第37話

 ヘンリーに婚約者が定まった。間もなく迎える舞踏会で公に発表される。

 マルガレーテにとってヘンリーは一人きりの弟で、幼い頃からいつも一緒に過ごしていた。


 だが、ヘンリーは立太子して青年王族として歩きはじめた。婚約者も得て、彼はいよいよ未来の為政者として生きていく。現に彼は既に執務を与えられて、学園から戻れば父王からまつりごとについての教えを受けている。


 いつまでも独り立ちできないのはマルガレーテだ。自分にできることはなんだろう。どうしたら民に幸と安寧を齎すことができるのだろう。


 それから……、とマルガレーテは考えた。

 今度の舞踏会に、誰にエスコートを受けたら良いのだろう。


 今まではヘンリーがエスコートしてくれた。だが、ヘンリーはこれから婚約者と共に公の場に出る。そうであれば、会場入りをするのは、両親の後にヘンリーとその婚約者が続くから、その後ろをそろぉ~っと着いて歩けば良いのかしら。


 視線は教師が板書きする黒板を見つめながら、授業中もそんなことを考えていた。




 その日の晩餐で、マルガレーテは両親に聞いてみることにした。


「お父様、今度の舞踏会なのですけれど、私、ヘンリーたちの後ろからそろぉ~っと着いていこうと思うのです。よろしいかしら」

「よろしくないよ、姉上。姉上のエスコートは私がする」


 かさずヘンリーが割って入った。


「でも、ヘンリー。貴方は婚約者のマーガレット嬢をエスコートするのよ?」


 ヘンリーの婚約者はマーガレットという。東部生まれの彼女は、マルガレーテとは名前の綴りが僅かに異なる。それをヘンリーは、名まで姉上だと大喜びなのである。


「姉上。私には手が二本あるのですよ。右手に愛しいマーガレット、左手に愛する姉上。ほら、ちゃんとエスコートできますよ」

「ええ?ヘンリー、それでは幅を取りすぎるわ。邪魔になっちゃう、駄目よ駄目」


 少しばかり着眼点がズレているが、マルガレーテの導き出した結論は正解だ。


「大丈夫よ、マルガレーテ」


 そこに助け舟を出したのは母だった。


「貴女のエスコートはもう決まっているわ」

「そいつは誰です!母上」

「お前には教えられないわ。邪魔するから」

「そういうところが意地悪なんですよ!」

「こら!ヘンリー、今なんと言った!私のクラウディアが意地悪だと!?そんな言葉、可愛い息子でも許されないぞ!」


 相変わらず賑やかな食卓で、マルガレーテは一人思案していた。

 もしかしたら。

 考え抜いて辿り着いた答えは、いよいよ婚約者が据えられる、ということだった。


 以前ヘンリーが言っていた言葉を思い出す。宰相が、マルガレーテへ婚約者を選ぶべきだと父王に進言した。


 宰相は多分、諸外国の情勢を鑑みて、候補を挙げた上で父に持ち掛けている筈だ。 

 自分はヘンリーとは立場が違う。ヘンリーのように直接、まつりごとに参加できない。自分が役に立つときとは、生涯に一度限り。政略による婚姻を結ぶときだ。


 母が大丈夫と言ったのは、きっと嫁ぎ先が定まったからだろう。


 ヘンリーが父王にやいのやいのと言うのを横に、マルガレーテはデザートのゼリーをくるくるスプーンでかき回していた。

 頭の中で思考がくるくる変わるたびに、手元のスプーンをくるくるする。


 そのうちゼリーは流動食のようになって、終いには飲み物のようになってしまった。


 お行儀が悪いが食べ物を無駄にしてはならない。まだ父王とヘンリーがやいのやいの言っているのをよいことに、ゼリーボウルを持ち上げてシャンパンよろしくイッキ飲みした。


 母は、マルガレーテがゼリーのイッキ飲みを終えるのを待って、それからそっと囁いた。


「衣装はもう仕上がっているわ。貴女はなにも心配いらないの。なにせ貴女にはサフィリアがついている」


 そこでマルガレーテは腑に落ちた。

 母は多分、例の方法カードゲームでマルガレーテの輿入れ先を選んだのだ。いや、選んだのはサフィリア夫人だけれど。


「信じれば救われる、だそうよ。サフィリアが言ってたわ」


 そう言って、母は楽しげに目を細めた。



 その夜、寝台で横になっても、マルガレーテはなかなか寝付くことができなかった。

 自分の未来が定まりつつある。なのに、当の本人が未来について知り得ずにいる。


 両親は、決してマルガレーテの不幸な婚姻は望まないだろう。だが、国際関係で止むを得ず結ばねばならないえにしだってある。


 マルガレーテは温かなブルネットを思い浮かべた。大地を思わせるオーディンの髪。宵闇のような消炭色の右目と若草のような翠の左目。

 大きな手、静かに耳に響く低い声。


 そっと胸に手を当てて、幼い頃からのオーディンとの思い出を、ひとつ、またひとつと思い浮かべた。それだけで、胸がじんわり温かくなって、それだけで、目元から温かな雫が零れる。


「オーディン」


 大好きよ、オーディン。

 オーディンのお陰で恋を知った。

 オーディンのお陰で、幸せな少女時代を過ごすことができた。


 オーディンの思い出を胸の奥のずっと奥に隠して、マルガレーテはもうすぐ誰かと婚約を結ぶのだろう。


 もしかしたらお相手にも、心に大切に仕舞っておきたい恋の思い出があるのかもしれない。


 お互いに、生涯大切に取っておきたい恋心を隠し合って、そうして結んだ縁にもいつか情が通えばよいと思う。


 王国の為に、民の為に。

 マルガレーテは務めを果たす。


 舞踏会は間もなくだ。この数日のうちにはきっと、婚約者となる男性と顔見せをすることになるのだろう。


 不満なんて一つもない。

 ただ、今夜だけは、オーディンのことを思いながら静かな涙を流していたいと、マルガレーテは流れる涙をそのままに、想い人の笑みを思い浮かべていた。





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