第6話

 王太子ネロ、二十六歳、金髪青眼。

 勤勉、実直、天才肌、若干腹黒。

 好物 苺。


「ん?」


 その日朝餉の席で、ネロは大切なものが欠けていることに気がついた。


「どうなさったの?」


 妃のクラウディアに聞かれて答える。


「苺がないな」

「ああ」


 毎朝食卓を赤く彩る苺がどこにも見当たらない。


 それを妃が納得していることが解せない。

 何か手違いがあったのだろうか。配膳係がうっかりしたか。

 ネロはそこで配膳係を凝視した。


「辞めてあげて、そんな穴が空くほど見つめるのは。大丈夫よ、そこの貴方。貴方の所為ではないわ」


 殆ど藪睨みになっていたのを妃にたしなめられた。配膳係は「うっかり苺の配膳を忘れてしまった罪」から解放された。


「今朝は王都中、苺はどこにも出回らないでしょう」

「は?なんだ、それ」

「そういう日もあるってことよ」

「そういう日って、どういう日だ」

「王太子が苺を食べられない日ってことよ」



 執務室に向かいながら、ネロは考えた。

 街道整備はもう五年も前に着手済みだ。王都を中心とする幹線道路は全て整備が終わっている。

 では物流機能に問題があるのか?あったのか?あったんだな?だって苺が入荷しない。


 妃は理由わけを知っているようだった。それから弟も。全ては第二王子ブルータスの為だと言っていた。

 苺行方不明の真相。それをどうやら妻ばかりか弟も知っているらしい。


「ブルータス、お前もか」


 妻と弟の仲の良さか、苺所在不明の所為なのか。


「あ~クソ、なんか悔しい、イライラする」


 妻と弟仲良し八割、苺所在不明二割が理由のイライラにさいなまれながら執務室の扉を開けた。


「ん?なんだ?」


 執務室は苺の香りで充満していた。


「ルクス、その手のものはなんだ」


 ツカツカツカと歩み寄って王太子は尋ねた。


「苺です」


 ルクスは大きな籠を両腕にぶら下げて、文官らに苺の包みを配っていた。籠の中身は苺だった。


「はい、殿下にもひとつ」

「あ!ありがとう。苺、大好きなんだ」


 包みの中には赤く輝く苺の粒。

 って、

「これ、どうした?」

「もらったんです。妻が」


 王太子の頭に瞬時にサフィリアが思い浮かんだ。王城でも有名な伯爵夫人。なにせ、下手に手を出したら目の前の虎に殺られてしまう。


 まあ、手なんて出さないけどね、自分には愛するクラウディアがいる。

 王太子は愛妻家であった。


「ああ、そうだルクス。街道整備計画に遅れはあったか?」


 苺を早速ひと粒つまむ。


「ありませんが」


 ぽいっとお口に放り込む。


「甘い!旨いなぁ~」

「朝摘みですからね」


 苺をもうひと粒つまむ。


「物流機能に問題はなかったかな」

「ありませんね。今朝も我が家には大量の積み荷が届きましたが、街道も物流もなんら問題は見えませんでした」

「……そうか」


 甘い苺をもぐもぐしながら、釈然としない王太子なのであった。




 朝の苺攻撃には驚いた。

 苺の香りが充満する邸宅で、サフィリアはそうかもう苺の季節がやってきたのかと思った。


 王国の苺の旬は初夏である。初夏は社交シーズンも終盤となる。社交の終盤といえば王家主催の夜会である。


 王家の夜会。不幸な夜。

 ルクスを不幸に陥れた、哀しく辛い夜とはファイナルの夜会だった。


 苺の香りが充満する邸にいながら、サフィリアは窓辺でハンカチに刺繍をしていた。因みに朝の苺インパクトがディープ過ぎてデザインは苺しか思い浮かばず、夫のハンカチに真っ赤な苺を刺繍していた。


 刺繍の時間はつい思考の海に沈んでしまう。思考は心の内側まで潜り込む。こんな初夏の日には特に、胸を締めつけるあの夜を思い出してしまう。


 苦く、なのに甘く切ない夜の思い出。

 サフィリアの記憶は、夫と出会った二年前に引き戻された。



 サフィリアが二十歳を迎える年だった。


 二十歳になるというのに、サフィリアにはまだ婚約者がいなかった。学園を卒業して二年になっても、両親はサフィリアに伴侶を見繕うことをしなかった。


 なぜだなんて聞かずとも分かる。聞くだけ淋しくなるから聞かないが、敢えていうなら探しようがなかったのだろう。なぜなら地味地味サフィリアには、売り込みようがどこにも無かったのだもの。


 身も心も地味な娘を持った両親。

 それなのに、慈しみ育ててくれた両親。

 両親には足を向けて寝られない。


 ついでに言うなら、姉にもその夫にも足を向けて寝られない。なぜなら姉はサフィリアを、幼少の頃から今の今までとても可愛がってくれていた。


 二人姉妹の姉は、幼い頃から嫡女の気概を持って凛々しく見えた。姉はサフィリアの憧れの存在だった。姉に名を呼ばれれば、サフィリアは手懐けられた仔犬のように駆け寄った。姉はそんなサフィリアを、よく手懐けた仔犬を愛でるように可愛がってくれた。


 深紅の薔薇を思わせる眩しい姉の元にいて、姉がこよなく愛する優しい義兄にも可愛いがられて、サフィリアは、自分の人生は姉夫婦と両親とともにいつまでも変わることなく穏やかに、緩やかに朽ちていくまで続くのだと信じていた。


 両親と姉夫妻に守られて、学園卒業後も侍女や文官やガヴァネスといった手に職をつけることもない。

 勤労といえば生家で姉の執務の手伝いをするくらいで、サフィリアはそんな日々を過ごしていた。


 その日は特別な夜だった。

 王家主催の夜会があって、それは社交シーズンの終わりを飾る盛大なものだった。パートナーのいないサフィリアは姉夫妻に伴われて、一応未婚の令嬢として参加した。


 見渡せば、昨冬のデヴュタントで成人したばかりの令嬢たちが幾人もいた。眩しく輝く若い肌。弾ける笑みに彼女たちの未来はとても明るく見えた。


 サフィリアは、そこそこまあまあ上位に食い込む程度に高成績の、学園ではそこそこまあまあよくできた生徒だった。だがそれは、令嬢としての価値を高めるものではなかった。


 当たり前に友人もいたし、その中には親しく挨拶を交わす異性の学友もいたのだが、三年間でどこにも縁づくことはなかった。


 だから今もこうして姉夫妻の側で、輝く令嬢たちを眩しく思いながら薄目を開けて見ているのである。






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