイです。
あれ、初めてかな。青葉先生、ナナさん、片山さん、スースーさん、リリナくん。見たことのある顔だな。ま、ともかくよろし子」
と話し出す。リリナがあらかじめ情報を仕込んでおいて画像認識させ、自己紹介していることがわかった。
私がリリナに、
「音声だけじゃなくて、画像情報もある程度処理するんだね」
と言うと、AIシンレイ先生が聞き取って、
「ま、このタブレットのカメラとマイクじゃこの程度ですね。リリナさん、元に戻して向こうの高性能のカメラ、マイク、スピーカーにつなぎなおして下さいよ。もうちょっといいところ見せますから」
リリナが大型タブレットを診察室に戻して設置し直す。
ナナさん、
「おしゃべりなところは、シンレイ先生そっくりね」
青葉先生、
「そのうち祈りだすんじゃないの。今日一日、楽しくなりそうだ。片山くん、AIドクター実験中を知らせるこのポスター、待合室に貼ってくれる。協力お断りの患者は、私が一人で診ますから」
金曜日で患者が少なくてちょうどよかった。午前中に発熱外来に来た三人は、青葉先生が直接二階で診た。それ以外の十人の予約患者は、AIシンレイ先生が担当して、青葉先生がチェックした。
シンレイ先生を見舞いに行ったナナさんとリリナが、お昼に帰ってきた。
青葉先生、
「このAI医師、医学的判断は抜群だね。最新の論文を読み込んでいる。シンレイ先生が、コレステロール値の高い患者にルーティンにスタチンを処方していたけど、このAI医師は、がん患者とか、がん患者の家族歴のある患者では減量したんだよ。ある程度コレステロール値が高いほうが、期待余命が伸びるという判断だね」
続けて、
「リリナさん、私の感想だが、この画面に出てくるシンレイ先生のアバター、なくてもいいんじゃないかな。ただ画面に、患者と医師の会話の文字起こしを表示させて、音声のやり取りを患者にじかにチェックしてもらうほうが、正確なやり取りが出来るし、AIの学習にも便利だと思うよ」
リリナ、
「うちの研究室でもそういう意見があって、アバター表示と、会話テキスト表示が選べるようになっています。午後は、会話テキスト表示バージョンにしてみますね」
続けて、
「AIドクター開発には、二つの考え方があって、カメラに温度センサー付けたり、接触型の血糖測定器や血圧計、心電計まで付けて、AI診断マシンを作るというものと、
あくまで人間に似せて、疑似人格を持ったベテラン医師を作り上げて、人間的な判断で診療を進めるというものです。
私は後者を狙っているんです」
青葉先生、
「深いんだね。素人のアイデアを超えている」
リリナ、
「今はまだシンレイ先生の半年間の診療の会話記録しか、このAIに学習せさせていませんが、できればシンレイ先生のプライベートの言語情報、日記とか手紙とかメールのやりとりとかまで学習させて、もっともっとシンレイ先生風の味付けをしてみたいんですよね」
青葉教授、
「深すぎて、ちょっと僕にはついて行けないな」
ナナさん、
「シンレイ先生、元気そうでしたよ。直接はお会いしませんでしたが、窓越しに顔を見せたら手を振ってくれました。熱は治まって咳だけだそうです。寝ているより座っている方が楽だからって、ソファーに座っていました」
青葉先生、
「夕方、僕が直接見に行くよ。あの年齢だと発症五日目、ちょうど今日あたりが危ないんだ。免疫の働きで回復に向かっているように見えても、今度は免疫が過剰に働きすぎて心筋炎や間質性肺炎に進む事があるからね。座っている方が楽だ、というのが気にかかる」
午後一番に、八百屋の庄司さんがやって来た。一大事だ。診察室に入るなり、すぐに待合室に出戻り、ありゃ入り戻りかな。
庄司さん、
「なんなのよ、今日は。あの機械の文字と話さなきゃならないの。せっかく出てきた旦那は消されるし、シンレイ先生までいなくなっちゃうの」
私、
「横に別の先生いたでしょ。機械が嫌ならそちらにお話ししてみて」
庄司さんが近づいてきて小声ではっきりと、
「私、頭の光る人嫌いなの」
私、
「それを言っちゃだめですよ」
私の後ろに座っていたリリナが、
「私、やっぱりアバター画面に切り替えます」
と言って診察室に入って行った。数分後にリリナ、
「庄司さん、もう大丈夫ですよ。入って下さい」
庄司さんが渋々入ってゆく。今度は入れ替わりに青葉先生が出てきた。青葉先生、
「追い出されちゃったよ。こちらでチェックしますか」
文字起こし画面をみんなでのぞき込む。
庄司さん、
「これテレビ電話、先生、いつもよりハンサムに映っているわよ」
AIシンレイ先生、
「私はAI画像ですよ。庄司さんのことはよくわかってますよ、八十代小柄まぶたが熱帯魚、で判別していますから」
庄司さん、
「失礼ね。八十に見えるの」
AI先生、
「訂正、訂正、七十九にしか見えません」
庄司さん、
「あら、先生、いつもと同じ調子ね。変わりないからお薬ちょうだい」
文字起こし画面を見ていた青葉先生、
「確かにアバターのほうがいいのかな」
何とか一日が終わり、五時にはナナさんが迎えに来て、青葉先生はシンレイ先生の家に向かった。私がリリナを乗せて寺子の家に着いたときには、シンレイ先生の家の前にナナさんのキャディラックがまだ止めてあった。ナナさんから、今日はシンレイ先生の家に泊まり、明日仙台に帰るとの連絡が入った。
読者の皆様へ
ここまでお読みいただき感謝いたします。
引き続き、ご笑読をお願い申し上げます。
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