名も無き掏摸の話

 今どきスリなんてハヤらねぇ。って人は言う。

「実際そうじゃね?」

「いいや、ハヤるかどうかってのはささいな問題だ。生きていくのに必要なのは金だが、金だけじゃ生きる意味がねぇ。人生にはロマンがねぇと」

「酔いすぎじゃねオッサン。きっもぉ」

「言い過ぎだろ!」

 きゃらきゃらとメタルチャームのように笑ったコイツは、何の因果か仲間のような感じになってしまった小娘だ。チビのガキ。いやクソチビのクソガキ。十二とか、十三とか? それぐらいの年格好で、半年ほど前に突然オレの住処に入り込んでいたのだ。以来、何を言っても出ていこうとしないから、そのまま放置している。まぁ、髪は黒いのに目は金色――すなわち“色違い”だから、同類の近くにいたほうが楽なのかもしれないが。

 しかしなんでオレ、コイツの面倒見てんだ? って時々心底不思議に思う。危ないときはしれっとどっかに消えてるし、飯食うときだけちゃっかり横にいるし、意味がわからない。

 黒猫みたいな目をきゅうと細めて、チビはにまにまと言う。

「ほらほらぁ、ちゃきちゃき働いてきなよオッサン。今日のメシ食いっぱぐれるよ」

「お前さえいなけりゃもっと楽なんだけどな!」

「ふぁいとー」

 まったく、ご機嫌かつ無責任な声援だ。オレは住処を出た。

 アビスとカラウトの境目からメインの駅前まではそこそこの距離がある。歩いて二時間ともうちょいくらいか。着く頃には昼前、最も賑わう稼ぎ時だ。

 といっても、今どきはどいつもこいつもスマホ決済ばっかりで、財布なんざそもそも持ち歩いていねぇし、持っていたとしてもはした金。本当、世知辛い世の中になったもんだぜ。内乱前とはまるで違う。どうしてこんなになっちまったんだか。ちぇっ。

 どことなくやるせない気持ちになりながら、駅前の喧噪の中をぶらぶら徘徊する。獲物の選別だ。もちろん、間違ってもオレが獲物にされないように気を配りながらな。手を出しちゃいけねぇやつは見りゃわかる。あそこの黒髪・白髪コンビは名の知れたギャングだし、赤髪はよくサボってる警官だ。っといけねぇ、あの着ぐるみはスヌーズのヤツ。カフェ・スヌーズには近付かないのが吉だ。もちろん名のあるやつネームドばっかじゃねぇけど、危険な雰囲気ってのはだいたいわかるもんさ。目の焦点が合ってないヤツとか、歩き方が妙に規則正しいヤツとか、手を出したらマズいって馬鹿でもわかる。というか、わからねぇヤツはこの町で生きていけねぇよ。

 なんだか今日はちょいとネームドが多すぎるな。少しだけ河岸を変えておこう。駅から離れて“猿回し”のいるエリアへ。四つ辻の角でいつもどおり猿回しの芸を披露しているソイツにちょっと手を振ってやる。ソイツは笑って応えた。この辺はアイツの縄張りだから、この場で儲けたらチップを払う必要があるのだ。それを怠ると猿をけしかけられて、消えない傷を負うことになる。それで町を去ったヤツが何人いるか知れねぇ。

 そこで二時間ほどねばって、四つの財布を手に入れた。古風な出で立ちの爺さん、見るからに田舎者の青年、面白半分で観光に来たお嬢さん、気難しそうだが警戒心の足りないババア。今日はかなりいい収穫だな。合計、三万とんで七千三百五円。このあと財布を売れば四万に届くだろう。魔力付きの財布が交ざってたから、もうちょい高値になるかもしれない。十二分。ここらでよしとしよう。

 いいときはいいうちに引き上げる。それが長生きの秘訣だ。

 猿回しは昼の公演を終えて、路地裏で休憩に入っていた。奇妙な灰色の帽子を傍らに置いて、木箱の上に座っている。足下には彼の相棒の猿たちが思い思いの格好で休んでいる。

「よぉ、稼いでるか」

「ぼちぼちってところさね」

 猿回しは猿たちに餌をやりながら穏やかに微笑んだ。

「いつもより人が多かった。大時化おおしけ明けだからかな。何だか妙な気配もするけど、稼ぎとしては悪くないよ」

 ざらざらした声でまったりとしゃべられると、なんとなく眠気を呼び起こされる気がする。

「オレのほうもいい稼ぎだったからな。端数全部やるよ」

「端数って、本当に端数じゃないだろうね」

「お前相手にそんなことするかよ」

 オレは七千三百五円を帽子に突っ込んだ。猿回しがわずかに目を丸くする。

「おや、本当に良かったんだね」

「そう言ったろ」

「ありがたい」

 他人のほくほく顔ってこっちまで嬉しくなるよな。じゃあ、とオレは猿回しに別れを告げた。

 そう遠くないところに贔屓のバイヤーが居を構えている。ワールズエンドの中心部でありながら最奥部。目抜き通りに立ち並ぶ華々しいビル群の影に沈むようにして存在する“初見さんお断り”の商店街。表通りのようなわざとらしいキャッチや売人、しみったれたカツアゲの姿は一切無く、行き交う人間は誰も彼もうつむきがちで、絶対に目を合わせようとしない。仮に敵同士だとしても無視し合うのがここの掟なのだ。

