03.09-3 桃色の懸念
彼女はふぅと細いため息をついた。丸いおでこの辺りがかげる。うつむきがちでいるから、形の良い額と、眼鏡の縁と、品のいい鼻先しか見えない。手はずっとカウンターの向こう側だ。
「私は、ドロシーと言います。母は、ナンシー。それで、その……父が、病気で、三年前に亡くなって……今は、父が遺してくれた財産で暮らしているんですが」
チェスターは「もういいわかった」と言いたくなったのをぐっとこらえた。未亡人の寂しさにつけこむ詐欺。なんて王道のお話だろう。
「二ヶ月か、三か月前くらい、ですね。アッシュさんというかたが、家に来るようになりまして。とてもいい人でした。優しくて、紳士的で、最初は私もまったく疑っていなかったんです。母も、久しぶりに楽しそうにしていて、昔みたいにパーティーとかするようになって、すごく、いいなぁって、思ってたんですけど」
「どこから、おかしいって?」
ドロシーの瞳がふらりと揺れた。
「……一ヶ月前、ですね。貯金通帳が置き去りになってて、ふと覗いたら、すごい額が引き出されていて。それ、全部がアッシュさんが来てからのことだったんです。それで、私、おかしいんじゃないかって思って」
「お母さんに聞いてみた?」
「はい。そしたら、アッシュさんの夢を応援しているんだ、って、そう言うばかりで」
チェスターはすんでのところでため息をのみこんだ。
(めっちゃよくある手口じゃん。テンプレ過ぎて笑える。まだ引っ掛かるヤツいたんだ)
オレがかつて散々やって、大々的に報道されたのに。チェスターは鬱屈した気分を紛らわすように、乱れてもいない胸元のフリルを整えた。
「母は、その、まだその人のことを信じていて……私も、確証がなくて、でも絶対に騙されていると思うんです。けど、母は信じているから、警察には言えなくて……」
「他に関係者は?」
「他、ですか」
「投資関連のアドバイザーとか、とにかく、母親に最近できた友達。誰かいない?」
「ええと……」ドロシーは小首を傾げた。太めにぼかした眉が困ったように八の字を描き、「……すみません、そこまでは、把握していません」
「オーケー、大丈夫。それで、男の素性がはっきりすればいいんだよね?」
「はい。あの、そういうことができるのであれば」
「やってみるよ。うまくいくかどうかは未知数だけど」
チェスターが請け負うと、ドロシーはふわりと顔をほころばせた。それから勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! あの、どうぞ、よろしくお願いします!」
「お礼は全部終わってからで。またいろいろ聞かせてもらうかもしれないから、こちらこそよろしく」
「はい、もちろんです。あの、私にできることがあれば、いくらでも協力しますので」
「調査してわかったことはどうやって報告したらいい?」
「あ、そうですね、ええと……」
ドロシーは少し考えて、それから何てことなさそうに言った。
「では、私の家に来ていただけますか?」
「はい?」
「定期報告、というような形で……毎週、ええと、そうですね、ちょうど一週間後の、水曜日とかでどうでしょう。家は八九七一番のAサイドです。よろしくお願いします」
予想以上に金持ちの家じゃん、と心中に吐き捨てることで諸々の動揺を押し流した。ついでに、『警戒心の薄い女だな、コイツの母親だとしたらロマンス詐欺にも引っ掛かるだろ。オレだったら母子そろって――』とか言い出した過去の自分のことも押し流す。いいところで育ったから純朴で素直で、ちょっと世間知らずな可愛らしい女性なのだと言い聞かせる。そうすると今度は下心が顔を覗かせてくるから、それはそれで問題なのだが。
「オーケー。じゃあそういうことで」
「では――」
「ところでさ」
帰りかけたところに差し込む。
「ここのことは誰から聞いたの?」
「はい?」
ぱちぱちと瞬きをして、ドロシーは小首を傾げた。しかしチェスターは先を促さず、カウンターに頬杖をつき、じっと答えを待っている。
「ええと……噂で……」
「うん。噂で?」
「……カフェ・スヌーズに行けば、どんな困りごとでも解決してもらえる、って、聞きまして……」
チェスターはにっと笑った。
「そうなんだ。いやぁ、ありがたいねぇ。そういう噂が流れるのマジで嬉しいんだよな。ぜひドロシーも、今回の件がうまくいったら、お友達に伝えておいてよ」
「はい、もちろんです」
ドロシーはまたふんわりとした笑顔を浮かべて、今度こそ背中を向けた。ちょうどよい肉付きの背中と、左右に揺れるジーンズの尻を見送る。
彼女がいなくなってしまうと、とっ、と三毛猫のヒナタがカウンターに乗って、頬杖をついたままのチェスターをじっと見つめた。
「……ぁんだよ」
「なぁう」
「下心を持つな、って? それはそう。わかってるよ」
わかってるならよろしい、と言わんばかりに尻尾を動かして、ヒナタは飛び降りていった。入れ替わりで白猫のベニバナが手元へすり寄ってきて、まるで慰めるかのように、なでてもいいんだよ? とアピールしてくる。ベニバナは白くて長い毛と、美しいピンク色の鼻が特徴的な子だ。
チェスターはその柔らかな毛に手を埋めながら、
「……オレ、もしかして、お前らに頼りないって思われてる?」
ベニバナからの返答はなかった。なでられるのに飽きたようで、すっと立ち上がりどこかへ行ってしまう。
チェスターは小さくため息をついて、なみなみと残されたティーカップを片付けた。
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