第2章 戦闘経験ゼロの軟弱者な騎士

第5話 屈強な騎士かと信じて疑わなかった男がとんだ軟弱だった

 私は、パエデロス領側の集落に唯一設けられた教会を訪れていた。

 教会といってもそれほど歴史のある場所ではなく、木造の小さな小屋だ。

 玄関横の壁に飾ってあるシンボルを見落としたら掘っ立て小屋と間違えるだろう。


 この近辺に住む子供たちの学び舎として機能している程度で、信心深い訪問者は、ほとんど訪れることはない。


 そんな場所に、私は簡素な胴だけの甲冑を纏い、呼吸を整える。


「ぁー、失礼。お邪魔させていただく」


 扉をノックしてすぐ、向こうから透き通るような女性の声で返事がかえってきた。


「はい、どうぞ。扉は開いておりますよ」


 私はそっと扉を押し中へと入る。決してオンボロではないが、軋む床を踏みつつ、奥にいるシスターと顔を合わせた。

 それと同時に、数人ばかしの子供たちの視線がこちらに集まってくる。


「ぁー、騎士の姉ちゃん!」

「騎士さまぁ」

「リナ姉ぇ! 遊んで遊んでぇ!」


 勉強も終えて遊んでいたのだろう。部屋の中央の女神像の前に座り込んでいたが、一斉に立ち上がってワッと私のところへ駆けてくる。


「わぁ、こらこら、遊びに来たんじゃない。シスター様に話があるんだ」

「あら、これはこれはリナリー様。アミトライン領からおかえりになったのですね。ほら、皆さん、騎士様のお仕事の邪魔をしてはいけませんよ」


 そんなシスターの一声で子供たちはつまらなそうにはけていく。

 聞き分けのいい子たちばかりだ。シスターの教育と躾けの賜物だろう。


 相変わらず、教会なんだか学校なんだか曖昧なところだ。


 あえて甲冑を着込んできたのも、仕事だと分かりやすくするためだ。

 私服だと子供たちもすぐに遊びたがるからな。


「帰還のご挨拶に来た、という感じではないですね。いかがなさいましたか?」

「ああ、帰ってきて早々、父から依頼があってね――」


 なんで私がこの教会を訪れたのか。

 単純に、父から話を受けてきたからだ。


 父が言うところによれば、最近パエデロス領に支援物資を配って回る奇特な人間がやたらと出入りしているのだという。


 確かにパエデロス領は貧困な地域も多く、飢饉に苦しむ声も絶えない。

 王都から直々に治安維持を目的とした自警団を派遣する動きもある。


 それはそれとして、支援と称して施しを与えてくれるというのは不審すぎる。

 父も最近そんな動きを知ったらしく、その調査を私に依頼したというわけだ。


 で、教会というのは支援を送り付けるにはおあつらえ向きな場所である。

 シスターも何か知っていればいいのだが……。


「――そうですね。この教会もご覧の通り何分小さいものですから施しされることは珍しいことではありません。ただ……」

「心当たりはあるのか?」

「ええ、まあ。最近になって大量の食糧を持ってくる殿方がおりまして」


 いきなり当たりを引いてしまったか。私も運がいい。


「そいつはどんな奴です? シスター様。怪しい取引とか持ち掛けられてなどは」

「いえ、とてもお優しい方です。貴族の方だとは思うのですが、身分を隠しており、詳しいことは教えてくださらないのです」


 これだけではさすがに分からんな。正体不明の親切男だ。

 パエデロス領のあちこちの集落を周っているという話だから行商人でもあるまい。

 無料で配り歩くには規模がデカすぎて話にならん。


「マベルにぃにだよ」


 子供の一人がニッコリとした笑顔で答えてくれる。


「ま、マベル? その男、マベルというのか?」

「うん、こっそりボクに教えてくれたの。……あ、でもこれナイショだった」


 これはしたり、という顔を浮かべる。言っちゃいけなかったと遅れて気付く。

 こんな素直な子供に口止めは無理だろうな。だが、そのおかげで名前は知れた。


 しかし、マベルとは。これは偶然の一致なのだろうか。

 まさかとは思うが、私の知っているマベルだったりするのだろうか。


「シスター様、その男の名前は?」

「私も今、初めて聞きました。いつも名乗る名前はないとおっしゃるので」

「顔は知っているんだよな。特徴だけでも」


 マベル・クレプリーズならば、筋肉隆々の大男のはず。


「どちらかといえば、細身の方です。とても優しいお顔で。貴族とは思うのですが、いつも一人で、護衛の方もなく……」


 ほな、マベルと違うかー。


「でも定期的にいらっしゃって、本当に沢山のものを無償で置いていかれるのです」


 じゃあ、マベルなのでは?