 オレは、白で『8岩岩』と書かれた紺地ののれんをくぐった。薄暗い店内はほこりっぽく、がらんとしていて、誰の姿もない。商品棚には壺やら茶碗やら根付やら印籠やら何やらかんやら、よくわからない骨董品がずらりと並んでいる。どれもこれもほこりをかぶっているのに、時々ぽっかりとほこりの積もっていないところがあるから、売れることは売れるらしい。魔力を帯びた物もちょくちょくあるから、魔法使いコーラーが買っていったりするのだろう。

 カウンター上のベルを鳴らす。しばらくして、ずるずると裾を引きずる音を立てながら、ひどく眠たそうな女が現れた。起き抜けなのか、赤茶けた長髪はなんとなくボサボサしている。彼女はいつもこの格好――十二単っていうんだったか? ――をしているのだが、見るたび移動が大変そうだな、と思う。髪の毛も異様に長いし、重たくないのか? まぁ、他人のやってることに口出しはしないが。

 女はカウンターの向こう側に座り、大あくびをして潤んだ目をこすってからオレを見た。

「……あら、あんさんでしたか……買い取りですね?」

「ああ」

「はいはい……で、お品は?」

命令コール、整列せよ、扉を開けよ、今日の戦利品を出せ」

 カウンターの上で空間が開き、どささ、と四つの財布が落ちてきた。茶色い二つ折りの財布、黄色い薄手の三つ折り財布、赤色で分厚い二つ折りの財布、深緑色の長財布。

 女は眼鏡をかけると、一つ一つ財布を取り上げて品定めを始めた。ふむ、ううん、なるほど、と呟きながら、財布を次々に見ていって、

「む」

 不意に固まった。深緑色の長財布を手に持っている。魔力付きのヤツだ。

「どうした?」

「……この財布は……どちらで?」

「田舎者の若い兄ちゃんが持ってたヤツだけど」

「……そうですか」

 女の細い目がカッと開かれ、眼鏡の向こうで鋭い光を放っている。薄暗い店内にありながら、その褐色の瞳は猛禽類のように見えた。そばかすの散った頬の辺りがわずかに赤くなっている。興奮しているのだろうか。

「何かヤバいヤツだったか?」

「……そうですね……はっきり言って、呪いの品です」

「買い取り不可か」

「いえ……逆です……いかほど付けたものか、と……」

「そっ――」

 そんなに? と言いきることすらできなかった。魔力が付いてることはわかっていたが、そこまでとは思わなかった。初めてだ、この女が買い取り金額の提示に困るなんて。いつもならさっさと見て、無機質に「三千円です」とだけ言って終わらせるのに。適当に見てたわけじゃなかったのか。

「むぅ……そうですね……」

「時間が掛かるなら今度でもいいぜ?」

「いえ、それはプライドに関わりますので……今、ここで……」

 プライド、か。それを持ち出されたら何も言えない。長くなっても仕方ないか。

 諦めて待つ体勢に入ったときだった。

 ガタガタ、と何かが震える音が聞こえてきた。何だ?

 音のほうに近付くと、そこには根付があった。牛の形の根付。それが小刻みに震えて、音を立てていたのだ。よく見るとソイツ、魔力を放っている。見ているうちに魔力はどんどん濃くなっていく。マズいんじゃないか?

「おい、これ――」

 女に向かって言いかけた瞬間、根付が棚を蹴った。咄嗟にのけぞったオレの耳元をひゅっとかすめて、

「きゃあ!」

 女の悲鳴。

「大丈夫か!」

「……はい……ああ、ですが……」

 女は落胆したようにのれんのほうを見ていた。

 オレにも一連のことは見えていた。子犬サイズになった牛が財布をくわえ、外に走り出していったのだ。

 女はカウンターに額をつけるほど深々と頭を下げた。

「……とんでもない逸品が……申し訳ございません、私の落ち度です……」

「いや、別にいいさ。気にするなよ」

「ですが……」

「そっちとしては損したのかもしれないけどな。オレは別に、そんなでかすぎる金、もらっても困るし」

 それは本音だった。大きすぎる金はトラブルを生む。秘密にしてたってなぜか必ず漏れるもんだしな。

 女は納得いっていない様子だったが、残りの三つの財布をいつもの倍の額で引き取ってもらうことで決着した。オレとしてはこれぐらいで充分すぎる。何ならこれでも恐ろしい。

「アイツにくれて、適当に使ってもらうか」

 想定外のあぶく銭なんてとっとと使い切るに限る。オレはチビガキが煽ってくる様子を想像して、くそっムカつくな、素直に喜べよ、と勝手にキレながら家路についた。

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