第10話 バンドの危機とランチデート

「ちょっと困ったことになったねん!」


切羽詰まった様子のタカトモの留守電に折り返しの電話を入れると、なんだかバンドの存続の危機だという。

どういうことだと話を聞くと、どうもドラムのケンジが別のジャズバンドに誘われて、元々やりたかったのはジャズだということもあってこちらのバンドを抜けたいと言ってきたらしい。


まあ僕達のバンド、鴨川ルクセッションはローザ・ルクセンブルグとRCサクセションのカバーバンドだから、ジャズがやりたいというのが本来の望みならば、それは仕方ないだろう。


「仕方ないてお前、どうすんねん!?ホンマお前は変なとこで冷静というか何というか…」


相変わらずタカトモはちょっと暑苦しい。

どうするも何も、できることをできるようにやるしかないじゃないか。


「あ、そや。こないだな、ウッドベース買うたねん」


「へ!?」


「なんやエラい無愛想なおっさんがやってるちっさい中古楽器屋見つけてな、そこでありえへんくらい安かって、衝動買いや」


「ウッドってお前、そんなん弾けるん?」


「教えてくれる先生ももう見つかった」


「ほな、うちもジャズやるか?」


唐突に突拍子もない事を言い出すのはタカトモのいつものことだが、流石に今回は飛躍し過ぎだろう。


「いやいや、始めたばっかりのウッドベース弾きのジャズバンドなんか、みっともないだけやろう。ランニングとかジャズのコード理論とか全然知らんし」


「それもそやな」


「3人でできること考えようや」


「ギターやろ、ウッドベースやろ、ハーモニカと歌…アコースティックやな」


「あ。例えばやけど、ローザとかRCの曲で、アコースティックにしても行ける曲あるやん?」


ふと僕は思いついたことを口にした。


「RCの初期とか、清志郎がギターと歌で、破廉ケンチのギターと小林和生のウッドベースで同じ編成やん。この前やった『僕の好きな先生』とか、『2時間35分』とか『大きな春子ちゃん』とか」


「お!そういえばそうやな!そしたら、ローザでも『ひなたぼっこ』とか『橋の下』とかいけるやんけ。そもそも次のライブでお前の弾き語りで『ひなたぼっこ』やることになってるし。でも、曲数減るなあ」」


「それな、もしタカトモがええんやったらやけど、甲斐バンドでもアコースティックでいける曲結構あるし、それもやりたい」


「甲斐バンドか…聴いたことないからよう分からんけど、今度1回聴かせてや」


「ええよ。明日夕方シフト入ってるから、店のお前のロッカーに入れとくわ。」


「お。俺も明日深夜入ってるしちょうどええな」


「ほなそういうことで!」


タカトモはテンションが高くて突っ走るやつだが、実はとても冷静な部分があって「なるようにしかならん」という考え方の点で僕ととても価値観が似ている。


そんなわけで次の日、僕は話に出た曲プラス僕がやりたい甲斐バンドの曲をダビング編集したカセットを作ってバイトに持って行った。


◇    ◇    ◇    ◇


ところで最近、僕は深夜シフトに入ることがぐっと減った。

そろそろ卒論の準備を始めないといけないので、作業の捗る深夜の時間をできるだけ確保したい、というのは建前で、平日は毎日夕方から舞子が欧風レストランのバイトに行ってしまうから一人で食べることになった夕食がつまらなくて、舞子のバイトと同じ時間帯の夕方シフトに入るようになったのだ。

銭湯は日付が変わった0時半まで空いているので、毎日バイト上がりの時間に一緒に通うようになった。


男子学生の力技で回す深夜シフトと違って、夕方シフトは近所の大学の女の子が中心で、結果としてサキチと同じシフトになることも多くなった。


「お詫びに今度デートしてくれたら許してあげます!」


祇園祭の宵山の夜、大渋滞で遅刻して結果としてすっぽかす形になってしまったお詫びのサキチとのデートの予定は、この日、ごくあっさりと実現した。

同じシフトになったサキチが客の切れ目を見計らって僕の横にやってきて


「明日のお昼、どっかオシャレな店にランチ連れてってくださいよー」


と囁くように言う。

明日なら、お昼休み前後のコマは空いているからとのことで、僕も時間に余裕があるのでOKした。



──翌日。


下手にコソコソ会って誰かに見られて妙な噂になるのも嫌だったので、待ち合わせは11時にバイト先。

いつものアイスモカジャバがテーブルに届いたタイミングで、サキチがやってきた。


細い肩紐とオフショルダーで肩がすっきりと見える淡いベージュのブラウスに、デニムのショートパンツという軽やかな装い。

同じデニムの短パンでも、元気な小学生みたいな舞子とはちょっと違うニュアンスに見える。


「ほな、行こか」


僕はアイスモカジャバを飲み干し、グラスをテーブルに戻すと立ち上がった。


「えー、リアクション薄い!」


サキチはわざと口を尖らせ、すぐに笑って追いかけてくる。


「せめて『かわいい』くらい言ってくれてもいいのに!」


「自分でそう自覚してるんやったら充分やろ」


そう返すと、彼女は「ふーん」と肩をすくめて小さく笑い、隣に並んだ。


「デートですか?」


茶化そうとするバイトの後輩の新田君に


「そうそう。今からラブホ」


と笑って軽く返して駐車場の車に向かう。


「どこ連れてってくれるんですかー?」


助手席から上目遣いでサキチが尋ねる。

実はちょっと前に自転車で通りがかって気になったレストランが北白川にあって、店前に出ていたメニュー表のランチならちょっと奮発すれば食べられそうだな、なんて思っていたので、サキチの誘いは渡りに船だった。


