第4話 残酷な真実
ゼペット先生が村に戻ってきたのは、翌日の朝だった。
「師匠!」
リナが弾けるような笑顔で駆け寄る。
五十代くらいの男性で、黒髪には白いものがところどころ混じっている。顔に刻まれた皺が豊かな表情を形づくり、とりわけ目元の皺が深く、まなざしをやわらかく見せていた。
「何があった?」
使い終わった白い布が干されているのを見て、彼が問うた。
「パオイノ病が発生したんです。でも、つぐみが特効薬を見つけてくれて、すぐに治まったんです」
リナは誇らしげに私を紹介した。
「つぐみというのか。珍しい名前だな。リナを助けてくれてありがとう」
ゼペット先生は私を優しく見つめた。
「……それで、君はどこの村の者だ?」
「……日本という国の、東京という街です」
「……聞いたことのない名だな。どうしてこの地に? どうやって来た?」
「……わかりません。気がついたら、この世界にいて……」
先生の視線が、私を静かにとらえている。
そこには疑う色はなく、まるで——私がこの世界の人間ではないことを察しているような、深い光が宿っていた。
「えっと、迷子だったんです!」
張り詰めた空気を破るように、リナが慌てて声を上げた。
「だから、うちで保護したの。危ない子じゃないよ!」
先生はしばし私を見つめたまま動かなかったが、やがて小さく目を細め、静かに頷いた。
「そうか……」
「それより師匠、この薬草です。見て下さい」
リナが籠から銀色の薬草を取り出した。
その瞬間、ゼペット先生の表情が微かに歪んだ。それでも薬草を受け取り、リナの頭を優しく撫でる。
「よくやったな、リナ。本当によく頑張った」
「えへへ、ありがとうございます!」
リナは先生に褒められて、嬉しそうに頬を赤らめている。
薬草を手に取るゼペット先生の指先が、わずかに震えているのががわかって、胸がざわざわとした。
◇
その夜、ゼペット先生の様子が気になって、どうしても眠れなかった。
あの薬草には、何か重大な秘密がある――そんな予感が胸の奥で渦を巻き、息苦しさに変わっていく。
隣からは、リナの安らかな寝息が聞こえていた。
私はそっとベッドを抜け出し、窓辺に立つ。
月明かりに照らされ、ゼペット先生が家から出てくるのが見えた。
手には小さなシャベルと、何かを入れた袋。
森に向かっている。
心臓が早鐘を打つ。
私は慌てて上着を羽織り、音を立てないようにして後を追った。
ゼペット先生は、月明かりを頼りに静かに歩いていく。
その背中は重く沈み込み、足取りは迷いなく森の奥へ――あの薬草を摘んだ場所へ向かっていた。
月光の下で、ゼペット先生は足を止めた。
その視線の先を追った瞬間、胸の奥が凍りつく。
薬草の根元に、羽を折り、光を失った妖精たちが横たわっていた。
かつて夜空を彩った星屑のような存在が、今は散り散りの花びらのように、冷たい地面に落ちている。
私は息をすることさえ忘れ、ただ立ち尽くした。
「ひどい……どうして、こんなことに」
震え声で漏らすと、ゼペット先生が振り返った。
「ついてきたのか」
その顔には、深い悲しみと諦めが浮かんでいた。
「先生、これは……?」
「座りなさい」
ゼペット先生は地面に腰を下ろし、私もその隣に座る。
「君は『彼方の地』の住人だろう。この世界ではそう呼ばれている」
「『彼方の地』かどうかわかりませんが、この世界の住人ではありません。先生は、私のような人にあったことがあるんですか?」
「ないよ。古い書物で読んだことがあるだけだ」
「どうして私がそうだと?」
「『彼方の地』のものは、特別な能力を持つ。普通の薬草ならもっと手前で十分手に入る。なのに、こんな場所まで足を踏み入れて薬草を見つけた。君にその力がなければ説明がつかない」
「…そう、ですか」
ゼペット先生が土に穴を掘り、妖精の亡骸をそっと入れて土をかぶせた。
その上に手のひらを重ね、目を閉じる。その仕草は祈りのようだった。
「妖精たちは太陽の光に耐えられない。完全な夜行性で、昼間は必ず影に身を隠して眠る必要がある」
ゼペット先生の声が、まるで古い昔話を語るように静かに響く。
「この銀色の薬草――『太陽草』と呼ばれている――は特別な植物だ。
日光を強く吸い込み、その根元に濃い影を落とす」
そこで言葉を切り、先生はしばし視線を落とした。
まるで、その先を語るのをためらうように。
「……妖精たちは、その影に身を寄せ、昼のあいだをしのいでいるんだ」
私の心臓が、ドクドクと鳴り始めた。
「薬草を摘むというのは、その影を奪うこと。
影を失った妖精は、陽に焼かれ……静かに命を落とす」
「私が……私が殺したの?」
声が震えて、うまく言葉にならなかった。
「君たちは村人の命を救った。それは紛れもない事実だ。
だが、妖精の命も失われた。それもまた事実だ」
ゼペット先生は一体ずつ、丁寧に妖精を拾い上げ、小さな穴に埋めていった。
その手つきは、まるで家族を弔うようだった。
「何かを救うために、何かを犠牲にする。
生きていれば、時としてそういう選択を求められる。……正解などない」
月明かりの下で、妖精たちが私たちの周りを舞い踊っていた。
光をまといながら、いつもと同じように――まるで全てを受け入れているかのように。
その姿が、かえって胸を締め付けた。
「私は……間違ったの?」
「それを決めるのは君自身だ」
ゼペット先生は最後の妖精を埋めると、静かに立ち上がった。
「帰ろう。夜が更けすぎた」
私は無言でゼペット先生について森を出た。
足は鉛のように重く、歩くたびに罪悪感がしんしんと降り積もっていった。
◇
翌朝。
「リナちゃん、つぐみちゃん!」
村の子どもたちが、弾むように駆け寄ってきた。
「昨日、お父さんが言ってたよ。二人が村を救ってくれたって!」
「本当にありがとう!」
純粋な笑顔で感謝を伝える子どもたち。リナも無邪気に笑って手を振っている。
けれど私には、その笑顔があまりにまぶしくて、目をそらすしかなかった。
この子たちは生きている。妖精たちは死んだ。
何が正しくて、何が間違っているのだろう…。
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