第18幕 神への干渉者
触れてはいけない空気をまとっているジュリオにはあえて触れず、クラウスたちは残りの面々で話し合いを続けていた。
「……あの、少しよろしいですか?」
おずおずと手を挙げたのは、エリナ先生だった。
「どうされましたか、エリナ先生?」
クラウスが促すと、彼女は皆に視線を向ける。
「ずっと気になっていたのですが……レオノーラさんは、皆さんの“個人の記憶”の中で、殿下の正式な婚約者だったのでしょうか?」
“個人の記憶”――それはクラウスの記憶とは異なる、各人が持つ断片的で曖昧な、しかし確かに存在している記憶のことだ。
「私の記憶では……彼女は“婚約者候補”の一人にすぎませんでした」
最初に答えたのはリリスだった。
「私もだ」
「俺もだ!」
リリスに続いて、ノア、ミハイルが賛同した。
「……同じく、だ」
しばらくブツブツと呟いていたジュリオも、ようやくぼそりと同意を口にした。
「ノア君、これは……」
エリナが視線を送ると、ノアは静かに頷いた。
「――レオノーラ嬢が正式な“婚約者”になったこと。それこそが、すべての引き金になったのかもしれません」
「それはどういう意味だ?」
クラウスの問いに、ノアはほんのわずかに眉をひそめながら答えた。
「推測の域を出ませんが……」
ひと呼吸置いて、彼は続けた。
「殿下がレオノーラ嬢と“正式に婚約”した。それにより、本来の流れだった“フィオナ嬢との恋愛”が阻害された。結果として、恋愛の結末が“断罪”という形で歪められた可能性があります」
「……それで?」
「神はおそらく、その歪みすら望んでいなかった。だからレオノーラ嬢の存在そのものを“なかったこと”にした。婚約すらもなかったことにして、世界を巻き戻した。断罪劇も、その修正の一部だったのではないか――と」
クラウスはハッと目を見開いた。
「……私は今、誰とも婚約していない」
「ええ、だからこそ、今回は“意思の歪み”が起きていないのです。皮肉にも、レオノーラ嬢が消えたことによって、世界はあるべき形へと修正されたのかもしれません」
ノアの言葉に、クラウスは唇を噛んだ。
――そんなことがあるものか。
「……じゃあ、もしレオノーラを取り戻したらどうなる?」
「世界は再び、繰り返しの螺旋に落ちる可能性があります」
ノアの口調はあくまで冷静だったが、その言葉は重く、場を支配するように沈黙を呼んだ。
誰もが言葉を失い、苦しげにうつむいた。助けたいと願った少女を救えば、世界が壊れる。そんな理不尽があっていいのか。
静寂の中、ぽつりと声が上がった。
「……そもそも、なんでこんなことになったんだ?」
拳を握りしめたのはミハイルだった。
「誰がフィオナ嬢とクラウスを無理にでも結ばせたいと思ったんだ? 何のために?」
「誰が、って……」
ノアの言葉が途切れ、全員の視線が宙を泳ぐ。
その沈黙を破るように、クラウスが呟いた。
「……フィオナか」
「可能性は高いですね。しかし、もし“神”の力を本当に操れるのだとしたら、彼女は極めて危険な存在です。無闇に接触すれば、どうなるかわかりません」
実際、彼女と結ばれないような選択をするたびに、“正しい未来”へ辿り着くまで世界は繰り返されている。
――彼女が一連の黒幕だとすれば、すべてに辻褄が合う。
「殿下、ここは慎重に行動すべきです」
ノアがそう進言したが、クラウスはゆっくりと首を振った。
「……フィオナは、私と結ばれたいと望んでいるのだろう? ならば、私に危害を加えるはずがない」
「あなたを、再び“操り人形”にするかもしれません」
ノアの言葉に、全員の視線がクラウスへと集まる。不安を含んだ瞳が彼を見つめていた。
それでもクラウスは、静かに言葉を返した。
「――それでも構わない。
記憶の中で“操られていた私”とは、もう違う。
今の私は、自分の意志で向き合う。彼女に――すべてを問いただしたいんだ」
「本気か?」
ミハイルが、いつになく真剣な眼差しでクラウスを見据えた。
「ああ」
クラウスが頷くと、ミハイルはふっと口元に笑みを浮かべる。
「そうか。なら、俺は止めない」
そう言って、くるりと背を向けた。
「ミハイル! お前――」
ノアが思わず声を上げる。
「クラウスは自分で決めたんだろ? なら、俺たちが口を挟む理由なんてないさ」
「この単純筋肉バカ……!」
ノアの手が、ミハイルの腕をつかむ。しかしミハイルは一歩も引かず、鋭い眼差しでノアを睨み返した。
沈黙が流れる中、静かに手が挙がった。
「――私も、クラウス殿下のご決断に賛成です」
それはエリナ先生だった。彼女は穏やかな口調ながら、しっかりとした意志をその声に込めていた。
「……先生まで……」
ノアが戸惑いを含んだ声を漏らすと、ゆっくりとミハイルから手を離した。
「私も……占いの結果は、クラウスの選択を支持しているわ」
続いてリリスが口を開いた。落ち着いた声だが、その瞳には揺るぎない確信があった。
「じゃあ、俺も賛成かな?」
ジュリオも軽い口調で続く。だがその目には、仲間を信じる強さが宿っていた。
「……っ!」
気づけば、ノア以外の全員が賛成に回っていた。
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