「この前の祇園祭のお詫びに、言うてたバイト先の子にランチごちそうするんやけど、舞子も行こうや。北白川のええ感じのレストラン」


朝食のオープンホットサンドを食べながら舞子にそう訊いたのだが、


「ごめーん、今日はシナコさんと錦市場におうどん食べに行く約束してるんだ。2人で行ってきて。それで美味しかったらまた今度連れてってー」


とのことだった。


バイト先から今出川通りを銀閣寺方面へ。

鴨川デルタを左手に見ながら通り過ぎ、疎水が見えてきたら白川通に左折。

芸大の階段からキタバチ、王将、テンイチと見慣れた風景を通り過ぎて北大路からもうちょっと上っていくと、右手にお目当ての店が現れる。

コロッセオを思わせる特徴的なカーブの煉瓦造りの外壁。

クロームっぽい鈍色の大きな文字で「OLD NEW」と店名が掲げられていた。

駐車場に車を停め、エントランス横に立てかけられたイーゼルのメニューを眺める。


────────────

『本日のランチ』


・トマトの冷製スープ

・スモークサーモンのサラダ

・チキンソテー 粒マスタードソース

  or 白身魚のポワレ バジルソース

・コーヒー or 紅茶

────────────



「わーオシャレー!中田さん良く来るんですかー?」


「いや、僕も初めて。ちょっと前に前通って気になってたんやけどな」


店内に入ると、床は流行りの白黒の市松模様。

たっぷりと余裕を取った空間には、アール・デコを現代的にデザインし直したようなカーブを描く、華奢な脚のテーブルと椅子が配置されている。

白いシャツに細身の黒いパンツ、腰から下の黒いエプロンを巻いた長身のスリムな女性が席に案内してくれた。


「本日のランチをお願いします。メインは、僕はチキンで。飲み物はアイスコーヒーできますか?──サキチは?」


「じゃあ私は魚で、ホットコーヒーで」


「かしこまりました。少々お待ちください。」


店内は空調が行き届いていて、大きな窓から夏の陽光が燦々と差し込んでいるにも関わらず、穏やかな涼しさを保っていた。

夜になればピアニストの演奏でも入るのだろうか、壁際にアップライトピアノが1台。

天井のスピーカーからは、控えめな音量でパット・メセニーのギターが流れていた。


「おまたせしました」


朱色の冷製トマトスープ。表面に浮いたバジルの葉が、夏らしい彩りを添えている。


「わっ、冷たーい! 夏にぴったりですね」


サキチはスプーンを口に運ぶなり肩をすくめ、すぐに嬉しそうに笑った。


「トマトの青臭さが全然ない。めっちゃおいしい!」


僕はワイングラスに注がれた水をひと口飲みながら、軽くうなずくだけにとどめた。

その賑やかな感想に合わせて笑うほど、まだ気楽な関係ではない。


続いてサラダ。

スモークサーモンの穏やかな燻香をシーザー風のチーズ風味のドレッシングが包み、ピンクペッパーの刺激が華やぎを加える。

ベビーリーフの苦みがサーモンの甘みと絡み合ってハーモニーを奏でる。


「チキンソテーと白身魚のポワレです」


メインのチキンは、皮は香ばしく焼け、ナイフを入れると肉汁がじゅわっと溢れる。口に運べば、歯ごたえがありながら柔らかい──そんな矛盾を提示してきた。。

粒マスタードソースの香りと酸味が華やかに追いかけてくる。


サキチも、フィッシュナイフを器用に使いながら美味しそうに食べている。


「魚とバジルって合うんですねー。皮もパリッとして美味しいですー」


「なんかエラい詳しいな。食器の使い方も慣れてるし」


「あ、小さい頃からお父さんのお店でこういうの食べてたから」


「へー?お父さんレストランのシェフとかなん?」


「いえ、お父さんのやってる会社の中にレストラン部門もあって」


え?

会社?

レストラン部門"も"あって?

そんなええトコの子なのか?


そう思うと、所作のひとつひとつも洗練されて見えてくるから不思議だ。


やがてアイスコーヒーとホットコーヒーが運ばれてきて余韻の時間になる。

僕はタバコに火を点け、窓からの夏の光が天井のファンでかき回されるのを見るともなく見上げた。

スピーカーのパット・メセニーが、リー・リトナーに変わっていた。


お勘定を払って店の外に出ると、白川通は京都特有の湿気たっぷりの熱気で蒸されていた。


「あー美味しかった。ごちそうさまです!中田さん、お店を選ぶセンス最高ですねー」


サキチが僕の顔を下から覗き込みながらそう言った。


「次はどこ連れてってもらおうかなー?」


次?


曖昧に笑って車に乗り込みエンジンをかける。

とりあえず『次』は、舞子をこの店に連れてきてやろう。

サキチは…知らん。


比叡山の向こうに、大きな入道雲がむくむくと育っていた。

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