0901-1 局長という男
局長は短い口髭を撫でながらさらりと言った。
「手首ごといかれなくって良かったじゃねぇの、なぁ」
「……はい?」
「昔あったぜ、そういう事件。財布持ってたら手首ごと切り取られたって」
ぞっとした俺は反射的に自分の右手首を握りしめていた。
「本当ですか?」
「おう、あるある」
「財布のためだけに、手首まで?」
「その手首もうまいこと処理すればそれなりの値で売れるんだよ。何だかって魔道具になるとかならないとか、それに単純な愛好家もいるし」
手首愛好家。なんだそれは。部屋一面にずらりと並んだ青白い他人の手首を想像して、きっと俺の顔は蒼白だったのだろう、局長はけたけたと笑って席を立った。
「よし、メシ行こうぜ、メシ。奢るよ一文無しくん」
「いいんですか? ありがとうございます」
局長――リュウ・ロウ・バルバトロスは、ダークグレーの中折れ帽をひょいとかぶってさっさと部屋を出た。鍵は閉めなくていいらしい。俺が入るときも受付嬢に『ノックはしないで、普通に開けてください』と言われたから、何かしら理由があるのだろう。どんな理由か、想像はまったくつかないが。
「アレルギーとかある? 嫌いなもんとか」
「いえ、だいたい何でも食べられます」
「そいつはいいね」
エレベーターはがしゃんがしゃんと恐ろしい音を立てながら下りていく。そこはかとなく怖くて、意味もなく局長の帽子のてっぺんを見つめる。
「でも気を付けなよ。ここじゃあ、何でも食えるって言ったらマジで何でも食わされるからな」
「虫なら食えますけど」
「マジ? じゃあ九割方安全だな」
「残りの一割は何なんですか?」
「そりゃ人肉よ」
「……それは無理ですね……」
「おお良かったー、人食う風習のある村出身だったらどうしようかと。いやまぁ別にそれでもいいんだけどね、面白いし」
チーンとベルが鳴って、ついたのは三階だ。三階以下へ行くには階段しかない。これもなんだか変な構造。どういう意図があるんだろうか。
三階のオフィスは妙にがらんとしていた。紙とインクと埃、こもった空気のにおい。換気とかはしない、というかできないのだろう。どのデスクも紙の山だ。風を入れたら大惨事となるに違いない。エレベーター脇のプレートを見ると、『全国新聞部』とある。
「『タイムセラー』は朝刊だけだから。今日の分が上がったら一旦休みで、そうさな」と、くすんだ金色の懐中時計をぱかり。かっこいいな。「あと二時間もしたら、明日発行分の編集でてんやわんやし始めるよ。ちなみに、四階が通信室。すごいんだぜ、あいつらの往復回数。自分にゃ無理」
けたけたと局長は大口を開けて笑った。どことなく胡散臭かった第一印象がちょっとずつ薄れていく。
二階に向かって階段を下りる。局長の足音はコツコツコツと硬質なのに対し、俺のはペタペタとどんくさい。俺だってちゃんと革靴なんだけどな。歩くスピードも違う。俺の方が歩幅が大きいからどうにかなってるけど(それでも普段よりちょっとだけ早足)、これ、もし身長が同じくらいだったらとんでもなく引き離されてたんじゃないだろうか。
「うちはね、『タイムセラー』って全国紙と、『ビアンカ・タイム』って地方紙を朝夕、あとヒビコレって週刊紙を出してんの。君にはとりあえずヒビコレの部門に入ってもらう予定だから。あー、ヒビコレから誰か一人くらい掴まえてぇなー」
「ヒビコレ、ですか」
「そう、『
俺は一瞬だけ詰まった息を慌ててのみ込んで、
「はい、是非」
「いいねー、とりあえず一週間くらい町中ぶらぶらしてさ、適当に何か書いてみてよ。んで、面白かったら載せよう」
「はい!」
降ってわいた話に、俺は舞い上がるような気分になった。まさかいきなり載せてもらえるチャンスが来るなんて!
「若いなぁ」
「俺ですか?」
「十八歳だっけ」
「はい、そうです」
「俺のほぼ半分じゃん。笑える」
ぎゃっはっ、と爆発するように甲高く笑うのが局長の癖らしい。ずっと“けたけたと”と形容してきたのは、それ以外に適切な形容が思いつかなかったからだ。
二階のオフィスは騒然かつ殺伐としていた。プレートには『地方新聞部』の文字。
「ルーキーとメシ行くけど、ついてくるヤツー!」
局長が声を張り上げた。と、即座にデスクの陰から「行きてぇーでもムリッスー!」「夕刊組に言うのやめてくださーい!」「局長ついでに差し入れ頼みます!」「ドーナツがいいドーナツが!」云々との返答。陰、と称したのは、三階と同様にどのデスクにも書類が山と積まれていて、人の姿がほとんど見えなかったせいである。
「うーい、ご苦労ー」
局長は誰にともなく手を振って、次の階段に足を向けた。そういえばここ、階段の位置もおかしい。一階上がり下がりするごとにオフィスを横切って、反対側まで歩かなければいけないのだ。RPGのダンジョンのようなことになっている。
ふふ、マジ変なの。おもしろ。
不意に局長がちらりと俺を見て、
「向いてるよ、うん」
「はい?」
「うまいこと町に馴染んでくれよ」
馴染め……るの、だろうか。自信がなかった俺は曖昧に笑って「頑張ります」と頷いた。
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