第19話 アニ研の顧問

 久慈川静香は、都立武蔵原高校の職員室で頭を抱えていた。

 白に細いボーダーの長袖Tシャツに、ベージュ系のテーパードパンツ。このTシャツはちょっと高級そうに見えるが、実は量販店で激安で買えるため汚れても気にならない。ボトムスは、腰回りがゆったりとしているのに裾に向かって細くなるシルエットが綺麗だ。これぞ、安いのに安物に見えない、という教師生活三年目の静香が編み出した彼女のユニフォームである。

「いったい私に、どうしろって言うのよ!?」

 そう言って首を左右に振ると、肩につく程度の明るすぎない茶色のミディアムヘアがサラサラと揺れた。

「先生は私たちアニ研の顧問なんですから、きっとなんとかしてくれますよね!?」

 武蔵原高校アニ研部長の会津姫奈が、すがるような目で静香を見つめる。

 その隣では、部員の諏訪英樹がぶんぶんと大きく首を縦に振っていた。

 その日の放課後、小テストの採点の真っ最中だった静香のデスクに、姫奈と英樹の二人が四人の女子生徒を連れて現われたのだ。

 そして英樹が明るい声で言い放った。

「これでアニ研は廃部になりません! 四人も入部希望者が来てくれたんです!」

 そこまでは良かった。もちろん静香も、アニ研の今後を心配していたからだ。

 実は彼女は、アニメに関しては全くの門外漢だ。教師一年目の時になんとなく担当を振られるままに、顧問に就任してしまったのだ。だから、どうやって部員を増やせばいいのかなど、全く分かるはずもなかった。ただ心配するだけで、姫奈と英樹を見守るしかなかったのである。

「それで、彼女たちが入部してくれる代わりに、アニ研の中に声優部を作ることになったんです!」

 そんな姫奈の言葉が、静香にはよく理解できなかった。

「声優……部?」

 もちろん声優のことは知っている。だが、アニ研の中に別の部を作るってどういうこと? 静香の頭に、いくつものクエスチョンマークが浮かんだ。

 そんな様子を後ろで見ていた凛が、高らかに言う。

「漂流していた私たち四人のドリフターズは、ついに寄る辺となる船に乗り込んだのであーる!」

 すると、結芽がボソリと言った。

「泥舟かもしれない」

「結芽さん、その言い方は少々失礼ですわよ」

 麗華が優雅な口調だが、少したしなめるような視線を結芽に向ける。

「でも、キクラゲもそう言ってる」

 そう言いながら、結芽は胸ポケットのぬいぐるみを「うんうん」とうなづくように動かした。

 その時雫が、突然ハッとして大声を上げた。

「カチカチ山だ!」

 そんな雫に、凛が楽しそうな目を向ける。

「タヌキの泥舟だね!」

 だが、結芽が不思議そうに首をかしげた。

「カチカチってなぁに?」

「えーと……なんだろぅ?」

 困り顔になる雫。

 昔話「カチカチ山」では、悪いタヌキをこらしめるため、背中に背負わせた薪にウサギが火を付ける。その時の火打ち石の音が「カチカチ」なのである。

 それを思い出せずうーんと考え込んでしまった雫に、凛が助け舟を出す。

「決まってるじゃん! ビクトリーだよ! 勝ち勝ちってね!」

 今度は雫が首をかしげた。

「ビッグ……鳥?」

「セサミストリートかよ!」

 凛の突っ込みに、麗華まで首をかしげる。

「ビッグハットは何でしたっけ?」

「それはTBS!」

「ビッグ……鳩?」

「でっけぇ鳩いたら怖いっちゅーの! マジシャンの内ポケットに入らないじゃん!」

 結芽が、ぬいぐるみの頭をなでなでしながら凛に言う。

「キクラゲは入ってる」

「それは胸ポケット!」

 雫がニッコリと笑った。

「私、ぽけっとなんかしてないよ」

「雫はボケッとしてるの!」

 突然結芽が、胸ポケットからぬいぐるみを取り出し、両手で頭上にかかげた。

「キクラゲ、行きまーす」

「それ、何?」

「ロケット」

「ポケットだっちゅーの!」

「そっか」

 と言いながら結芽は、ぬいぐるみを元の場所に丁寧に入れ戻す。

「それで……」

「何?」

「寄る辺って何?」

「そこへ戻るんかーい!」

 雫が、これは知っていると言う表情を凛に向けた。

「道!」

「しるべ!」

 麗華が人差し指を顎に当てて言う。

「笑福亭?」

「鶴瓶!」

 ツッコミの凛が、ハァハァと息切れし始めた。

 そんな雫たちの会話を聞いていた静香が、ぽかんとした表情で姫奈に聞く。

「これ、なにやってるの?」

 えへへと、気まずそうに苦笑する姫奈と英樹。

「この子たち、いつもこんな感じなんです」

 いやいやそれよりも、部活の中に部活を作る?

 そんなことが可能なのだろうか?

 まだ教師三年目の静香には、即座に判断がつかなかった。

 よし、後で先輩の山岸先生に相談してみよう。

「ほら、いつものトークを繰り広げてないで、ちゃんと先生に自己紹介しなさい!」

 姫奈の一喝で、雫たちが一斉に気をつけの姿勢になる。

「1年B組、淡島雫です!」

「同じく1年B組、高千穂凛でぇす!」

 二人が揃って頭を下げた。

「わたくしは1年A組、伊勢麗華です」

 優雅に微笑む麗華。

 そして結芽がボソリと言う。

「1年A組桜田結芽、好きなのは中華クラゲ」

「それは聞いてない!」

 凛のツッコミに、結芽が言う。

「キクラゲもそう言ってる」

「キクラゲが中華クラゲ食うのかーい!」

 また不思議なトークが始まった。

 呆れ顔でそう思った静香の耳に、とんでもない言葉が聞こえた。

「それで、声優部って何をすればいいんでしょう?」

 そう言った雫に、静香だけでなくその場の全員がバッと顔を向ける。

「ええーっ!?」

 結芽だけは、ぼーっとしながらぬいぐるみの頭をコスコスと愛でていた。

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