 代々騎士の血を引く名家だから施しするには十分な資産もあるだろう。

 並みの貴族なそんな気前よく、しかもパエデロス領に支援できるものか。


「定期的に、というのはどのくらいの頻度だ? 次にいつ来るか分かるか?」

「いつもならそろそろ今日くらいに来られるはず」


 なんというタイミングだろう。今日の私はとびっきりついている気がする。

 そのマベルという男の正体は依然として分からないが、会える可能性は高い。


 もし、本当にマベル・クレプリーズ本人だった場合、話が変わってくる。

 パーティを抜け出してまでパエデロス領に物資を届けていたということになるが、何を思ってそんなことをしているのかが全く分からない。


 というか、そもそもそんな話をリノンからも弟のペウルからも聞いていない。

 いくらアミトライン領とパエデロス領の双方が良好な関係を築いたからと言って、無償で支援するなんてどういう了見なんだ。


 昨日今日の話じゃないというのも合点がいかない。

 いつからやっていることなのかは知らないが、クレプリーズ家の意志なのか?


 分からん。まだ現時点ではクレプリーズ家ではない可能性も十分に考えられる。

 正体不明のマベルのせいで私の頭の中はグチャグチャだ。


 不意に、そんなとき、ノックの音が飛び込んできた。

 珍しい。この教会に私以外の来訪者が来るのか。


「失礼します。シスター」

「ああ、どうぞお入りください。空いておりますよ」


 シスターがそういうと、扉が開き、男が入ってきた。

 一目見て、ハッとする。私はその男を知っていたからだ。


 身なりはよくないが、細身の優しそうな男。

 ついさっき、大通りで暴漢どもにボコボコにされていたあの男だ。

 あの後、診療所にちゃんと行ったらしい。腕や肩に包帯が巻かれていた。

 子供たちも、その男の顔を見るなり、ワッと駆け込んでいく。


「やあ、君たち、久しぶり。元気にしてたかな」

「元気元気!」

「お兄ちゃん、遊ぼ遊ぼ!」

「おみやげはー? おみやげー!」


 凄い。子供たちがあんなにも懐いているとは。私もパエデロスに来たばかりの頃はかなり人見知りされていて、最近やっと心を開いてくれたのに。

 あの様子から見るに、かなり慣れ親しんでいることが察せる。


「ごめんごめん、今日はお土産はないんだ」


 申し訳なさそうに苦笑いを見せる。

 って、ちょっと待てよ。さすがに私も鈍感なつもりはないぞ。

 流れから察するに、あの男がマベル(仮)なのではないか。


「シスター様、ひょっとしてあの男が?」

「ええ、そうです。いつも教会に施しをいただける殿方です」


 か、確定してしまった……。

 だが、まだマベルであって、マベル・クレプリーズとまでは決まっていない。


 マベル(仮)は私と目が合う。

 かなり気まずそうな顔をしているが、さすがにそっぽは向かない。


「奇遇ですね、リナリーさん。まさかこんなところでお会いできるとは」

「ああ、怪我の調子は……よさそうだな」


 子供たちに手を引かれて遊ぼうとねだられているこの男。

 少なくとも言えることは、私の想像しているマベル・クレプリーズとは異なる。

 細いし、軟弱そうだし、暴漢どもにボコられていたし、騎士とは到底思えない。


「――まどろっこしいのは嫌いでね。単刀直入に聞こう。あなたの名前は、マベル。アミトライン領の領主であるクレプリーズ家の長男か?」


 少しの沈黙、少しの硬直。冷汗が浮き上がっているのがその場でも分かるほど。

 悪いことを隠していた少年みたいな顔をして、ゆっくりと口を開く。


「あは、ははははは……そ、そうか、もう、そこまで突き止められてしまったのか。はい、そうです。ボクはマベル。マベル・クレプリーズです」


 今、私の中で、筋肉だらけの男が弾けてぶっ飛んだ。

 これが、こいつが、マベル・クレプリーズだと?


 筋肉なんて何処についているんだ? 瘦せっぽちじゃないか。

 騎士にあるまじきヒョロヒョロのガリガリではないのか。


「いずれはバレるとは分かってた。でも思ってたより早かったかな、はは」


 そんな満面の笑みで言われても。

 というか、なんだ。マジでガチでクレプリーズ家がパエデロスに支援してたのか。

 そんなの聞いてないぞ。独断か? 独断なのか?


「ええとまあリナリーさん。リナリー・アイノナイトさん。こんな場でなんですが、改めてお会いできて光栄ですよ」


 そういってマベルはペコリと子供たちに抱き着かれながら会釈した。

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