選択制モノローグ

詩川

菜の花の黄に染まりたい

 菜の花の黄に染まりたい。


 それが恋心だと気づくのに時間はかからなかった。

 しかし気づく頃には、花は散ってしまっていた。


 花匂えども、それを香りだと認識しなければ嗅覚をつつく単なる刺激物にすぎない。

 恋も同じように、それを恋だと認識しなければ心を縛る単なるむぐらでしかない。


 寸分の無知の罪故に、

 永劫の不治の罰を受ける。


 私は空を滑る風として生を受けた。

 そこに確かに存在するが、わざわざ認識しようとも思わない風。

 風であるが故に、私は実体を持たない。

 実体を持たないが故に、何色にも染まることは叶わない。


 太陽を十三回見送るころ、私は水辺に咲いた菜の花の黄に惹かれていた。

 暖かな日差しのような黄が視界に映るたび、私の心は信号機の真ん中を射抜く。

 それが恋だとは知る由もない。

 だが、注意を振り切る危険な心だという認識はあった。


 十四回見送った。

 水のせせらぎは遥か遠い。

 菜の花が香るたび私の心は締め付けられていく。

 無造作に生い茂るつたが如く、千切れども千切れどもその勢いは増し、心の髄へと絡みついて来る。

 逃れられない繁茂の苦しみ。

 草葉の合間から僅かに陽の光がこぼれる程の苦しみ。


 これが恋か。


 ある時、私は遥か水面に映る菜の花を見ていた。

 鯉が袖を振れば波紋と歪む。

 凪げば虚像は再びそこに直る。


 見ているだけでよかった。

 それだけで満たされた。


 明くる日、水面に黄の花びらが揺蕩っていた。

 鯉が息を継げばその身は黄に染まる。


 菜の花は散っていた。


 幾星霜の時を経たが、相も変わらず心のパレットに黄は無い。

 黄はおろか彩踊る色も無し。


 灰の水辺にて終を待つ。


 かつての黄を望みながら。


 私は鯉に生まれたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る