"包囲殲滅"とネット戦記小説
包囲殲滅、創作戦記を読み漁っていれば必ず目にする単語。そうあの包囲殲滅陣だ。
包囲殲滅の代表例として第二回ポエニ戦争でカルタゴの名将ハンニバルが共和制ローマの大軍に対し圧倒的勝利を収めたカンナエの戦いが有名だろう。
他にも秦の将軍白起が趙の大軍を破った長平の戦いが挙げられるが、中華王朝特有の軍事軽視が祟って詳細な戦闘記録が無い。
カンナエの戦いと云えば、少数の兵力で大軍を撃破した。物書きにとってこれ程魅力的な戦術は他に存在しないだろうか(反語)。
だがちょっと考えてほしい。包囲殲滅とは本来、大多数の兵力をもって少数の敵軍を逃さぬよう完全包囲する基本的な戦術ではないのか?
作品名は伏せるが、作中で数百人の兵士たちで万の大軍を包囲殲滅する描写があるのだが、幾ら一撃で数百人を吹き飛ばせる魔法を使ったとしても無理があるのではないか。
少数で大軍を破る戦術は包囲殲滅の他に色々存在する。例えば戦争の天才と呼ばれたナポレオンは限られた戦力で数倍の敵軍を何度も撃破しているのだ。
ナポレオンは特に内線作戦を好んで採用していた。後年、戦力に不自由がなくなった皇帝時代でも
この戦術は現代でも名前や形を変えて存続し続けている。電撃戦や縦深戦術などが挙げられる。戦術について調べるだけでも新たな発見があるかもしれない。
余談だが、古代中国兵法家の泰斗である孫子の兵法書では戦争が起きた場合の戦術について数学的場合分け形式で羅列されている。
しかし、ありのままの孫子の文章は見ることが出来ない。三国時代の人物にして甲論乙駁、毀誉褒貶の激しい曹操が改めて編纂したのを我々現代人は読むしかない。
だが読んでいくうちに曹操は戦争とは何かある程度の見識を持っていたと認めざるを得ないのだ。
私情を挟むが、曹操という人物はどうにも好かないのだ。漢の幼帝を事実上の傀儡化にさせたり、関羽が樊城を攻めた時、狼狽のあまり遷都を提案したりと正直ダサく感じるのは作者だけなのだろうか。
かといって漢の後継を僭称する蜀や江南の地方政権である呉に比べ、魏という国家は中原を掌握したにも関わらず、何かこうパッとしないイメージがついて回る気がしてならない。
以上
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