0906-3 ダグラス

 ストームスポットの南端の辺りで、俺はすっかり途方に暮れていた。

「参ったな……」

 夜明けの岬サンライズを出発しておよそ十五分。走り始めてすぐに例の異音が大きめに鳴り始めたことには気が付いていた。あ、これはやばそうだ、と思って脇に寄った直後。案の定、ガツンッ、と前につんのめって止まる羽目になった。

 それきり、スクーターは押しても引いても動こうとしない。いったい何がどうなっているんだ? 事故にならなかっただけマシだけど、まったくどうしたものか。ここに放置して歩いて帰る? それはちょっと気が引ける。不法投棄になりそうだし、トムさんにも悪い。じゃあ、誰かに助けを求める? いや誰に? 幸い新聞社のアプリのおかげで、新聞社の人であれば誰にでも通話を繋ぐことができるけれど、誰に何て言って助けてもらえばいいのか。

(トムさんにかけるのは有りか……)

 うーん、と頭を抱えてうなる。

「あのー」

「はいっ! はい、何でしょう」

 邪魔だったか? と慌てて振り返った俺は、そこに着ぐるみの大男がいるのを見て思わず半歩後退った。知っている人でなかったら逃げ出していたに違いない。

「ダグラスさん」

 彼はスクーターに乗ったままちょいと頭を動かして、「ちわーっす」と軽い挨拶をした。垂れた犬耳がぴろりと揺れる。先日と変わらず、可愛らしい服だ。異様に毛並みがよいところに謎のこだわりを感じる。

「なんか、お困りのように見えたんで……どうしたんすか」

「実は」

 俺は手短に状況を伝えた。

 するとダグラスさんは顔をぎゅっと歪めた。

「それはトムが悪い」

「え」

「見せてもらってもいいです?」

「はい、いいですけど」

 ダグラスさんはすぐ後ろにスクーターを止めて、ひょいと俺のスクーターのところにかがみ込んだ。慣れた手付きで機械部を開けて、何やら細々としたところを見ている。俺には何がどうなっているのかまったくわからない。

「うーん……あー、これ、すぐ修理ってのは無理っすね。とりあえずこれで――」と、タイヤの辺りにごそごそと触れて、立ち上がり、ハンドルを握って押す。さっきまで微動だにしなかったタイヤが、素直に前へと進み出した。「――よし、押せば動くようになった。これで押していって、ちゃんとしたところに持っていきましょう」

「すごい! すごいっすねダグラスさん。ありがとうございます!」

 俺がそう言うと、ダグラスさんは微妙な顔になった。太くてたくましい眉毛の両端が情けなく下がって、あんまり嬉しくなさそうな、納得いっていないような表情。口元もわずかに尖っている。

「いや、別に、俺はそんな大したことしてないっす。結局、直せていないんで」

「でも、俺だけじゃ動かすこともできなかったんすよ。本当に困ってたんで。ありがとうございます。助かりました」

 深々と頭を下げる。

 少し間を置いて、ダグラスさんが遠慮がちに言った。

「……よければ、ぼったくりじゃない修理屋まで案内しますけど……」

 俺は素早く頭を上げた。

「いいんすか? ぜひお願いします!」

 ダグラスさんは伏し目がちなまま、まんざらでもなさそうな弱々しい笑みを目元ににじませた。

 ダグラスさんの案内で、人気の少ない路地を並んで歩いていく。位置だけ教えてもらって自力で歩いていこうかな、と少しだけ考えてやめた。向こうがそうしないってことは時間があるってことだろうし、俺としては一人で行くよりも安心だし、それにちょっとダグラスさんと話してみたかったのだ。

 彼は村のおじいとどこか似た空気をまとっていた。老成している、って言ったら褒め言葉になるだろうか? ゆったりとしていて落ち着く感じ。先日見た戦闘中の感じとは真逆だ。あのときはもっと荒々しくて、獣のようだった。今は春の日向でのんびりとお茶をしているよう。こっちまで自然と力が抜けていく。そのせいで、話してみたい、と思ったのに、ほとんど口をきくことはなかった。それでも気まずくならないのだからすごい。

 久々にダグラスさんが口を開けて、

「そろそろ嵐の切れ目ヘイヴンっすね」

 と言った。

 裏道を通ってきたからか、思っていたより早く着いたような気がする。足下に散らばっていた瓦礫やレンガもだいぶ少なくなって、ずいぶんと歩きやすくなっていた。

「修理屋さんは近いんですか?」

「んー、まぁもうちょい歩きますね」

 すみません、とダグラスさんは謝ったのだが、俺の耳にはほとんど届いていなかった。なぜなら、

「何あの着ぐるみ。きもすぎ」

 悪意が先に届いていたからだ。

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